第4話 不本意
もしも、あの日に戻れるのならば――唐変木が保護者付きで部屋を訪ねてきた、あの忌々しき日に戻る事が出来るのならば、自分は絶対に扉を開けたりしなかった。
己の迂闊な選択を、ここ最近ずっと後悔している。
――ヴィラローザは常に自分が比較されている男、ギルフォードから決闘まがいの求婚を申し込まれた。気に食わない縁談を避けるためにと求められた、体の良いお飾りだが。
しかし、まだ了承もしていないうち、よりにもよって、ギルフォードは食堂でヴィラローザに「結婚しろ」などと口にしたのだ。
“あの夜”などという、ありもしない事をねつ造してまでも、家に持ち込まれた縁談か嫌なのだろうが、一切同情は出来ない。
自分を利用しようとしている男に、同情など出来るはずがない。
そのせいで、まわりはやたら面白がるし、水面下では賭まで始まっているらしい。
全くもって不愉快だと、ここ数日ずっと腹立たしかった。
昨日、思わずギルフォードを前にして、子供じみた癇癪を起こしてしまうほどに。
(……あれだけは、私の失態でした……)
常に平常心で、動揺など見せてはいけない。
ヴィラローザ・デ・エルメは、国一番の騎士になるのだから。
そう、己の母のような――。
(ならば、汚点は速やかに修正しなければ……!)
意気込むヴィラローザは、騎士団宿舎の男子棟にいる。
ツカツカと風を切って歩くヴィラローザを見た何人かが、乙女のような悲鳴を上げ、柱の陰に隠れた。
「ななななななんで首狩り魔が……!?」
「……もしかして、アレじゃないか?」
「ひいっ、例のアレか?」
顔を見合わせた騎士達は、揃って青ざめた。
「首狩り魔、業を煮やして、ギルフォードの首を取りに来たのか!!」
「まずい、まずいぞ! ……とにかく、ルイスを呼んでこよう!」
ヴィラローザとギルフォードは、騎士団で五本指に入るほどの実力者同士。
ぶつかり合えば、ただではすまない事は、誰にでも理解出来た。
平和的解決を望むならば、対話が一番だが、もう一人の当事者であるギルフォードは、口数が少なすぎる。剣の才には長けているものの、会話術はからっきし……もはや、壊滅的といってしまってもいい程である。
こういう時に頼りになるのは、ギルフォードとよく連み、翻訳機とまで言われているルイスだ。
つまりは、丸投げなのだが――首狩り魔と恐れられるヴィラローザの姿を、運悪く目撃してしまった二人の騎士は、必死だった。
◆◆◆
「エルメ嬢、なぜ貴方がこのような場所へ?」
ギルフォードの部屋を目指し歩いていたヴィラローザは、蜂蜜を塗りたぐったケーキを彷彿とされる甘ったるい声に、眉を寄せて足を止めた。
「…………」
ちらりと声の方に視線を向けると、豪奢な金髪に翡翠色の瞳を持った男が、薄い笑みを浮かべて立っていた。
頭のてっぺんからつま先まで、汚れ一つ見当たらない。さながら磨き抜かれた彫刻のような姿形をしている。
身につけている衣服も一級品だ。
ぱっと見ただけで、この男が上流階級の人間だと分かるだろう。
――そんな男に声をかけられたヴィラローザは、名前を呼ばれた以上無視は出来ず、軽く会釈した。
「……珍しい所でお会いしますね、デザメール卿」
「えぇ、本当に。ここは野蛮さしか感じない、粗野な場所です。空気も悪い」
生粋の貴族であるデザメールは、口元を覆って手を振ってみせる。
その度に、男が腕に付けている黄金の輪や宝石をあしらった銀の腕輪などがぶつかり合い、耳障りな音を立てるのだが……本人は全く気にしていない。
ヴィラローザは、内心で厄介な男に捕まってしまったとため息をつく。
デザメールは騎士だが、この宿舎を利用していない。
彼のように家柄がよく、金がある者は、特別な住まいを用意するのが常だ。
平民などと、寝食を共にするなどと冗談では無いというのが、デザメールの弁である。
