第20話 しっぽにされた少女
「…………」
食堂に向かう最中でデザメールに絡まれた一件は、その日の夕刻には広く知られる事となっていた。ついでに、ヴィラローザとギルフォードの関係についても。
それほど娯楽に飢えているとは知らなかったと、ヴィラローザは冷めた目で肩をすくめた。
寮の自室に戻ってすぐに見つけたもの――真っ赤な塗料がぶちまけられた扉。そして、その間に挟まれたカードを指でつまみながら。
「ずいぶんと、暇な方なのですね」
「ヴィラ! 呑気な事言っている場合じゃ無いでしょう……!」
ほとんど呆れているヴィラローザとは反対に、付き添ってくれたステラの方は慌てている。
ひったくるようにヴィラローザの手からカードを奪うと、目を皿のようにして文字を追っている。
“ここにお前の居場所はない。母娘ともども、出しゃばった報いだ。その体で取り入って手に入れた立場は即刻返還し、さっさと出て行け傷物女。次は、こんなものではすまないぞ”
「……こ、これっ……どう考えても、脅迫文じゃない!」
「まぁ、そうでしょうね」
「落ち着いている場合!? 体で取り入ったとか……有り得ない事ばっかり書いてるし、許せない……! 誰がこんな事……!」
「誰でもいいですよ」
憤慨しているステラからカードを取り返すと、ヴィラローザは笑う。
「誰だろうが、何だろうが……――叩き潰すだけです」
「……ヴィラ?」
「このカードは、暇を持て余したお馬鹿さんが残してくれた証拠品として、ありがたく頂戴しておきましょう。……いずれ……来たるべき日には、けりを付けてやります」
さりげなく廊下に視線を走らせれば、角から顔をのぞかせている少女がいた。
見習いとして三ヶ月程寮で生活している彼女は、ヴィラローザと目が合った事に気付くと顔を真っ青にして震えた。
(……逃げればいいでしょうに)
一目散に逃げれば、今は怪我人という名目上、ヴィラローザは少女を追えない。
けれど、少女は硬直したように動かない。
そうすれば、ステラもまた視線の後を追いかけ、震える少女に気が付くに決まっている。
一瞬だけ不可解そうな顔をしたステラだったが、すぐに状況を察して少女の方へ近付いていく。
「――…………ちょっと」
「っ!」
びくっと少女が体を強張らせ、かと思うと尻餅をついた。
ステラの後を、ヴィラローザは杖をつきながら追いかける。
音が近付くにつれ、少女の顔は更に青ざめた。死刑宣告を受けた罪人のようだ。
「こちらの素敵なカード、扉の前に挟んでくれたのは、貴方ですね」
笑顔で声をかける。すると、すごんだわけでも無いのに、少女はガチガチと歯の根が合わない音を立てる。
「怖がらなくもいいですよ。…………この怪我では、何も出来ない。……貴方も、見れば分かるでしょう?」
「……っ……」
短気なヴィラローザにしては、随分と優しい声だった。
しかし、苛烈な女騎士のあれやこれやを知る見習い少女には、逆にそれが恐ろしかったようで、とうとう涙を滝のように流して頭を下げた。
「ごめんなさい! 頼まれて……!! いけない事だってわかってたのに、つい……!」「…………へぇ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 殺さないでぇ!!」
「殺しませんよ。私は、快楽殺人者ではありません。まったく……どの方々も、人聞きが悪い。――……殺しはしませんが、貴方の話は聞きたいと思います。もちろん、素直に付き合って下さいますよね?」
とびきりの笑顔で問いかけると、哀れな見習い少女は、千切れそうな勢いで、何度も何度も首を縦に振った。
「……ヴィラ……あんたって……やっぱり、最強よ」
苦笑を滲ませたステラの声に、ヴィラローザはぱちりと片目をつぶる事で応えたのだった。
◆◆◆
ヴィラローザの部屋。
そこで、見習い少女はポツポツと「自分がした事」を話した。
曰く、頼まれてヴィラローザの部屋の扉にカードを挟んだ。
噂など、所詮人が尾ひれはひれをつけたもの。
実物は、噂ほど大したものではないだろう。――少女はそう思っていたようだった。
その上、怪我をしたとなれば……金持ち貴族のお嬢さま、きっと不幸ぶって皆の注目と同情を集めようと、か弱げぶるのだろう。
貴族のお嬢さまという噂、ギルフォードという有望な騎士との一夜の戯れで関係を持ったという噂……少女が頭の中で描いたヴィラローザ像は、家柄だけのお遊び騎士であった。 だから少女は、自分よりも遙かに恵まれた立場にいる女への嫉妬心から、品の無い脅迫状を仕込む手伝いを了承し、進んで扉へ塗料をぶちまけたという。
どうせ、不幸ぶって嘆いて、人の同情を買うだけだろう。
勝手に、そう思って。
ところが、反応を見てやろうという悪趣味さを発揮した少女は、ヴィラローザに見据えられた瞬間、抗う暇も無く恐怖心を抱いてしまった。この人間には勝てないという、本能からくる恐怖心だった。
噂は誇張でも何でも無かったのだと悟って――殺されると、少女は思った。
首狩り魔なんて……と馬鹿にしていた事が、一歩一歩近付いてくる怪我人に圧倒されている自分に気付いた瞬間、真実味を帯びた。
そして、だから“あの人”は、私なんかに頼み事をしたんだと思い至ったという。
「……普段は、私みたいな女、視界にも入れない方なのに……あの方に、頼むよって言われて、手を握られて……舞い上がって……」
「それで、こんな陰険な嫌がらせを思いつき、実行したと……」
ヴィラローザは、淡々としていた。しかし、一緒に話を聞いていたステラは、やはり怒りが収まらないらしい。
「信じられない……! やる方も馬鹿だけど、そんな事頼む男も最低じゃない!」
「そうですね、結局自分の手は汚さず、いざという時は尻尾切りをすればいいだけですから」
「――え」
少女が弾かれたように顔を上げた。青い顔が、ヴィラローザを見つめる。
「尻尾切りですよ。……トカゲという生き物が、危機を感じると己の尻尾を切って逃げるのと同じ事。――万が一、何が問題になったら、貴方に全て押しつけしまう腹積もりなのでしょう」
「そ、そんな……!」
「だって、今自分の口で言ったでしょう? ……普段は、視界にも入れないって」
つまり、少女は丁度良い捨て駒だった。
「自分の手は汚さず、いつだって人にやらせる。……そういう男なんですよ、デザメールは」
「!! なんで……! 私、一言もを出してないのに、なんで分かったんですか……!?」
「まぁ、当たりでしたか」
カマをかけたら当たったと、ヴィラローザは唇の端っこを持ち上げる。
「デザメールって……あのデザメール!? 嘘でしょ……いくらなんでも、趣味悪くない?」
ステラが顔をしかめると、少女は口惜しそうに怒鳴った。
「失礼な事言わないで!」
「……だって、あの男って家柄至上主義で、庶民を馬鹿にしきってるじゃない」
「それは……そうだけど……! でも、顔はいいし! お金持ちだし……! うまくすれば、愛人になれるかも知れないでしょ!」
ヴィラローザとステラは、顔を見合わせる。
――市井の女子が、騎士を目指す。その理由は、二つある。一つは己の力で食い扶持を稼ぐため。もう一つは……本来なら縁遠いだろう、良家の男子と知り合い、妻あるいは愛人という立場を手に入れるため。
どちらも金のためではあるが、後者は騎士という立場にはさして執着しない。結婚相手や金銭的援助をしてくれる相手を見つければ、そうそうにやめていく。
生きていくためには、金がいる。立場より誇りよりも、まず金が。
ヴィラローザは、そんな生き方を否定するつもりは無い。それもまた、一つの戦いだろうと理解しているからだ。
だが、こんな卑怯な手段は気に入らない。
些細な嫌がらせなど気にしないが、人の気持ちを弄ぶようなやり方は、ヴィラローザが最も嫌悪する事だ。
「…………許せない」
「ヴィラ?」
「…………あの男は、女をどれだけ軽く見ているのですか……!」
「ヴィラ? ヴィラさん? ねぇ! 杖がミシミシいってるわよ、大丈夫!? 落ち着いて!」
「これが落ち着いていられますか、ステラ。……彼女のした事は、褒められたことではありません。ですが、人の気持ちを利用して、自分の身だけは安全圏に置き、高みの見物を決め込んでいるような者は……それよりも、遙かに不快です」
ヴィラローザは、目を白黒させている見習い少女を見据えた。
「――デザメールには、私が話を付けます。……貴方は、自分がした事をしっかりと考え、反省し……いい方を探しなさい」
