第十一話 おっさん、和気藹々と親睦す

 今日はサークル活動の後、皆で駅前の大衆居酒屋に押し掛けることになった。何でも夏の活動の振り返りと反省会――要するにそれを口実にした単なる飲み会、親睦会である。


「やっぱりこういうの、必要だと思う訳なのよ。加護野君も来るよね? ね?」

「良いんですか?」

「良いも何もないでしょ。とっくにサークル仲間なんだからさ。あ、お酒はNGだぜ?」

「呑みませんよ! 北島さん、すぐそうやってからかうんだから!」

「うひひひ。代わりにどんどん好きな物頼んじゃってよ。今日は奢りだからさ、俺の」


 総勢一〇人なので、店の方が気をつかって個室をあてがってくれた。有難い。喫煙者もいるようなのだが、昨今の喫煙事情に漏れずこの店も店内は全面禁煙で、別に喫煙専用ルームが設けられているというシステムだ。これもメンバーに高校生の加護野君がいるので助かる。


 北島さんが、おごり、と言っていたのは冗談ではなく、本当に会計は北島さん持ちらしい。龍ヶ峰さんは意外とこういう場を開くのは苦手らしく、もっぱら北島さん担当なのだそうだ。


「こういうのが好きなだけなのよ。会長ばっかり恰好つけられても悔しいからねえ」


 恰好つけている訳ではないと思うのだが。

 その会長が静かにワインを傾けながら言った。


「しかし何ですね、寺崎さんといい、加護野君といい、見る見る腕を上げてきましたね」

「ははは。私はそうでもないです。付いていくだけで必死ですよ。面白いから仕方ない」

「謙遜することはないですよ、寺崎さん。さて……加護野君はいかがでしょう?」

「はい。試合でも思い通りに動けるようになってきました。兄弟子の教え方が上手いんです」

「岡ちゃん、そろそろ勝てそうだって言われちゃってるよ? ん?」

「お? いやいや、俺より先に北島さんでしょ。よれよれだし」

「それ、言っちゃう? 言っちゃうかー! タメなんだからどっちもよれよれじゃないさ」


 何だかんだ言って、岡田さん、北島さん、この二人は仲が良い。


 ちょっとおトイレ……と北島さんが席を立つと、焼酎を片手に林さんが代わりに座った。


「そういえば、ずっと気になってることがあるんスよね、会長。良いっすか?」

「何でしょうか?」

「アレです。会長のおじいさんが異世界に行って帰ってきたんだって話。本当なんですか?」


 龍ヶ峰さんは微笑みを浮かべたまま、無言でワインを傾けた。それから口を開く。


「本当だ、と言ったところで、皆さんはそれを信じられますか? 難しいでしょう」

「会長が真実だ、って仰ったなら、嘘だ、なんて誰も言いませんよ。ですよね?」


 ごくり、と唾を呑み込みながら、私は、無言で頷き返した。加護野君もだ。


「この私自身が一番信じられない気持ちでしたからね。果たして現実なのか、と」


 薄く笑い、いくぶん酔いでもしたのか、何かを懐かしむように龍ヶ峰さんは目を細めた。


「何かに呼ばれる声がしたかと思ったら、気付けばそこは見慣れない世界です。誰も知る者はなく、誰も助けてはくれません。何も分からないままただ歩き続け、やがて辿り着いた城の王様に異世界人として拝謁を許され、そこで、魔を打ち倒すため力を貸して欲しい、そう告げられたのです。きっと彼は、ただただ戸惑うことしかできなかったでしょう」


 くい、とグラスを傾け、唇を湿らせてから続ける。


「しかし……彼は孤独ではなかった。彼を慕い、支えようとする仲間がいたからです。我々のサークルと同じです。同じ志、同じ思いの下、一つの絆で結ばれた仲間がいたからこそ最後まで頑張れたのだと思います。ただ一人だったなら、一人きりだったなら彼は挫けていたでしょう。共に語り、共に哀しみ、共に怒り、そして、共に笑い合える仲間がいたからこそです」

「そ、その……。最終的に魔王は倒せたのでしょうか?」

「さて、それはどうなんでしょうね。そこはご想像にお任せしますよ。ふふふ」


 龍ヶ峰さんは、もういつもの龍ヶ峰さんに戻っていた。

 でも、何故だか奇妙な印象を私は持ってしまう。


 彼は――と口にしながら龍ヶ峰さんは、まるでそれが自分の体験した出来事であるかのような口ぶりで語ったからだ。ふとそう思い、改めてこっそりと盗み見ると、やはり当然のようにそれを察知した龍ヶ峰さんがウインクを返したように見えた――いや、錯覚だろうか?


「僕は、今の龍ヶ峰さんの話を信じます」


 加護野君は真剣な眼差しでそう口にした。


「そして、きっと魔王は倒せたんだと思います。そうでなかったら、今頃、龍ヶ峰さんはここにいないと思いますし。それに、そう考えた方が何だかこう……ワクワクしませんか?」

「そうだね。うん。きっとそうなんだよな」


 私は頷き、加護野君と視線を交わした。その二つが龍ヶ峰さんに向けられる。返ってきたのはいつもよりふんわりと柔らかい微笑みだった。そして、その口から問いが発せられる。


「加護野君、貴方はついこの前、異世界は自分が今のこの世界から逃げるための場所だと言いましたよね? その考えは今も変わりませんか? どうでしょう?」

「ええと――」


 自分に話の矛先を向けられるとは思っていなかったらしい加護野君はしばし口ごもったが、


「……もう、違うと思います。確かに、今の自分を壊してやりたい、そういう気持ちがなくなったって訳ではないんですけど、異世界は逃げて引き篭もるための場所じゃないと思います」


 隣の私は、驚きと安堵の息を密やかに漏らしていた。

 確かに加護野君の中で何かが変わり始めている――その実感があったからだ。


 だが、私の力などとは思いも驕りもしない。する訳もない。

 変わったのは、変えたのは彼自身なのだ。


 じっと組んだままの両手に視線を落として加護野君はこう続けた。


「自分を試す場所、自分の生き方と能力を試される場所だと思うんです。全てを奮い立たせて立ち向かい、思いきり羽ばたける場所――あ、何か生意気な言い方だったら済みません……」

「そうは言いませんよ。加護野君の武器は、若さです。私たち、おっさん、にはない物です。それは大切にしないといけませんよ。時間は、待ってくれなどしないのですからね」


 そうこうするうちに反省会という名の親睦会はお開きとなったのだった。



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