第5話 彼の思考は振り切れている

 ギルフォードという男は、あまり表情を変えない。……というか、感情もあらわに喜んだり怒ったり泣いたりしたところを、ルイスは見た事が無い。おそらく、騎士団の誰も、見た事が無いだろう。


 ただ、そんな感情表現が希薄な男の心を、僅かでも動かす存在がいた。


 首狩り公爵家の一人娘、ヴィラローザ。

 普段は凪いだ水面のような男が、あの女騎士に関してだけは、いくらでも水面に波を立てる。

 ――今現在も、まさにそんな状態であった。

 物騒な事をポツポツ呟いていたギルフォードを、彼の自室に引っ張ってきたルイスは、深々とため息をついた。


「で? 何がどうして、どうなったんだ?」

「…………ヴィラローザが」

「おう」

「……俺を……大っっっっっ嫌い……だと」

「はぁ? あ~……まぁ……、あの高飛車傲慢を地で行くお貴族様なら、大嫌いくらい言うだろうな」


 最近、出回っている噂からも、彼女の鬱憤は相当なものだったと推測出来る。


 だが、わざわざそんな事を言うためだけにギルフォードを訪ねてきたのだとしたら、また随分と性格が悪い女だと、ルイスは肩をすくめた。


「違う」


 部屋に戻るなりルイスに背を向け、なにやらごそごそと動き始めたギルフォードは、聞いていないようでいてしっかり話を聞いており、間髪入れずに否定してくる。


「何が?」


 一応、何が違うのかとルイスが確認すると……。


「大嫌いじゃない、大っっっっっ嫌いだ。大と嫌いの間に、だいぶタメが入っていた」

「あ、そっちかよ」


 普段は食堂のスープが塩辛くても、ただのお湯並みに薄くても、一切文句を言わない男が、あの女騎士の発言に関してだけは、細々した部分にまで訂正を入れてくる。


 ギルフォードの愛は、ルイスからみれば明らかで、これ以上無いくらいに分かりやすい。


(時々、行きすぎててコイツやばいんじゃないかって思うときもあるけどな。今みたいに……)


 再度、嘆息したルイスは親友の背中に声をかけた。


「で? お前はさっきから何してるんだ、ギルドフォード? どこぞの戦場にでも行くつもりか?」

「…………」

 

 ルイスの声に応じるように振り返ったギルフォードの手には、しっかりと剣がにぎってあった。


 手入れ道具が床に散らばっているのは、会話の最中ずっと剣の手入れをしていたからだ。


 ――振り返った親友の顔は、空っぽだった。感情など、一欠片すら存在しないのではないかと疑うほどに。そして珍しい赤い目は、どろりと濁っているように思える。


 悲鳴を上げなかったのは、奇跡だった。

 ルイスは、ギルフォードの雰囲気の呑まれないようにふんばり、呆れたような声を装い続けた。


「どうなんだ、ギルフォード。剣をもって、物騒な空気まき散らして、どこへ行くつもりだ?」


 視線が交錯し、沈黙が流れた。

 ごくり、とルイスが緊張からツバを飲み込む。


 もしもギルフォードがここで、誰かを害しに行く等と言えば……親友として、騎士として、己がこの場で足止めする覚悟だったのだが――。


「…………死ぬ」

「――はい?」

 

 予想だにしていなかった返答に、ルイスの口から間抜けな声が漏れる。


 ギルドフォードは、それに気勢を削がれた風も無く――決死の表情を浮かべ、血を吐くような声で言った。


「――彼女を殺して、俺も死ぬっ……!!」

「ちょっと待てぇい!!」


 それは、世間一般的に無理心中と言われる行為だ。


 今ここで剣を抜くつもりが無いのは幸いだが、看過できる発言では無い。ルイスは、ギルドフォードを必死に押しとどめる。


「待て待て待て待て、ホントに待ってくれ! どうしてそうなった! 早まらないで、お兄さんに相談してみろって! なっ!?」

「嫌われたから……」

「え? ごめん、理由って、それだけ?」

「……生きる意味が消えた。充分な理由だ」


 ルイスには拍子抜けもいい所だが、ギルドフォードにとってはこの世の終わりを宣告されたも同然だったらしい。

 

「あんなタメを入れて、力一杯言い捨てるほど俺の事が嫌いなんだ。俺は、捨てられるという事だろう? 彼女に捨てられたら、俺なんてもう……生き続ける理由が無い。……けれど、彼女が他の誰かに笑いかける姿なんて……想像するだけで気が狂う……だから……だったら……いっそうの事……!」


 少しも動じていないように見えて、実は日々精一杯だったギルフォードから、追い詰められた心情を吐露されたルイスは、途方に暮れた。


「だからってなぁ、心中はまずいだろ」

「…………」

「つーか……前から疑問だったんだけど……あの傲慢お貴族様の、どこがそんなにいいんだ?」


 ――ルイスが知るギルフォードは、極めて表情変化に乏しく、感情の起伏というものが欠けている……そんな男だ。


 ギルドフォードがあのヴィラローザを好いている事だって、偶然知ったのだ。


 好みの女の子の話題になったとき、たまたま茶化したルイスに「俺は、ヴィラローザがいい」と、口数少ないギルドフォードがはっきりと言った事で発覚したのだから。あの時の衝撃は、今でもはっきりと記憶している。


 けれど、なぜここまで……一種、病的なほど固執するのかが分からなかった。


 ちょっと思考が極端すぎる男だが、顔はいい。少し行動的になれば、もっと性格も良く可愛らしい女を捕まえられるだろうに。


 親友だが、女の趣味はまったく理解できないルイスが問えば、ギルフォードは――笑った。


「彼女は、俺の恩人だ」


 少年が、憧れを語るような……誇らしげで嬉しげで、どこまでも純粋な表情だった。

 一瞬前に、やれ死ぬだの殺すだの口にしていた男がする表情とは思えないほどに。


「俺の手を、握ってくれた。俺に、笑いかけてくれた。俺に、名前を聞いてくれた。……俺と、一緒にいてくれた」


 宝物をこっそりと見せるように、静かだが浮き足だった声は、よどみなく語る。


「ヴィラローザは、俺を人間にしてくれたんだ」


 ――今でも、はっきりと思い出せると、ギルドフォードは目を細めた。


 あの男に、無理矢理連れて行かれた貴族の屋敷……二人が出会った切っ掛けを、ギルドフォードは珍しく饒舌な口ぶりで話し始めた。



 ◆◆◆



 ギルフォードの目は、赤い。


 血を凍らせたような赤い色を、人々は気味悪がった。彼を産んだ母親が、育てること無く捨てたのは、赤子の目を気味悪がったからだと孤児院の院長は語っていた。その院長も、ギルフォードの目を気味悪く思い、下働き同然に扱った。時に物珍しい赤い色を笑いものにしたりするくらいで、誰もギルフォードに話しかけたりはしない。


 触ると汚い、赤目の病気がうつると孤児院の子供達に石を投げられても、庇ってくれる存在も手当てしてくれる人もいない。その孤児院の環境はもともと劣悪で、子供達も常に見下す対象を探していた。虐げても許される存在を求めていた。


 孤児院の中という閉じた世界で、気味の悪い赤目の子供は、なにをしてもいい最下層の存在だった。


 こうして、言葉も満足に話せない、獣のような子供は形成された。


 常日頃から好奇や嫌悪、蔑みの視線にさらされていれば、いつしか慣れてしまう。

 ギルフォードは、自分の名前を知るよりも先に、悪意を知り、それに慣れてしまった。


 転機が訪れたのは、孤児院の違法な実態が明らかになってからだ。

 賭博に興じていた職員達は突然踏み込んできた騎士達に捕まった。院長は、金の入った袋を抱え、窓から逃げだそうとしていたところを先回りしていた騎士に捕らえられた。


 そして、子供達は無事に保護され――……ギルフォードは、たまたま奪われることなく持っていた(宝石に傷があったから値打ちが無いと判断されたのかも知れない)指輪の裏側に掘られた名前と、宝石部分に刻み込まれていた隠し紋章により、父の元へ引き取られた。


 彼が正確に“ギルフォード”となったのは、父と名乗る男の元へ引き取られてからだ。


 ただ、別段変わったことは無かった。珍しい赤い目は、場所が貴族の社交場へかわろうと、常に好奇の目に晒された。今まで顔も知らなかった貴族の父親に引き取られてからは、直接暴力をふるわれる機会こそ減ったものの、わずらわしい視線は余計に顕著になったのだ。


 連れて行かれる先々では、まるで珍獣でもみるように貴族たちはこぞって気味が悪いと笑いながらささやき合っていた――。


「なんだそれ、最悪じゃないか! くそっ、これだから貴族は……!」


 話を聞いていたルイスは、気分が悪いと吐き捨てる。

 しかし、ギルフォードは何も思うところが無いと、首を横に振った。


「貴族? 貴族は関係無い。孤児院の院長は、貴族では無かった。孤児院にいた子供達もだ。……この目は、身分を問わずに人を不快にする。それだけだろう」

「……っ……!」


 ギルフォードを虐げたのは、貴族だけではない。むしろ、それまで置かれていた環境の方が、劣悪であった。


 意図してか否か、冷静に指摘されたルイスは言葉に詰まる。ルイスは貧しい村の出身で、貴族を嫌っている。その分、過剰に平民に肩入れしている彼だから、どうしても同じ平民がした事を、なじれなかったのだ。


 その矛盾を突かれてしまい、返す言葉が無くなってしまった。

 ギルフォードの言葉こそ、もっともだったから。


「……俺が彼女と……ヴィラローザと出会ったのは……十三回目の貴族の集まりだった」


 恥じ入るルイスを置いてけぼりにし、ギルフォードが続けた。淡々として感情がこもっていなかったこれまでの経緯。そこから一転、声色が明るくなった。


 正直、参加した回数まで正確に把握しているのは気持ち悪いが、ギルフォードが置かれていた環境を考えれば、無下に指摘も出来ない。ルイスは、そこまで無神経な人間ではないのだ。


 恥じ入り、自分の偏った考えを反省していたルイスが出来たことは、ただ一つ。


 神妙な顔で、ギルフォードの話を聞くことだけだった。



 ギルフォードが、父親だという男に連れられて行った貴族の集まり。場所も人も違えと、それは数えること十三回目の、夜の集まりだった。


 その日も大人達にあからさまな視線を浴びせられ、その次には待っていたかのように子供達に絡まれていたギルフォード。


 どうでもいいとすら思って、全てに対しなすがまま従っていた彼を助けてくれたのは――金の髪の、ふわふわしたドレスを身にまとった女の子。


 貴族の子弟達に囲まれていたギルフォードの手を引いて、助け出してくれた彼女の名前は、ヴィラローザ。


「……天使だと思った」

「えっ、あれが!? ――あ、いや……口さえ開かなければ、まぁ、そんな風に見えないこともない……だろうけど……」


 むしろ率先して馬鹿にしてきそうな相手だと思うのは、ルイスだけらしい。非常に珍しい事に、ギルフォードに睨まれる。


「……初めてだったんだ。こんな……気持ち悪い俺に、嫌な顔もせず触れてきた他人なんて、誰もいなかったから」

「……ギルフォード……」


 それ以上、ギルフォードは語らなかった。

 だが、ルイスはもう彼の気持ちを揶揄するような気分にはならなかった。


 自分を助けてくれた事。それが、ギルフォードが一途すぎる恋に落ちたきっかけなのだろう。


 手を引いてくれた。ただそれだけだの事が、人慣れしていなかったギルフォードには本当にうれしいことだったのだ。


 普段は寡黙な男が、別人のように饒舌になり、顔には柔らかい笑みを浮かべている。


「……わかったよ、ギルフォード」


 正直、今までは面白半分だった。

 しかし、実はこの手の話に弱いルイスは、今痛烈にこの男の恋を成就させてやりたいと思っていた。


「――お前の気持ちは、よく分かった……!」

「そうか? ……ところで、なぜ鼻水を垂らしている? 寒いのか?」

「なんでそうなる! 今の話を聞いて、もらい泣きしてるんだよ馬鹿野郎!! ヴィラローザを怒らせるのは、そういう無神経なところが原因だぞ!?」

「無神経? ……そうか……俺は、彼女に対して無神経だったのか……。だから嫌われてしまったのか……ならば、やはり死んで詫びるしか……」


 いや、お前は全方位に対して無神経な男だと言いたかったが、ルイスは堪えた。


 どうせ、ヴィラローザに関する事でしか、この男は動かないと察したからだ。

 だが、このまま放置して親友を心中させるわけにはいかない。


「とりあえず、ギルフォード」

「……なんだ?」


 天を仰ぎたい衝動に駆られたルイスだが、彼はなんだかんだいって情に脆く友情に厚い……かなりのお人好しであった。


 よって、見捨てることも出来ず、話を聞いた今諦めろとも言えず、苦肉の策として選んだのは――。


「飲むぞ!」


 心中宣言した男を、このまま野放しには出来ない。ルイスはガシッとギルフォードの肩をつかみ、つとめて明るい声で、ギルフォードの部屋に転がっていた酒瓶を手に取り言った。


「それで、もっと話を聞かせろよ! 大丈夫、大丈夫、百戦錬磨のルイス様が、ヴィラローザの攻略法を伝授してやるから!」


 実際は勝算などゼロだったが、ルイスのはったり笑顔を、ギルフォードは見破れなかった。


 いや、ルイスが強引に酒瓶を彼に押しつけたから、言い返す暇がなかったのかもしれないが。


 ――酒を飲ませて、酔い潰す。

 ルイスが取った心中回避のための緊急手段。剣では押し負けるものの、飲み比べならば、甲乙つけがたい勝負ができる。


 ルイスにとっては、ギルフォードに対して、これ以上無いほどの有効手段だった。

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