「……え? こ、殺さないんですか?」
「ですから……私は快楽殺人者では無いと、何度言わせる気ですか」
「…………っ」
「貴方のした事は、いけない事です。それだけは、覚えておきなさい。もう、行ってもかまいません」
少女は困惑したように扉とヴィラローザの間で視線をさまよわせた。
やがて、ぺこりと一礼すると小走りに去って行く。
「いいの?」
「この程度の児戯、目を瞑ってさしあげます。……見たところ、彼女は、騎士になりたいと言うよりも、良縁を探しに来た様子。……騒ぎ立てて、これから来るだろう縁を潰す必要も無いでしょう」
「もしも、あの子が騎士を目指していたとしたら、どうするつもりだったのよ」
「――無論、その脆弱な精神を、鍛え直してやります」
くすっと笑い声が聞こえる。ヴィラローザが目線を上に向けると、隣に立っていたステラが笑っていた。
まるで、姉が妹に向けるような、微笑ましそうなものだ。
「まったく。なんだかんだいって、優しいんだから」
「…………はぁ?」
「嫌な顔しない! ……あんたが変わらなくて、嬉しいって事なんだからね!」
でも……と、晴れやかな笑顔を曇らせ、ステラが気遣うような声を発した。
「……デザメールが、せこい嫌がらせをやらせた張本人って事は納得がいくわ。ヴィラが食堂に行く前に、あいつが絡んできたんでしょ? ……絶対、また根に持ってたのよ。だからって、やり口が陰険だし、……なんか……行動が、はやくない?」
「…………」
「普段のあいつならもっと……人に吹聴してまわるとかさ、そういう方法をとるんじゃないかって」
「……どうやら、知らない間に恨みを買っていたようなので」
「恨み……? まぁ、ヴィラがあいつを模擬試合で負かしたせいで、あんたの事を恨んでるのは知ってるけど」
ヴィラローザは、首をかしげた。
「覚えてないの? ……まだ、あんたが新入りの頃よ。あいつ、ヴィラに言い寄ってたじゃない」
「……やたらと挑発はされましたが……」
女のくせに何をしている。
貴族の令嬢が来るところでは無い。
剣を習う暇があるなら、淑女として将来の夫を喜ばせる方法を学ぶべきだ。
誰も相手をしてくれないのなら、自分が教えてやろうか首狩り令嬢。
――などなど、だいぶ好き勝手に言われたのだ。
一度、模擬試合で負かしてからは、顔を見る頻度も減ったが。
「…………それ、言い寄られてたのよ」
呆れたように、ステラがため息を吐いた。
「あんたらしいって言ったら、らしいけどさ……。でも、今回の件、デザメールがやったって証明するのは、無理じゃない? ……だって、初めから切り捨てるつもりで、あの子を良いように利用したんでしょ? しらを切り通されたら、それまでじゃない」
「そうですね……」
頷きながら、ヴィラローザは侮辱的な言葉がずらりと並んだカードを、くるりと指で弄ぶ。
食堂に向かう途中、わざわざ杖をついて歩いていた自分に絡んできた挙げ句、ギルフォードに蹴飛ばされても、名指しで怒りをぶつけてきた男の顔を脳裏に描くが、たちまち不快感がこみ上げてきたため、ぐちゃぐちゃに塗りつぶす。
不愉快極まりない男だが……なによりも許せないのは、このカードに書かれた内容だ。
おそらく、デザメール側が用意したであろう文面。
察することが出来たのは、母娘という言葉があったからだ。
ヴィラローザの母は、確かに元騎士だ。しかし、すでにこの世を去った人間。それなのい、わざわざ持ち出して攻撃の材料に使ったという事は、よほどその事実を苦々しく思っていた人物に違いない。――そういう輩で真っ先に浮かぶのも、やはり……デザメール家の人間だった。
指先に、わずかに力がこもる。くしゃりとカードの端にしわが寄った。
母まで引き合いに出し、こんな陰湿な嫌がらせを仕掛けてきた。自分の手は汚さず、都合のいい他者を利用して。
任務の事もあるが――看過できない。
あの男が、無様な言い逃れで場を切り抜けるというのならば……。
「……それならば――無視できないようにすればいいんです」
ヴィラローザ・デ・エルメは、鋭い目つきで宙をにらみ据え、呟いた。
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