第22話 相反する者達
ルイスは、マズイ奴に聞かれたと顔をしかめた。
ギルフォードは、常と変わらないと思いきや……彼も不快という感情を顔に思い切り表していた。
ただ、ヴィラローザだけが笑っている。
「そちらにいらっしゃいましたか、デザメール卿」
にこりと微笑む姿は、ドレスでも来ていれば完璧なお嬢さまだろう。
しかし、苛烈な本性を知るルイスは、猫なで声の気味悪さに震え上がった。
「貴方を探しておりました」
「私を? エルメ嬢、君が? どういう風の吹き回しだろうか? ――ようやく、身の振り方が決まったと?」
「はい」
「結構」
デザメールは、満足そうに自分の顎を撫でた。
ルイスは、ご満悦なデザメールと下卑た笑いを浮かべている取り巻きをみて、眉を寄せる。隣にいる親友は、威嚇する獣のように歯を噛みしめている。ギリギリという音が、今にも聞こえてきそうな程だ。
「ではこちらへ。誠意をいうものを、見せていただきましょう。私の屋敷で、じっくりと」
「あら、おかしなデザメール卿。……屋敷になど行かずとも、充分でしょう」
綺麗な笑みを浮かべたまま、ヴィラローザは前に出る。
かつ、という乾いた杖の音が響く。
彼女が動いたことで、ギルフォードがハッと我に返り手を伸ばそうとした。
「ここは、見守っていて下さい、ギルフォード」
それを、ヴィラローザは声と視線で制した。
一呼吸前まで浮かべていた表情からは想像も付かない、はまったく別種の……――心の一番柔らかい部分を預けるような、純粋でひたむきな目と声だった。
ギルフォードの動きを止めるには、充分すぎるほどわかりやすい、好意に満ちた表情だ。
好いた女にそんな顔を向けられたら、抗える男はいないだろう。
ギルフォードの動きも、鈍る。
それを見て、満足そうに頷くと、ヴィラローザは再びデザメールに向き直った。
「デザメール卿。……これ、お返しいたしますね」
そして、デザメールの胸に一枚のカードを押し当てる。
何が書かれているか、ルイスやギルフォードの位置からは、分からない。いや、この場の誰も、内容をうかがい知る事はできない。
――見るどころか触れてすらいないのに、顔色を変えてヴィラローザの手ごとカードを払いのけた、デザメール以外。
「ヴィラローザ……!」
ギルフォードが突き飛ばされたヴィラローザをすかさず抱き留めた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます、ギルフォード……」
カランと音を立てて転がった杖を拾い上げ、ヴィラローザに握らせると、ギルフォードはしっかりと抱え直した。そして、非難の目をデザメールに向ける。
「彼女に何をする」
「何を、だと……? それはこちらの台詞だ! 殊勝な態度を見せたと思えば、小賢しい女めっ! それで男に取り入って、騎士という肩書きを手に入れたのか!」
「馬鹿を言うな。ヴィラローザは、お前より強い」
当たり前だろうと言いたげに、ギルフォードが吐き捨てた。
それは、貴族嫌いのルイスにだってよく分かる、事実だ。
性格がもの凄くきつい、首狩り魔。けれど、その腕は、ギルフォードとそろい双璧と呼ばれるに相応しいものだ。
実物を目にすれば、誰もが認める事。理解出来る事であるはずなのに、デザメールはかたくなにそれを受け入れようとはしない。
一体、何がそんなにお気に召さないのだと嫌味を吐きつつ、ルイスは屈む。
そして、ひらりと床に落ちたカードを拾い上げた、ざっと目を通した。
たちまちその顔に、軽蔑の色が宿る。
「ギルフォード」
親友の名を呼び、彼の眼前にカードを突きつける。
そこに書かれていた文字を読み切った瞬間、ヴィラローザ第一主義である男の目が、すぅっと剣呑さを帯びて細められた。
「……ふざけた事を」
「なんだその目は! 汚らしい獣風情が! そこの平民、貴様もだ! ――馬鹿馬鹿しい……! 馬鹿馬鹿しい茶番だ!」
唾を飛ばさんばかりの勢いでわめき散らしたデザメールは、苛立たしげに髪を掻く。掻きむしらんばかりの勢いに、取り巻き達ですら一歩引く。
しかし、自分に向けられる奇異の視線に気が付いたデザメールは、やおら顔を真っ赤にした。
