第6話 女騎士の憂鬱
昼下がりの書庫は、人の気配もまばらで静かだ。
わざわざギルフォードに謝りに行ったのに、結果またしても幼稚な行動をとってしまったヴィラローザは、自己嫌悪の真っ最中だった。
非番だが、出かける気にも、自主練習する気にもなれず、書庫の隅で本をめくっていた。
題目は『魔獣でも分かる!? 伝わる謝罪術』である。しかし、内容はちっとも頭に入ってこない。
ため息をついたところで、自分の方へ近付いてくる一人分の足音が聞こえて、顔を上げた。
にこにこと、貼り付けたような笑顔が胡散臭い、男が一人。
ルイス・テノーラ。宿敵ギルフォードの親友である。
「やぁ、ヴィラローザ」
「消えてくださいスケコマシ」
腹の中では何を考えているのか、分かったものでは無い男に対し辛辣な挨拶を返すと、普段は爽やかと評されるルイスの笑顔も引き攣った。
だが、人の顔色など物ともしないのがヴィラローザ・デ・エルメである。
自業自得な行動の他にも、腹立たし噂のせいで、どこにいても面白がるような視線を向けられる事に辟易した彼女は、空き時間を書庫の片隅で過ごす事を決めたのだ。今は、邪魔者を受け付けていない。
「え、えーと……何を読んでいるんだ?」
愛想笑いすら抜いた、もはや挨拶でも何でも無い一言を投げつけた筈だった。それなのに、ルイスはなぜか、場に留まる。
普段なら、嫌味の一つや二つ言い残し、いなくなる……いや、そもそも声などかけてこないだろう男だ。
なぜ、今日に限って、それもわざわざ目立たない書庫の片隅にいた自分に声などかけてきたのか――そう考えると、意識せずともヴィラローザの目が剣呑さを帯びていく。
「今すぐ消えてください。かなうならば、即刻お願いします。それが出来ないのならば、今すぐ口を閉じて私の視界に入らず、ついでに同じ空間で息をしないで下さい」
「君、それ端的にいえばオレに死ねって言ってるよな!? 特に最後!!」
あんまりだと叫ぶルイスに、書庫では静かにするべきだとヴィラローザが冷たい視線を向ける。
だがしかし、これだけ言ったのにいまだに立ち去る気配が無い。
これはいよいよ何かある。
察したくないけれど察してしまったヴィラローザは、心底煩わしい思いで、読みかけの本をぱたんと閉じた。
「いちいち、大きな声で騒がないで下さい。ここは書庫ですよ。……それに、どうせ貴方の用件など、ギルフォードの事でしょう」
目的を指摘してやると、隠す気などもとより無かったのか、ルイスは正解と口笛を吹く。
書庫での行動では無いと睨むと、彼はつまらなそうに肩をすくめた後、真面目な顔になった。
「わかっているなら話が早い。……というか、分かっているなら、これ以上ギルフォードを苛めるのはやめてくれ。君が寮を立ち去った後、何があったと思う? アイツ、真顔で剣の手入れを始めたんだぞ? 挙げ句の果てには、君と心中するとか言い出す始末だ。……オレが止めてなかったら、今頃君とアイツは仲良くあの世だ」
何を言い出すかと思えば。
ヴィラローザは、鼻先で笑った。
「ハッ! 私が勝つに決まっているでしょう」
「いや、これは勝ち負けの問題じゃ無くて……! ……ま、まぁいいや――あのさ、君は、ギルフォードの事が、嫌いなのか?」
ぼそぼそと呟いて額を押さえたルイスだったが、大きくかぶりを振ると、またしても不思議な話題を振ってきた。
「私が、あの男を、嫌いですって?」
「あ、あぁ……だって君、アタリがキツイじゃないか」
じろりと睨み付けると、ルイスは若干怯えたような顔で一歩引いた。
けれど、ヴィラローザにはそんな事どうでもいい。
頭の中に浮かぶのは、赤い目した……自分にまったく関心が無いような男の顔だ。
――じりっと頭の内側が焼けるような感覚がする。
これは、怒りだ。
「ルイス・テノーラ。間違えないで下さい」
どこまでも一方通行な……、やり場の無い怒りだ。
「嫌いではなく、大嫌いなのです」
仮にも親友である二人だ。ヴィラローザは、もともと貴族を良く思っていないルイスが怒ると思っていた。
けれど、予想に反して、ルイスは苦笑を浮かべただけに留まる。
思っても見なかった反応を訝しむヴィラローザに、何を思ったのか――ルイスはとんでもないことを、苦笑交じりに告げた。
「そうかい。でも、アイツは君の事を慕っているんだ」
「――……え?」
驚いた。無意識に、声を上げてしまうほどに。
信じられない言葉を聞いたから、当然だ。
それなのに、ヴィラローザの反応を見たルイスまでもが、ひどく驚いた顔をしている。
「えっ……って? もしかして君、知らなかったのか!? オレはてっきり、知っててアイツの気持ちを弄んでいるんだとばかり!」
