第六章 おっさん、高校生と知り合う

 早いものでこのサークル「異世界召喚予備軍」に入会して一ヶ月が過ぎようとしていた。



 部活が休みで遅めの登校となった娘の綾乃の隣で朝の身支度をしていると、急に、ぱしん、と背中を叩かれた。振り返ると何故か妙に嬉しそうなにやにや笑いを浮かべている。


「な、何だよ。急に」

「なーんかさ、パパ、ちょっとたくましくなったっていうか、恰好良くなったって思ったの」

「そ、そうか?」

「サークル活動?っての続けてるんでしょ? もう『つまらない人間』じゃないね、うん」

「それは嬉しいな。というか、『つまらない人間』は酷いよ。ま、確かにそうだったかもな」

「でしょー? じゃ、今日も頑張ってね、パパ!」


 ふんわりとカールした髪を風になびかせながら、綾乃は、じゃね、と手を振り一足先に飛び出して行く。締めたネクタイを整えながら、いってらっしゃい、と洗面所から顔を出し、後ろを振り返るとそこにはさっきの綾乃と良く似た表情を浮かべているカミさんが立っていた。


「君もそう思うかい?」

「そうよ? いまだに何やってるのか良く分からないけど、『つまらない人間』は訂正」

「はは。それは助かるなあ。じゃあ僕も行ってきます。今日も公民館に寄ってから帰るから」

「分かったわ。じゃあ、いってらっしゃい」


 そんなに変わったかな、と首をひねりつつも、会社へと向かう道中、自分の身体のあちこちに触れながら、あれから毎晩続けているジョギングと懸垂運動の効果が出てきたことに少し満足する。目に見えてムキムキの身体になった訳ではないが、一番効果があったのが心肺機能だ。以前はちょっと激しい運動をするとすぐ息切れして、つまらない拍子によろけてしまったりしたものだが、今は同世代の人間よりは随分マシになったと思える。


 もちろんそれは、個人的に続けている日課のおかげだけではない。サークル活動で定期的に殺陣たての動きをみっちり身体に叩き込み、練習試合もまともにこなせるようになってきた。こっちはこっちで、通り一辺倒の動きの身体トレーニングとは違い、臨機応変かつ機敏な動きを要求される。それこそ最初の頃はこんなところに筋肉があったのかと不思議になるくらい思いもよらないそこここの部位が筋肉痛で悲鳴を上げていたものだが、もうそれもあまりない。


 ただ、まだまだ先輩方相手には、なかなか満足のいく試合ができていなかった。


 もちろん勝てる時も少なからずあったが、相手のミスを突くような小さな勝利ばかりだ。


「うーん……こう来たら、こう。いやいや、こう、の方が良いな、うん」


 イメージトレーニングをしながら会社へ向かう。身体は軽く心も軽い。うん、いい感じだ。




 その夜のことだった。




「……い。……ってんのか……だろ? 分かったら――」


 いつものようにスムーズに残務処理を済ませて公民館へと足取り軽く向かっていた私の耳に、何人かの少年たちが語気荒く発する声が不意に届いた。そちらに目を向けると、薄暗がりで良くは見えないものの五~六人の半袖ワイシャツ姿の少年たちに囲まれるようにして、一人だけ詰襟の制服に身を包んだ少年が俯いたまま無言で立っているのが見えた。どういう経緯でそうなっているのかは分からないが、何だか嫌な感じだということだけは伝わってくる。


「黙ってねえで何とか言えよ、おい」

「……僕は関係ないです」

「お前は関係なくても、こっちには用事があんの。だからさ、とっとと出すもの出せって」

「……嫌ですよ。あなたたちと僕は無関係なんだし」

「ナマ言ってんじゃ――!」


 駄目だ――見てられない。


「おーい、君たち! 何か揉め事かーい!?」

「ちっ」


 私がわざとのんびりとした声で呼びかけると、囲んでいる側の金髪の少年が露骨に舌打ちをして無言で仲間に合図を送った。すると、何もなかったかのように囲みが崩れ、だらだらとした足取りで皆その場を去って行こうとする。私は極力彼らには構わないようにして、輪の中心に立っていた詰襟の少年のところにゆっくりと歩み寄って行った。


「……大丈夫かい? もし余計なことしちゃったのなら謝るけどね」

「いえ……ありがとうございました」


 その少年は居心地悪そうに視線を泳がせながら、私に素直に礼を述べて頭を下げた。


「でも、おじさんもガラの悪い連中に目をつけられちゃわないかなって。あいつら、同じ学校の不良なんです。ウチ、普通科と工業科があるんで、ああいうのがたまにいるんですよ」

「それは怖いなあ」

「……そうは見えないですけど」

「そうかい? それは気のせいだよ。何せ私は、普通の元『つまらない人間』だからねぇ」

「?」


 案の定、少年は、きょとん、とした表情を浮かべた。私は思わず苦笑する。


「そうだ。すぐ帰るとまたあいつらに出喰わすかもしれない。よかったら、そこの公民館に寄って行かないか? これから所属しているサークルの活動なんだ。君さえ良ければ、だけど」

「サークル活動……ですか」


 ふと思いついた提案だったが、少年は少年なりに真剣に考えてくれているらしい。


「はい。僕が行ってもいいんですか?」

「あ、うん。大丈夫。ウチの人たちは皆優しいし、頼りになるからね。じゃ、行こう」


 少し意外だったが、凄く真剣な眼差しで少年は頷いた。


 そのまま名前も知らない少年を伴って公民館へと向かった。いつものとおり優しい穏やかな微笑みで龍ヶ峰さんは「もちろん。構いませんよ」と言ってくれた。少年はそのまま与えられたパイプ椅子に座り、私のおごりで購入したペットボトルを握り締め、私たちの活動をただ、じっ、と見つめていた。


 最後に少年は言った。


「また、見に来てもいいですか?」


 誰にも異論はなかった。皆が笑顔で頷くと、少年は初めて恥ずかしそうに笑ったのだった。



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