「……ああ、そうか……! そういう事か……! ありもしない事をねつ造し、その罪を私に着せるつもりか……! 足を開くことしか能の無い女が考えそうな事だな!」
「…………」
「このことは、上に報告させていただこう。……もちろん、我が家にも。……君のお父上の耳にも、すぐに入るだろうな。あの気弱そうな御仁は、卒倒してしまうんじゃないか? 自分の娘が、男漁りのために騎士団に入りたいと強請ったなんて知ったらな!」
起死回生の道を見いだした。
そんな態度だ。
大仰な言い回し、芝居じみた嘆く素振り。けれども、いやらしい笑みは張り付いたままで、下劣な言葉を挙げ連ねている。
自分の認識だけが絶対の世界で生きている、いっそ哀れなまでに滑稽な男がそこにいた。
「よかったな、エルメ嬢。母親に似なくて。……伝え聞くところによると、君の母親は、まるで巨大な岩石のような風貌だったそうじゃないか。――剣しか生きる道の無かった哀れな女に似ていたら、いくら足を開いても、挑んでくる男はいなかっただろうからな!」
「――黙りなさい、デザメール」
ひやりとした声はヴィラローザから発せられても、デザメールの口は止まらない。
「だが――悪食がいるからこそ、今君がこの世に存在することが許されているんだろうね。エルメ公の趣味をどうこう言うつもりはないが、現に君が生まれている。……しかし、あの顔だ。本当はどちらが食われたのか、わからないな。案外、嵌められて責任をとらされたのかも知れないな、エルメ公も。……なにせ、仮にも妻である女が死んだとき、涙一つ流さなかったんだから――狂躁獣共に食い殺された、無残ななれの果てを目にしたっていうのにな!」
剣が、鞘から抜ける音が走った。
それは一瞬で、常人なら反応できない速度だ。
「――剣をおさめてください、ギルフォード」
剣に手がかかっているギルフォード。その上に、ヴィラローザの手が乗っていた。完全に刀身が表に出てしまうのを、防ぐために。
「……なぜだ」
本来なら、瞬き一つしている間に斬れたであろうギルフォードが、唸るような声を発する。
「なぜでも、です」
「……お前を侮辱した」
「そうですね」
「お前の誇りを、踏みつけた」
「……ええ」
「――この男は、お前の心を傷つけた。報復されて、しかるべきだろう」
ヴィラローザは、ゆっくりとかぶりを振る。
そして、さんざん侮辱的な言葉を並べられた直後とは思えないほど穏やかな声で、デザメールの名を呼んだ。
「――デザメール卿、自ら団長の下へ出頭する気があるなら、一度だけ機会をあげましょう。今この場から直接行くのなら、私はこれ以上何かを暴かないと誓いましょう」
「ハッ! 何をくだならい!」
「なるほど、よく分かりました。――では、この私が、無理矢理にでも引きずっていってあげましょう」
デザメールは嘲笑を浮かべた。
怪我をして、使い物にならなくなったお前に何が出来ると。
後ろの男に頼むのかと。
にこりと笑ったヴィラローザは、杖をその場に転がすと、状況を察しないまま笑っている男の頬を、思い切り張り飛ばした。
余裕ぶっていたデザメールはよろよろと足元をふらつかせ、へたりと座り込む。
足腰が弱い。鍛錬を怠けている証拠だ。
「ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、ご覧の通り、怪我も完治に向かっているので……――貴方と、そのお友達方のお相手くらいは、務まると思いますよ?」
呆気にとられていた取り巻き達が、怯えたように身を竦めた。
「……ですが、なにぶん体がなまっているので――加減できず、うっかり首を落としてしまったら、ごめんなさいね?」
ヴィラローザが、笑顔で愛想良く言った瞬間、状況の変化に戸惑うだけだった取り巻き達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。誰一人、座り込んだデザメールを振り返らずに。
「首、首、首……貴様らはすぐ、首だ! これだから、エルメの狂人は……!」
「生きたまま人を魔獣に食わせて、その様を楽しんでいる一族なんかに、我が家のことをどうこう言いたくありません」
「なに……!?」
