第九話 おっさん、アドバイスをする
あれから一か月――。
高校生は凄いのである。
物覚えが早い。
身体のキレが良い。
この調子ではいずれ剣の腕も抜かれてしまいそうだなあと思いつつも、弟弟子であるのだから兄弟子としては実に誇らしい気分だった。しかして、おっさんの心中は極めて複雑である。
一丁前に嫉妬もするし、焦りもする。
負けるものかこれでもかと意地を張る。
おかげで無駄に生傷を作る羽目になってしまった。勢い余って、というよりは、ついうっかり受け損なって、座禅中の修行僧よろしく右肩に、ぴしり!と良い感じの一撃を喰らってしまったのだ。木の剣とはいえ腹でなく峰で受けていたらかなりの痛手を負っただろうが、加護野君が
「だ、大丈夫でしたか、寺崎さん!」
「大丈夫、大丈夫。こっちこそ驚かせちゃってごめんね」
あえて、受けるのに失敗した、痛い、と言わないのが私のつまらない意地なのである。またそれが妙にくすぐったい気持ちにもなってなにくそとも思うし、同時に弟弟子と剣を交えることの楽しさを再認識する。一応、肩をぐるぐる回して痛みがないのを確認してから構えた。
「よおし! 今度はこっちも本気だすからね」
「はい!」
何が本気だ。さっきまだって必死だったではないか、とは言わないで欲しい。それでも醜態を晒すことなく何十回と打ち合いを続ける。おお、実は私もかなり進歩したのではないか。終わってしまうことの寂しさもあったが、そろそろお互いに良い頃合いだろう。よし、と一声かけてから、最初の位置に戻って剣を捧げ持って会釈し、ふう、と息を吐いて笑い合った。
「サマになってきたじゃない、加護野君。もういつ試合をやっても大丈夫そうだね」
「えええ。やっぱり試合は緊張しますし……」
「伸びてきたところの鼻っ柱を折っておかないと、いい気になっちゃうからね。なんて」
「はは。寺崎さんもそんな冗談言うんですね」
にこにこと笑顔を浮かべているものの、おっさんは半分本気である。我ながら大人げない。
「そうだ。加護野君は絵を描いてるんだよね? そっちの方はどうなんだい?」
「ええ……まあ……」
わずかに言い淀んだが、機嫌を損ねた訳ではなさそうだ。むしろ別の意味で真剣そのものの表情をしている。おっさんに例えれば、仕事モードの顔、といったところだろうか。
「月曜・水曜・金曜は絵の塾に通っているんです。御茶ノ水の方まで」
「うわあ。結構遠いし大変だねえ。こんなサークルに誘って悪かったかな」
「い――いえいえいえ! そんなこと、ないです!」
いつも
「頭を使うのと、身体を使うのって、両方やった方が良いみたいです。気も紛れますし」
「それなら誘った甲斐があったかな。良かった」
「そうですよ。そうです。楽しいんです、本当に。寺崎さんには御礼を言わないとです」
「何をいまさら。弟弟子だろ? それに、私だけじゃない、皆のおかげだと思うよ」
実際の話、ただ一人の高校生ということもあって何となく距離を置かれて接せられてしまうものかと心配していたが、いざ入会してみると皆が加護野君の参加を喜んでいるようだった。初めは恐る恐る、次第に年齢差を感じさせないフランクさで皆が彼とのやりとりを楽しんでいる。北島さんの人懐っこさは別格としても、職人気質で割と不愛想な林さんでさえ、加護野君と話すときは歳の近い弟のように構ってくれている。四十九歳トリオは息子や孫扱いするかと思いきや、意外と友達感覚で会話しているのが何とも奇妙で面白い。
「絵の方は……正直行き詰っていたところだったんです。描く絵も変わってますから」
「変わっている、っていうのは悪いことじゃないと思うけどね。個性だよ、個性」
「逆に、普通を求められても上手く対応できないんです。そこが問題なんです」
「私は、ミスター・普通だからねえ。一度くらいは個性的、って言われてみたいなあ」
悪目立ちしない代わりに、群衆に紛れればたやすく埋もれてしまう、それが普通を極めた者の哀しさである。決してリーダーにはなれず、さりとて仲間外れにもされない。モテもしなければ、フラれもしない。成績は中の下から中の上。いじめにあう子は、空気のようにいない者として扱われた、と嘆いたりするが、普通すぎても同じ目に遭う。私にすれば、これといった実害がないだけで立場・スタンスはあまり変わらない。いなくても一緒なのではないか、と。
「じゃあ、将来は絵の道に進むのかい?」
「どうでしょうね……自分でも良く分かりません」
「少なくとも、好きで描いてるんだろう?」
「ええ。僕は絵を描くのが好きです。それだけしか取り柄もないので。いや……違うかな」
加護野君は首を振り、大人びた取り繕った空気を払い除けて私の目を見る。
「――絵だけが僕を表現できる方法なんです。そうだと思います」
「だったら、なおさら続けないと、極めないと駄目なんじゃないかなあ?」
「どうしてですか?」
自分でも何故そう口走ったのかは分からなかったが、辞めては駄目だ、と思ったその理由。
「ええと、それは……だってさ、私たちが加護野君を心から理解するためには、君のその絵が必要ってことじゃないか。それに絵だったら、たとえ言葉の一切通じない……そう、異世界の住人たちにだって君を分かってもらえる! そうだろ? 違ったかな?」
呆気に取られた加護野君の顔に、じわり、と笑みが浮かび上がったのが分かった。
「さすがは寺崎さん、僕の兄弟子ですね。何だかすっごくすっきりしました!」
「ははは。それなら面目躍如だな。何せここは『異世界召喚予備軍』だもんね」
さて、と二人して次の準備をしながら、加護野君は私に向かって恥ずかしそうに微笑んだ。
「今度、僕の一番好きな絵をお見せしますね。それが僕だって寺崎さんに伝えたいんです」
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