「は? それは、私を侮辱しているんですか? 決闘ならば、いつでも受けて立ちますが?」
誰も彼もが、冗談では無い。
ギルフォードと一夜を共にした事などないのに、この男までその手のネタで人を馬鹿にするのか。
あまりの腹立たしさからヴィラローザが立ち上がると、ルイスは慌てて首を横に振り、行動を思いとどまってくれと訴えるよう両手を前に突き出した。
「い、いや、だって君はアイツにとって恩人なんだろう? それなのに、態度が毎度毎度キツイから――」
「……恩人? 一体、なんの話ですか?」
「なんのって……」
ルイスの顔に、怪訝な色が加わった。
「えーと……ちょっと、確認したいことがあるんだが、いいかな?」
「手短にお願いします」
「君はギルフォードと、子供の頃からの友人だろう?」
ヴィラローザは、まず自分の耳を疑った。次いで、ルイスが冗談でも言っているのかと思った。
どちらも違うようで、彼は真面目な顔で返答を待っている。
「あいにくですが、私がギルフォードを知ったのは、あの男が騎士団に入ってきた後……凄腕の剣士が入団してきたと騒がれ始めてからですよ」
「……げっ」
事実を口にしただけだというのに、何が気に食わなかったのかルイスの顔が歪む。
「――待ちなさい。人が親切に答えたのに、その潰れたようなうめき声は、何ですか?」
「いや、だって……! これ、最悪な展開じゃないか……!?」
「最悪? この前からずっと、最悪極まりない状況だというのに、何を今更。というか……先ほどから何度も言っているはずです。声が大きいと」
「君は、もっと動じろよ!」
一人慌てふためくルイスを注意しつつ、ヴィラローザは細い眉をひそめる。
何を動じる必要があるのかと。
(……私の家名を利用……ではなくて……単なる人違いの可能性が出てきたわけですか)
どちらにせよ、出せる結論は、同じだ。
(ギルフォードは、私を見ていない)
不思議と今度は冷静だった。
空回りする怒りもわいてこない。
ただ、胸のあたりに何かがつっかえたように、不快なだけだ。
「話が終わりなら、いい加減に立ち去って貰ってもいいですか?」
「冷静に言うなよ」
冷静に言う以外、どうすればいい。違うやり方があるなら、教えて欲しい気分だった。
「――貴方が……いいえ、あの男が、誰と私を間違えているのか知りませんが……今の話で理解出来たでしょう? 人違いだと、あの男に伝えて下さい。そして、騎士団内に蔓延した腹立たしい噂を、直ちに払拭させるように。……本当に、迷惑です」
ルイス・テノーラは立ち去らない。
是とも否とも答えない。
それならば、自分がここから立ち去るだけだとヴィラローザは本を棚に戻すと歩き出した。
――読みかけの本。この続きを読む必要は、もう無い。謝りたいと思っている相手は、自分の事などなんとも思っていないのだから。
ルイスの口から真実が伝えられれば、たちまち石ころでも見るような目に変わるだろう。
「ちょ……ヴィラローザ……、君……!」
「あんな男……本当にもう、大っ嫌いです」
家名が目当てだと思ったときよりも、あの唐変木には心から想う人がいて、その相手と自分が間違えられていたと分かった今の方が――ずっとずっと、不快だった。
一人、書庫の片隅に取り残されたルイスは片手で頭をかいた。
「まいったな……」
顔をしかめ、不味い事を言ったと後悔しているようにも見える彼は、そのままヴィラローザが先刻棚に戻したばかりの本の背表紙をなぞる。
「……伝わる謝罪術、ね。意外と可愛いところあるじゃん、お貴族様」
彼女の中で、何がどう繋がったのかは分からないが、少なくとも人違いだと言った時、ヴィラローザは傷ついていた。
そして、大嫌いだと言って立ち去った時の顔は――。
「まったく……大好きだって言ってるようなもんだろ、あれ。なんつー面倒くさい拗らせ女だ」
仕方ない、とルイスは笑う。
「お貴族様は、それでいいのかも知れないけど、そうなると死ぬだの殺すだのうるさい親友がいるからな。……君にはもうちょっと、付き合って貰うぜ」
人違いも何も、全部ヴィラローザが勝手に判断したことだ。
お互いが向かい合わなければいけない。
あの不器用で面倒な二人は、まずはそこから始めなければ。
親友が突発的に始めた求婚劇は、まだ終わらない。――終わらせない。
ルイスは本を棚に戻すと、不敵に笑う。
今までは、まったく見えなかったヴィラローザ・デ・エルメの本心を、うかがい知れた。
それは、充分な収穫だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます