第四章 おっさん、おっさんたちの正体を知る

 三回目の参加で、前回正式に仲間入りをした私にも少しは気持ちの余裕が生まれていた。


「えと……よろしくお願いします」

「よっ、寺ちゃん。早いね」


 こっちの科白である。いつもはギリギリに滑り込んでくる北島さんが、五分前だというのに迎えてくれたのだ。分厚い手が差し出され、何となく流れで握手を交わす。


「最初に見かけた時から、こいつは入会してくれるんじゃないか、って思ってたよ。うん」

「本当ですか? 案外、皆にそう言っているんじゃないですか、北島さん」

「へっへっへ。まあね。当たり」


 悪びれた様子もなく、鼻の下を人差指で拭う仕草をする。まるでガキ大将である。


「じゃ、ちょっと紹介しておこうか。まだ話したことない奴ばっかだもんな?」


 そう言って、あいつは、こいつは、と一人一人指さしながら教えてくれる。面倒見が良い。


 いつもの『会議室A』の奥まったところで三人固まっているのが、鈴広さん・駒井さん・大木さんの同級生トリオだ。こう言っては失礼だが、絵に描いたようなチビ・デブ・ノッポの三人で、今にも即興のコント一つくらいは始められそうである。地元の進学校の出身で、大学も同じ四十九歳。今はそれぞれ別の不動産会社で本部長を務めているという話だ。


 その隣で三人の会話にときおり忍び笑いを漏らしているのが山城さん。人の好さそうな笑い皺が印象的だが、北島さん曰く、一番のむっつり助平である、と言う。確かにそんな先入観前提で見てみると、いやらしい笑い方に見えてしまうから不思議である。年齢は四十五歳ながら個人で会計事務所を開いており、ITベンチャーの最高財務責任者CFOも引き受けているらしい。


 向かいで真剣な眼差しで経済新聞を読みふけっているのが岡田さんだ。確か、初めてここに来た日に北島さんから試合を申し込まれていた人である。少し印象が北島さんと似ていて、がっちりと体格の良い元ラガーマンだ。いつも笑っているかのように、顎の骨格ががちっと前にせり出している。現場叩き上げの彼は、現在は飲料メーカーの営業部長で出世株の四十七歳だ。


 さらにその隣で早くも着替え、一人黙々とストレッチをしているのが林さん。彼が一番歳若く、三十八歳である。ここの活動の他に、ハーフやフルのマラソンにも数多く参加していて、とにかく身体を動かすことが好きなようだ。若くして家業を継ぎ、隣町の畳屋の職人であり、大将でもある。近年和室が減りつつある中、フローリングにも合うカラフルにデザインされたタイル式畳を考案して結構な評判を呼んでいると言う。アイディアマンでもあるのだ。


 そして目の前の北島さん。駅前の北島工務店の社長である四十七歳。学生時代のアメフトと日々の力仕事で鍛えた身体は立派な物であり、改めて生っ白い自分の身体が恥ずかしくなってしまう。成程、岡田さんにやけに絡んでいるのは同い年ということもあるのだろうか。


 と、そこまで聞いて、少し自分を恥じる気持ちが湧いてしまった。


 よくよく考えてみると、それぞれそれなりに立派な立場の人ばかりではないか。ほとんどヒラに近い係長なのは私くらいのものである。でも、そこで私は龍ヶ峰さんの言葉を思い出す。ここは会社じゃない、仲間、同志なのだ、と。それでもなあ、という気持ちもなくはない。


 だが、北島さんの説明は、あと一人、というところでスローダウンしてしまった。


「うーん……。会長については、皆、あんまり知らねえんだよなぁ」

「龍ヶ峰さん、ですか?」

「だよ」


 もう夜ということもあって浮いてきた無精ひげをぽりと掻きつつ、北島さんは首を捻った。


「あんまり話してくれねえ……いいや、違うな。何となくスカされちゃうのよねぇ」

「はあ」


 何故、突如として語尾がオネエ言葉になったのか不思議だが、少々薄くなった頭をぺちりと叩いてから北島さんは声を潜めた。


「とにかく不思議なお人なのさ。この前の車、見たろ? あれ、外車で結構高えんだぜ。英国の同志、ってのも、この会が始まる前っからの付き合いらしくてさ。歳も分かんねえ」

「はあ……。でも、いつでもしゃっきりされてて、そこまでのお歳でもなさそうな……」

「分かんねえよ? 意外とああ見えて、六十後半、いや、七十ってこともあるだろ? そうそう、前に言ってたよ――まだ働いてはいるけれど、ここと同じような立場でやってるってな」

