第16話 一芝居
団長室では、渋い顔の団長が唸っていた。
「……繁殖期の魔獣は、気が立っている。……ヘルゼレ草などという、種の天敵を持ち込めば、それはもう怒髪天で排除にかかるだろうな。あの三人は、自業自得だ」
だが、問題は別にある。
なぜ、禁制となって十年が経つ粉を、三人が持っていたか、だ。
現在隔離され治療を受けている三人組……それぞれ、男爵家、伯爵家の次男三男という身分の彼らだが、禁止となっている粉を手に入れるだけの力が、各家々にあるとは思えない。
「奴ら、運ばれた寝台の上で“こんな話は聞いていない”と泣きわめいているそうだ。……心当たりはあるか?」
鋭い目で睥睨されたが、ヴィラローザは眉一つ動かさず「いいえ」と短く否定した。
「ギルフォード、貴様はどうだ」
「…………」
「粉の臭いを嗅ぎ分けた貴様だ。他にもなにか、思うところがあったら言ってみろ」
「――デザメール」
ギルフォードは、常の無表情で一人の男の名前を口にした。
団長の目に、ぐっと力がこもった。
「……なぜ、その名前が出てくる?」
「におうというなら、あの男が一番臭い」
「く、臭……?」
取り繕うという事を知らない、ギルフォードのあけすけな言葉に、団長は面食らった様子だった。
だが――。
「粉よりも、もっとひどい。――森で殺した魔獣の血臭、あれと同じだ」
感情が一切こもらないギルフォードの声。
淡々と告げられた内容は、さらに上をいった。
「……狂躁獣と、同じにおい……」
それではまるで、あの男が魔獣か――あるいは……染みつくほど、近くにいたか。
だが、デザメールは貴族だ。家柄を鼻にかけ、……家柄だけでのし上がったとまで言われるほどに、今回のような地味な仕事や泥臭い仕事を放棄するような男なのだ。
臭いがうつるほどの討伐任務を、隠れてこなすとは思えない。
また、それだけの力が備わっているとは――お世辞にも言いがたかった。
(そうなると……別の可能性が浮上しますが……)
ヴィラローザは、自分の考えがあまりにも現実的ではないと思った。
わざわざ、魔獣を捕らえ禁じられている毒草を摂取させ――自ら狂躁獣を作り上げ、飼育していたなんて……。利益がないうえ、露見すれば罪になるような愚行だ。
「ヴィラローザ」
「……はい、なんでしょうか」
「――デザメールを探れ」
しかし、団長から下された任務は、まるでヴィラローザが愚行と称した想像を肯定するような内容だった。
「貴様と奴との間に起こったいざこざは、すでに騎士団内に広まっている。……貴様の足の負傷も、すでに多くの者が知る事実だ。……それを利用して、この一件を探れ」
「……まるで、元凶がデザメールであるような言い方ですね」
確信があるのならば、あの男を捕らえて尋問にかければいい。
それだけの事なのに動かないのは――デザメールが家柄だけで騎士になった男だからだ。下手をうてば、不味い事になる。
デザメールの祖父は、退役したとはいえ元騎士団長までつとめている。いわば、騎士団内に顔が利き、口を出せるだけの力を持っている、厄介な存在なのだ。
(……もしも読みが当たって黒ならば、いまだに口出ししてくる老木共……その力の一部をそげる。失敗したとしても、秘密裏の任務ですから……個人の暴走として、私を切り捨ててしまえば、うるさい老木共のご機嫌をとれる。……どちらに転んでも、自分は美味しいところを取れる……そういう訳ですか)
いつまでも、是と返さないヴィラローザをどう思ったのか、団長は威圧するような声で言った。
「勘違いするな、ヴィラローザ。お前は今、エルメ家の令嬢ではなく、ただの騎士だ。下された命令には、すみやかに返答しろ」
勘違いなどしてない。
むしろ、いいように使おうとしているのは、そちらの方ではないか。
内心、辟易しながらもヴィラローザは恭しく礼をした。
「はい。キース・ルドラン団長」
騎士だ騎士だと言いながら、結局は誰もがヴィラローザの後ろにある家名を見ている。
騎士団側が切り捨てたとしても、ヴィラローザには家名があるから、どうとなりなるだろう。だから、良心も痛まない。
ふざけた話だ。
本当に――どこまでも、ふざけた話だ。
笑顔で拳を握りしめたヴィラローザは、隣にいた男が動く気配を察した。
「では団長。俺に、彼女の手伝いを」
「……何?」
「デザメールとヴィラローザの一件は、俺にも責任があります」
「ギルフォード、お前には森の警戒任務にあたってもらいたいのだが……」
「怪我人が、一人で平然と歩いていれば、相手も疑問に思います。ですが、介助者が行動を共にしていれば、怪我の度合いを重くとらえ、なにかしら動くはず」
ヴィラローザは驚いた。
ギルフォードが、長く話している。
それも、随分ともっともらしい事を。
「俺は、この任務、早期解決の必要性があると考えました。助力は惜しみません」
