第19話 団長とかつての友
ヴィラローザの母は、騎士だった。
勇猛果敢な女騎士だった。
そして、彼女は誰よりも強かった――強すぎたのだ。婚期を逃し、いつまでも騎士として居座る女を、男達は嘲笑った。外見が、まったく女性らしくなかった事も、男達が欠点として挙げ連ね、馬鹿にしてもいいと思う要因だった。
女は女らしくあるべきだ。でしゃばらず男に従い、美しく着飾り男を楽しませ、柔らかな体で男に癒やしを与え、男を立て……そして、常に男の下にいるべし。
遅れた考えだが、騎士団は今よりももっと男社会。そんな偏った考えの持ち主は、決して少なくなかった。
女の身でありながら、誰よりも強い女騎士を、男達は「女の癖に」と馬鹿にした。
女の身でありながら、少しも女らしくなく、固い筋肉で覆われた体を、男達は「女失格だ」と馬鹿にした。
それでも、ヴィラローザの母は騎士であり続けたし、最強であり続けた。
このまま一生涯を、騎士として終えるのだろう。
誰もが、そう思っていた。
ある者は尊敬を、ある者は憐憫を、ある者は侮蔑を――それぞれの感情でもって、国一番の騎士の未来を、決めつけていた。
けれど、騎士団で一番強いと言われていた女騎士は、当時次期騎士団長とまで噂されていた男と、唐突に結婚した。
彼女は、常に冗談半分で言っていた「私よりも強い男が現れたのならば、大人しく身を引きましょう」と。
自分が疎ましがられている事を知っていたのだが、負かせるほど強い男はいない――そのはずだったのに……。
騎士団で最も強いと言われていた女騎士は、騎士団で次期団長に相応しい“家柄”の男と結婚したのだ。
筋骨隆々の女騎士と、ひょろりとした中性的な男。まるで男女が逆転したかのようなこの夫婦の結婚は、美女と野獣と評されるほどのちぐはぐさだった。
最も強い騎士を、ただの女にして娶った男。――それが、エルメ家の現当主……すなわち、ヴィラローザ・デ・エルメの父親である。
タルテレッテ騎士団の団長であるキースは、向かい合う長椅子に、悠然と座っている男を、じろりと睨み付けた。
「……何をしに来た」
威圧が込められた低い声は、聞く者を震え上がらせるだろう。だが、正面から相対しているにもかかわらず、長椅子に腰掛けている男の表情には、少しの変化も無い。
線が細い優男という風体ではあるが、浮かべた柔和な微笑みは寸分も狂わないのだ。見かけによらず、肝が据わっている事がうかがえる。
しかし、それもまた当然だった。
「……一体何をしに来たと聞いているんだ。エルメ公爵」
こめかみをもみほぐしながら、キースは相手の名前を呼ぶ。
にこにことしていた男は、口を開く。その柔和さに似合う、穏やかな調子で。
「もちろん、遊びに来たのさ」
「…………おい。公爵が、護衛も付けずに一人で出歩くな」
「ははは。君は相変わらず頭が固いね、キース。……お供を連れて、こんな所に来たりしたら、たちまち噂が広がるじゃないか」
実年齢よりも若くみえる男は、朗らかに笑う。しかし、腹の底では何を考えているかは、まるで読めない化け物だ。
もう二十年近くも前のこと、目の前にぶら下がっていた団長という地位を、あっさり投げ捨てて女を選んだ。挙げ句、なんの未練も無くキースに押しつけ、自身はさっさと騎士団をやめてしまった男は、二十年前と変わらない、穏やかなな笑みを浮かべてそこにいる。
「……こちらは暇じゃないんだ。お前の娘が、余計な問題ばかり起こす。……引き取りに来たのなら、諸手を挙げて歓迎してやるが?」
ちくりと嫌味を刺す。しかし、棘のような痛みでは、分厚い面の皮を貫くには至らなかったようで、エルメ公爵はますます笑みを深めただけだった。
「あれはもう、一介の騎士だ。死ぬか折れるかするまで、好きに使えば良いさ」
「…………お前は……っ」
実の娘に対する発言とは思えない言葉に、キースは声を荒らげかけ、慌てて口を噤む。
首狩り公爵家と恐れられる、エルメ家。
類い希なる外面の良さと、人に警戒心を抱かせない、人畜無害そうな雰囲気に流されて皆が忘れがちだが、この男も当然エルメの人間。例に漏れないという事実を知る人間は、おそらく限られているだろう。
「……娘のことでは無いならば、何をしに来た」
「おもしろい噂を聞いたから、常にむっつりしている君にも教えてあげようと思ってね。僕の友情に感謝するといいさ、キース」
「……もったいぶらずに、早く言え。そして、さっさと帰れ」
「デザメールのクソじじい……、あいつは国を売る気だよ。水面下でえげつない見世物を公開して、他国につなぎを取っている。――人を食い殺す、獣っていうね」
「――馬鹿な!」
キースは、思わず勢いよく立ち上がってしまった。
手応えのある反応をどう思ったのか、エルメ公爵はそれまでの無害そうな笑みを引っ込め、愉快そうに薄い笑みを刷いた。
「……そんな馬鹿な事が……! あの方は、元は騎士として国に尽くした方だぞ……!」
「あぁ、そうだったね。じじいもそうだけど、息子の方もそうだった。当時から自己顕示欲が激しくて、実力をつけるよりも先に、目障りな相手を嵌めて押しのけるっていう手法が大好きなクソだった」
とん――。
エルメ公爵が、長椅子の前に置かれた脚の低いテーブルを、人差し指で叩いた。
「……じじいは、実力を素直に認めることが出来ない節穴で、息子は自尊心ばかりが肥大したおぼっちゃん。……どちらも、僕のアミティを、ことごとく貶めたクソ共だった」
