第7話 心配事

『ねぇ、お母様。お母様は、どうして騎士をやめてしまったの? とてもとても強い騎士だったんでしょう?』


 子供に作られた練習用の剣を抱えた娘の問いかけに、ヴィラローザの母は小さく笑って視線を合わせるようにしゃがんでくれた。


『それはね、ヴィラ。――剣よりも、騎士である事よりも、もっと大切なものが出来たからよ』

『大切なもの?』

『もちろん、貴方とお父様の事よ、ヴィラローザ』


 大切だと母から言ってもらえることは嬉しいけれど、母の言葉は子供にはまだ難しかった。


『…………お母様、ヴィラローザには、少し難しいです……』

『ふふ、まだ小さいものね。でも……貴方にも、きっといつか分かる日が来るわ』


 自分の頬を撫でる、傷のある少しかさついた指。

 子供の柔らかい肌を傷つけまいと配慮し、慎重に……けれども愛情深く触れてくるあたたかい母の手。


 けれど、最愛の母の言葉を理解出来る日は――未だに遠い。


◆◆◆


 その日、食堂の一席でヴィラローザは昼食をとっていた。


「…………はぁ…………」


 ただ、まったく食事は進まない。

 同席した友人が、不審そうに凝視しても、まったく気が付かない。


「ヴィラ……?」

「………………はぁー…………」


 口からは、深いため息ばかりがこぼれる始末。

 とうとう同僚の女騎士であるステラは、友人であるヴィラローザの肩を、少しばかり力を込めて揺さぶった。


「ヴィラローザ? ねぇ、大丈夫? なんか……皿の上の芋、ぐっちゃぐちゃなんだけど……!」

「…………はぁ…………」

「……ダメだ……重症だわ、これは……。ねぇヴィラ、ギルフォードと何かあったの?」


 ぴたり。

 ずっと皿の上の芋を突き刺していたフォークが止まる。

 ヴィラローザは、ゆっくりとステラの方を振り向いた。


「この期に及んでっ……アレと、何かなど……! あってたまりますか……!」


 その機嫌の悪さに、ステラは何かあったと察してしまった。


「なーに? 一体どうしたのよ」

「…………何もありません」


 言いながら、ヴィラローザは止まっていた食事を再開する。


 食べ物で遊ぶのは感心しないが、自分でぐちゃぐちゃにした芋を、残さずきちんと食べるところは、庶民出であるステラにとっては好感が持てるところだ。


 首狩り魔だなんだと、物騒な噂ばかりが先行するヴィラローザだから、寄ってくる人間は少ない。


 けれど、他の貴族組が馬鹿にして食べなかったり、わざとぐちゃぐちゃにして床に捨てたりする食事を、ヴィラローザは不満一つこぼさず綺麗に食べる。


 それを見ていたステラは、噂ほど悪い人間では無いと思い、ある日一人で食べるヴィラローザに声をかけ……それが縁で親しくなった。


 慣れれば結構可愛い所がある友人に、最近降ってわいた恋の噂。ステラは面白がって茶化したりした部分もあるが――少しだけ心配もしていた。

 ヴィラローザの様子が、日を追うごとにおかしくなっていくのだから、気にするなと言う方が無理だ。やつれていく……というより、荒んでいる。


 迂闊に近付けば殺られるという雰囲気を出していたかと思えば、今のように上の空といった感じでぼーっと呆けていたり……。

 

「あのねぇ、ヴィラ。何でもないように見えないから、聞いてるの」

「…………」

「ギルフォードに、何か……嫌な事でも言われたの?」


 首を横に振るヴィラローザ。もっとも、超絶寡黙と評判の赤い目の男が、皮肉なんて言葉を知っているとは思えない。気の利いたセリフ一つ言えない男が、皮肉なんぞを吐いたとすれば、それはそれでゆゆしき事態である。


「じゃあ、あれ? ……この前、ピカピカ男に絡まれたって聞いたけど……」

「ピカピカ男……? どなたのことですか?」


 ステラは、周りを確認した後、声を潜めてヴィラローザに耳打ちした。


「デザメールの事よ……!」

「……あぁ」


 庶民を馬鹿にして止まないデザメールは、貴族組の取り巻きこそ多いが、庶民組からは男女問わず嫌われている。本人の普段の行動が、自分以外の全てを見下したものだから、自業自得であるので、ヴィラローザもまったく同情しないし、デザメール自身も気にしていない。声を潜める必要もない、事実だろう。


「……そんな方もいましたね」

「もう、しっかりしなよ、ヴィラ……! あんた達が揉めてたって話、女子寮にまで噂が広まってるんだよ? ――デザメールが尻もちついて、無様に逃げ帰ったって」

「……はぁ……」


 聞いているんだかいないんだか分からないヴィラローザの態度。

 ステラは焦れたように再度、肩を揺さぶる。


「だ~か~らぁ~っ! ……アイツ、寮で目立つ振る舞いしておいて、あんたが言い触らしたって思い込んでるみたいなの……! 図星を指された腹いせに、自分の有り得ない失態をねつ造しているんだとか吹かしてさ……!」

「…………はぁ」

「もう、しゃんとして! ……あんた、逆恨みされてるんだよ……! 普段なら、そんな奴返り討ちだろうけど……今のヴィラじゃ、心配で心配でしょうがないわ……!」


 なにせ、デザメールには家柄に釣られた取り巻きが大勢いる。

 ヴィラローザとて、家柄は公爵家と申し分ないが――あいにくエルメの名は血なまぐさく、そのうえ彼女自身の性格が苛烈すぎて、よってくる腰巾着がいないのだ。


 取り巻きがいないという事は、いざというとき盾になるものが無いという事。

 ステラや他の友人達も、いざとなれば力になるつもりだが……事が家柄の話にまで及ぶと、残念ながら手に余る。……いや、庶民組と言われる平民出のステラ達には、手が出せない領域になってしまうのだ。


 だから、当事者であるヴィラローザを、なんとかして立ち直らせ、普段通りの彼女に戻そうと必死になっている。――女が男に負ける……それも、デザメールのような逆恨み感情を抱いている男に負けたとなれば、ただ勝負の勝ち負けで話が終わるとは思えない。


「私が、男に負けるわけが無いでしょう」

「…………こういう所は、いつものヴィラなんだけどねぇ」


 ステラの懸念を一蹴するように、自信満々の笑みを浮かべたヴィラローザ。

 その姿は、頼もしいの一言に尽きる。

 直前まで芋をチクチクして、鬱陶しいため息をついていたとは思えない変わり身だ。


 それでも手放しに喜べないのは――。


「あ、ギルフォード」

「っ!」


 騎士団最強の男と呼ばれる、赤い目をした彼の名前を聞いた途端、ヴィラローザの顔色が変わるからだ。


「……嘘だよ」

「なっ……!」

「ねぇ、いい加減吐いちゃいなよ。……何かあったんでしょ?」

「…………何もありません。……ただ」

「ただ?」

「人違いが、分かっただけ……。それだけです」


 呟いたヴィラローザは、まるで失恋した少女のような表情を浮かべていた。

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