「……ギルフォード、そうか……そこまで騎士団の事を。わかった。お前達二人で、この任務に当たれ」
ギルフォードは礼をした。
団長は、子の成長を目の当たりにした親のような顔でギルフォードを見ている。
(……そういえば、団長が連れてきたのでしたね)
家の横つながりでギルフォードを知り、試しに剣を持たせ才能を見いだした。――それが、この団長だった。
目をかけてきた愛弟子のような存在と、でしゃばり女が双璧と呼ばれる事を苦々しく思っているようだが、二人の関係が揶揄されるような噂が流れた今は、腸が煮えくりかえっているのではないだろうか。
(……だから、私にこんな嫌がらせですか)
そう勘ぐりたくなったヴィラローザだったが、反論はしない。これだから女は、と言われるのが嫌だからだ。
黙って部屋を出る。
ギルフォードも、その後に続いてきた。団長が呼び止めたようだったが「任務に当たります」という返答と共に、豪奢な扉を閉めてしまう。
「……もっとゆっくり話していればいいのに」
「? なぜだ」
「なぜって…………」
話したそうだったから……と言っても、ギルフォードは真顔で「なぜだ?」と問い返してきそうだったので、ヴィラローザは首を横に振った。
「いいえ、別に。明確な理由はありません」
「そうか? ……だったら、足の手当をはやくしよう」
「――え?」
「気になっていた。せっかく戻ってきたのに、治療もせず団長室に向かうから」
ギルフォードが実に珍しく長く喋り、引き留めた相手にも至極最もらしい言葉で話を切り上げたのは――自分の足の怪我を心配していたから。
(う、嘘でしょう……)
ヴィラローザは、たちまち自分の頬が熱くなるのを感じた。
「ヴィラローザ? どうした? 動けないか? ――抱いていくか」
「やめてください!」
照れているのだが、それを察しなかったギルフォードは、見当違いの……だが、彼らしい思いやりを発揮し、両手を広げた。
あの、人目に付かない森でならばいざ知らず、騎士団内でなど冗談では無い。ヴィラローザは即座にお断りした。
「……わ、私の事を気にしてくれるのは……その、嬉しいですが……、今は任された任務を優先させるべきで――ひゃあっ!?」
赤い顔のまま、けれども懸命に平静を装い、最もらしい事を口にしたヴィラローザだが、途中で悲鳴に変わる。
「な、何をするんですか!」
油断していた彼女は、ギルフォードに横抱きにされていた。
抗議をこめてジタバタと暴れると、赤い目が近付いてくる。鼻先が触れそうな距離で、ギルフォードが言った。
「埒があかない。抱いていく」
無造作に伸ばしている黒髪が、さらりとヴィラローザの頬を撫でて離れていく。
「――は、話の最中ですよ、非常識な……!」
「話は、このまま移動しながらでも出来るから、いいぞ。俺はお前の声も好きだ。たくさん聞きたい」
「そういう事ではなくて……!」
「ん?」
不思議そうに見下ろされ、ヴィラローザはとっさにギルフォードの胸板に顔を埋めてしまった。
(し、しまった……! これでは、余計に恥ずかしいではありませんか……!!)
真っ赤になっている自分の顔を見られたくないという羞恥心から、とっさに起こした行動は、さらなる羞恥を招いてしまった。
どうしたらいいのだと、内心大慌てだったヴィラローザに、上からぽつりと「ある言葉」が降ってくる。
「……天使……」
「――は?」
「……俺の腕の中に、天使がいる……!」
「はぁ?」
ギルフォードはいつも通りの無表情――そのはずだが、彼をもっとも印象づける赤い双眸は、いつになくとろんと蕩けているというか……熱っぽいというか……。
(うっとりしている……?)
どこにそんな要素があったのか、ヴィラローザには甚だ疑問であったが、ギルフォードの中では感性にぐさりと刺さる要因があったらしい。瞬きすらおしいとばかりに、ヴィラローザを凝視している。
「……やっぱり、自分で歩きます」
「駄目だ」
「どうしてですか……!」
「俺が寂しい」
「うっ……!!」
直球だった。
まどろっこしい言い訳を並べてくれたなら、やかましいと一蹴してしまえただろうに。
「…………嫌か?」
それに、言ったそばから、この心細そうな問いかけだ。無意識だとしたら、この男はなんて質が悪いのだろう。今は、正直何を言っても勝てる気がしないと、ヴィラローザは口を引き結んだ。
「ヴィラローザ?」
それでも、言質を取らなければ安心しないギルフォードに名前を呼ばれれば、答えない訳にはいかなかった。
「……もう、勝手にしてください……」
「――! わかった……!」
弾んだ声に、ヴィラローザも引き結んでいた唇を、ちょっとだけ緩めてしまった。
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