「――――」
「奴らには、国のためなんて崇高な理念は無い。この騎士団だって、自分をよりよく見せるための踏み台としかおもっていない。……そう言えば、ここには今、あのじじいの孫がいるんだって?」
一体どこまで話を掴んでいるのか、エルメ公爵はゆったりとした笑みを浮かべたまま、冷たい目でキースを見つめた。
首狩り一族、エルメ。彼らは、戦場の狂人と呼ばれる事もあれば……王の耳……あるいは、王の隠し剣と呼ばれる事もある。――事実を確認出来た者は、誰もいないが。
「……おい、いきなり現役時代の口調になるのはやめろ」
「あぁ、失礼。……つい、嫌な事を思い出してしまってね」
とん――。
エルメ公爵は、またしてもテーブルの面を指で叩く。
「――本当に……ここに来ると、嫌な事ばかり思い出すよ」
とん――。
これが、エルメ公爵である彼が苛立った時の癖である事を知る者は、今ではもう、キース以外誰もいない。
「だったら、無理に来ないでくれ」
「はは」
乾いた笑い声が、室内に響く。
「――来なくて済むなら、僕も近付いたりはしない。けれど、今は小うるさいハエがぶんぶん飛んでいると言うじゃないか。……ここは、たいそうに気に食わない場所だけれど、僕のアミティが生きた証の一つでもある。……それなりに、守る事には協力するさ」
「引っかき回す、の間違いだろう」
「手厳しい」
ひょいと肩をすくめたエルメ公爵は、すでに柔和な笑顔を浮かべている。少し前の、冷たい顔はまるで幻だったように。
けれども、その目は試すようにキースを見ている。
さぁ、君はどうする? と、見返してくるその顔は、タルテレッテ騎士団でなにかと噂に事欠かない娘と似通っていた。
「……詳しく聞かせろ」
どかりと、キースは再び椅子に腰を下ろした。
心得たというように、エルメ公爵は頷く。揺るぎもしない、笑みのまま。
「……娘には、本当に会わなくて良いのか。……彼女は、デザメール家に目を付けられている、いわば渦中の人物だぞ」
「ああ、必要ないよ。……どうせ、似たような顔なんだから、わざわざ見るまでも無い」
性別と年齢の差はあれど、血のつながりがあると、一目で分かる親子の容姿。
――だから、この男は自分の娘を愛さないのだと、キースは常々思う。
自分に年々と似てくる娘を、……愛する女の面差しを宿さなかった娘だから、愛さない。
「……騎士団を、厄介事の押し付け場にするな」
「それは、我がエルメ家と、デザメール家の遺恨について言っているのかな」
「当たり前だ。……お前がまだ現役だったころから、あの家はエルメ家にやたら固執して張り合っていただろう。ただ、お前が上手い具合に立ち回り、向こうを相手にしなかっただけで」
「そうだね。……まさか、あの家の馬鹿共は、その遺恨を親子三代に渡って引きずっているのかな」
くすりと、エルメ公爵が失笑した。
「だとしたら、おかしいね」
「何がだ」
「――……奴らの憤りが、僕の絶望と釣り合うと思っているのか」
部屋の温度が、急に下がった気がした。
キースは、眉間の皺を深くした。
気のせいでは無い。
目の前の男の殺気だ。現役を退いて久しいとは思えない、臓腑まで凍らせるように、冷たいものだ。
「……リヒト」
キースは、重々しい口調で、しばらくぶりに友人の名前を呼ぶ。
どこかを見つめていたエルメ公爵は、ふと空気を緩めて笑った。
「十年前は、後れを取ってしまい、勝手を許した。……けれど、二度目は無い。エルメは必ず、デザメールの首を取る」
「…………」
デザメールは黒だ。
それは、キースも理解している。
ただ、デザメール家の闇を暴くには、取っかかりが必要だった。
――だから、キースはヴィラローザを選んだ。デザメール家とエルメ家は、表だって対立してはいない。
ただ、その関係は決して友好的とはいえないもので、デザメール家でいまだ実権を握っている老翁は、女騎士を軽んじ台頭を疎ましがっていた。
その息子は名ばかりの当主となってはいるが、団長になれなかった事を常に父親に責められているという。そして、家柄だけで手が届くはずだったのにあっさり捨てたリヒトを恨んでいる。
ヴィラローザの父であるエルメ公爵も、彼の妻だった女騎士も、デザメール家とは因縁があるのだ。
そして、そんな父親たちに影響されたのか、デザメール家の一人息子もまた、同輩であり女の身であるヴィラローザに、何かしらの感情を抱いている。
父親や祖父ほど、用心深くは無い……むしろ、浅慮であろう彼と父ほど腹芸と立ち回りには長けていないヴィラローザ。
この二人をぶつかり合わせる事が、狂躁病が発現した原因を探るための、取っかかりであった。
――それは、キースにとっても、十年前からの悲願である。そして、向かい合う公爵にとっても。
「……お前は、娘を利用されて……それでもいいのか」
「構わないさ。……僕は、アミティの仇を討てればそれでいい」
「…………」
哀れだとキースは思った。
それは、父親に省みられないあの女騎士の事だったかも知れないし、目の前でただ笑うだけのかつての友に対しての情でもあった。
あるいは、歪な親子に対する憐憫なのかも知れない。
アミティさえ、いてくれれば――。
キースの胸の中に沸いた、一抹の願望。
それはすでに、十年前に絶たれた願いだった。
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