「会長、ってことですよね、それ?」


 そう言われてみると、何処ぞの大企業の会長さんだといわれても素直に頷ける。立ち振る舞いも上品で洗練されているし、何より言葉の一つ一つに今まで積み重ねてきた人生の重みを感じなくもない。前にも感じたが、どうせ歳を取るならこうありたい、そういう人である。


「でもよ、一番不思議なことがあんのさ。そういうのとは別に。何でここが『異世界召喚予備軍』って付けられてるか考えてみたことあるかい? ちゃんと理由はあんのよ、別に」

「え……?」

「これは一度だけ、皆で呑みに行った時に会長自ら言ってたんだがね――」


 だが、その続きを私が聞くことはできなかった。


「おや、北島さん、今日は早いですね。さて、始めましょう。本日もよろしくお願いします」

「はーい」


 その時、龍ヶ峰さんが名残惜しそうに北島さんに向けて口を開きかけた私の方を、ちらり、と見て、微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。ううむ、これは気になるな……。


「今日はですね、いろいろやりたいこともあるのですが、寺崎さんが正式入会されたということもありますので、座学の時間とします。講師は僭越せんえつながらこの私、龍ヶ峰が務めますので」

「よろしくお願いします」


 おやおや、今日は退屈な時間か、と思っていた私の考えは見事にすかされた。


 初めに照明を落として龍ヶ峰さん持参のノートPCでスライドを見せられた。もちろん、龍ヶ峰さんの解説付きでだ。落ち着いたトーンの淀みなく良く通る声で、異世界召喚の仕組みと構造、そしてその原因――理由と課せられる目的について語られる。それにしても分かりやすく図式にして表現されているカラフルなスライドは実にすんなりと頭に入ってきた。


 異世界召喚とは、主に何かしらの脅威に晒された異世界の住人、大抵はその世界の有権者、もしくはそれに準じた召喚の才能を持った神官や巫女によって執り行われる儀式だ、ということだった。時にその脅威とは、人間族の存亡を揺るがす宿敵、魔王の出現であり、また、その召喚主と対抗する別の種族――これには同じ人間族も含まれる――であるという。となると、召喚された者に課せられる任務と目的としては、その脅威の排除、対抗勢力の撃退となるのが一般的だろう。だが、そうでない場合もあるという。


「我々がそうであるとおり、誰しもが万能ではありませんし有能でもありません。ほんの手違い、うっかりミス、ということもあって、呼ばれるべくして呼ばれない場合もあるのです」


 何度も聞いているメンバーもいるのだろうが、そこでわっと笑いが湧いた。確かに私も思わず笑い声を漏らしてしまった。龍ヶ峰さんの話術は大した物だ。人を惹き付ける何かがある。


「ただ、これだけは変わりません。大切なのは、自分がいかにして生き残り、戻るか、です」

「成程! 会長の親父さんみたいに、ですかね――おっと! いけね!」


 北島さんが、ついうっかり、口を滑らすと、龍ヶ峰さんの目つきが鋭くなったのを私は見逃さなかった。そして、北島さんが私の方をちらりと見て笑ったのが分かる。今のはわざとだ。それでも龍ヶ峰さんの顔は笑みの形を崩さなかった。


「さあ、それはどうですかね……いずれにせよ、これだけは肝に銘じておいてください。私たちは異世界で大活躍することを目指している訳ではありません。いかに生き残るか、そして戻るか、それが一番重要なのです。英雄や勇者は必要ないのです。私たちは普通なのですから」

「はーい」

「――いいですね、寺崎さん?」

「あ。は、はい」


 確かに、何か日々の生活に変化が欲しい、と、普通じゃない自分を求めてこのサークルに入会する決意をした私だ。だが龍ヶ峰さんが言ったとおり、私は何も英雄や勇者になることを夢見て入会した訳じゃなかった。しかし……改めて、普通が一番、と言われると複雑である。


「では、来週の予告です。久々にトーナメント形式の試合をしましょう。寺崎さんには……そうですね、北島さんが稽古をつけてあげてください。初めての弟弟子ですよ、しっかりとね」

「うっし! 頑張ろうぜ、寺ちゃん!」

「よ、よろしくお願いします、北島さん」


 その後の活動時間は、みっちりとしごかれてしまった。

 明日の筋肉痛が心配だ。



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