「私の母の死。……その惨状を知っている人間は、国王陛下と現団長……ごく一部の限られた人間だけ。なにせ、発見当時あまりの惨さに、即刻箝口令がしかれたのですから」
ゆっくりと、杖を拾い上げ、ヴィラローザは座り込んだままの男に近付いた。
同じようにしゃがみ込み、目線を合わせる。
「訳が分からないと言った顔をしていますね、デザメール。仕方がありません。分かるように教えてあげましょうか? ……貴方は本来、“そういう事”を知り得ない立場にいる人間なのです。それなのに、私の母の死を、まるで見てきたかのようにピタリと言い当てた。対外的には、十年前、王都を襲った狂躁獣の討伐で死んだと伝わっているのに」
おかしいですね、とヴィラローザは呟く。
「どうして、貴方が知っているんでしょうね。私達以外、誰も知らない事なのに」
そして、両手で顔を挟むと、にたりと笑った。
「そう。――母様を、あんな惨い死に追いやった、犯人以外は」
「――――っ!!」
さっとデザメールの顔色が変わった。
「母様は、あの時ある研究施設を調べていた。それに出資している一部の貴族に、黒い疑惑があったから」
血の気が一気に失せて、真っ青に。
「ねぇ、捕らえた女をなぶり者にするのは、楽しかったですか、デザメール。抵抗できない人間が無惨に食い殺される姿は、愉快でしたか?」
「ち、違う……! 私は知らない! こ、こんな事をして、ただですむと思うなよ!?」
「貴方こそ、ただですむと思わないで下さい。忙しくなりますよ、デザメール? ……箝口令を無視して、貴方に教えた相手がいるとすれば、それも探しだして裁かなければならないのですから……寝ている暇なんてありませんね」
デザメールは、今回の一件を認めてはいない。
ただ、過去に起きたある出来事――秘密裏に片付けられたはずの出来事の子細を知っていたのだ。
引っ張っていくなら、充分だ。
「あぁ……そういえば、貴方が粉を持たせた三人。そうそうに口を割ったそうですよ」
「……え?」
「自分達は貴方に脅されて仕方なくやったんだって。ちょっと粉をばらまいて、脅かしてやるだけでいいって言われたけれど、嫌だったんだって。……全部、家柄が上の貴方に逆らえず、仕方なくした事です……って」
「嘘だ! あの連中は、嬉々として私の言う事に従ったんだぞ! 君の泣き面を見れるから、楽しみだと言って!」
追い詰められたデザメールは、叫んだ。
――三人は、自分の事を裏切るはずが無い。……そんな風に、一瞬でも考える事も無く、すぐさま裏切りに憤り、叫んだ。
薄っぺらいつながりが、びりびりと裂かれていく。
「でも、実際貴方は、彼らを捨て駒にする予定だったんでしょう」
「選ばれた者である私の役に立てるんだ……! 光栄に思えば良いだろう!」
「……狂躁獣を、野に放てば、どれだけ被害が出るか……分からないほど愚かなのですか、貴方は」
デザメールは笑った。
「はは……」
恐慌状態に陥った人間が、おかしくも無いのに浮かべる――引きつった空虚な笑みだ。
「平民がどれだけ死のうが、たいした事では無いだろう……!」
「――っ……それでも騎士ですか、恥を知りなさい!」
ヴィラローザは、胸ぐらを掴み上げて怒鳴った。
「私は貴方を許しません。……決して、許しません、デザメール……!」
「首でも切るか、首狩り魔!」
「馬鹿を言わないで下さい。私は騎士。悪戯に、人を殺めたりはしません。――だから、貴方はしかるべき裁きを受けるといい」
きっと、ここで斬ってしまえばギルフォードは口裏を合わせてくれた。
ルイスも、密告などせず目こぼしするだろう。
けれど、ヴィラローザは剣を抜かなかった。
以前から思っていた事だが、腰抜けの首はいらない。そして、自分は快楽殺人者でもない。
なによりも――ヴィラローザ・デ・エルメは、最愛の母のような、立派な騎士になるのだから。
母に誇れる自分でなければならない。
そして――自分のために怒ったギルフォード。彼に、後ろめたくない人間でなければいけないのだ。
むかしむかし――母が優しい顔で語った“大切”の意味を、ヴィラローザは少しだけだが理解し始めていた。
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