しかし、少しでも考える力があれば、平民が数多く利用するこの宿舎で「ここは野蛮だ」などとは言わないだろう。
遠巻きにだが、突き刺さるような視線が増えた。
「エルメ嬢は、なにゆえこのような場所へ?」
「知人へ用がありまして」
「知人……? はて……、もしや、ヘクター家の獣に?」
声音に、揶揄するような色が混じった。
「…………なんの話でしょうか?」
ギルフォードの家名を出され、ヴィラローザの声が尖る。
それに気付いたデザメールは、耳障りな笑い声をあげた。
「隠さなくてもいい、エルメ嬢。……君は、ずいぶんと、あの獣を可愛がっているらしいじゃないか?」
「申し訳ありませんが、仰ることの意味がわかりません」
「あぁ失礼。可愛がられている……の、まちがいだったかな? いや、あんな粗末な獣でもいいのなら、私のお相手も是非お願いしたいと思ってね」
好色な笑み。そして、伸びてくる手。
ヴィラローザは、それを冷めた目で見つめた。
(……だから、嫌だったんですよ)
食堂で無い事ばかり口にしたギルフォードは、男と関係したと匂わされた貴族の娘が、どういう目で見られるのか、知っていたのだろうか?
ギルフォードは庶子という立場で、父の元に引き取られるまでは、まともな教育を受けさせてもらえなかったという噂だ。それ故に、彼は普段の振る舞いが粗野なのだと。
誰かの機嫌取りなどしないし、口数も少ない。愛想笑いもないため、彼は一部の……それこそ、家柄を鼻にかけているような貴族達からは、しばしヘクター家の獣などと、陰口を叩かれている。
そんな男が、貴族間の面倒な話になど、関心を持つはずがないと、ヴィラローザはささくれだった神経がヒリつくのを感じた。
(大方、興味が無いから知らないんでしょうね)
自分がこれほど不快な思いをするとしても、あの男は関係無かったのだろう。
そんな事を思いながら、不躾な腕を叩き落とす。
すると、まさか拒絶されるとは思わなかったのか、デザメールが薄笑いを引っ込め、苛立ちもあらわな声を上げた。
「なにをする!」
「何を? それはこちらのセリフです。……婚約者でもない方が、みだりに女子に触れるのは、無礼でしょう?」
「……くっ……! 噂はもう拡がっているぞ? 今更貞淑ぶるな……!」
噂を鵜呑みにしたか。
あるいは、例の噂でヴィラローザをからかってやろうと思ったのか。
わざわざ絡んできたデザメールは、後者だろう。
「噂? ……へぇ、どんな噂でしょうか?」
すっと目を鋭くさせたヴィラローザの口から、冷たい声が飛び出す。
「…………っ!」
自分が優位に立っていると疑わなかったであろうデザメールが、一歩後退した。
「聞きたいですね、是非とも」
「そ、それは……」
ヴィラローザが恥じ入るか、上手くすれば泣き顔でも拝めると思っていただろう男は、自分が踏んだ尾が、虫の居所が悪い猛獣のものだったと、今になってようやく気付き、顔を紙のように白くさせた。
「さぁ、どうぞ? 貴方が仰る噂というのは、どんなものなのか、今すぐここで洗いざらい語ってください。――でも、もしもそれが事実とは異なり、その上で私を愚弄したとなれば…………代償は、なにであがなっていただきましょうか?」
「ひっ!」
自身の首元を押さえたデザメールが、後ろに飛び退こうとして、足をもつれさせ尻もちをつく。
「まだ、“何”とは言っておりませんよ、デザメール卿。……なぜ、お顔の色が悪いのですか? 貴方は、みずからを正しいと思って、わざわざ私を呼び止め、貞淑ぶるなとなじったのでしょう?」
ヴィラローザは、まだ何も提示していない。
ただ、勝手にデザメールが首を押さえ、蒼白になっているだけだ。
噂を鵜呑みどころか、自身に都合が良いように解釈し、気に入らない女騎士を思いきり傷つけてやれる――うまくすれば、その体で楽しめる――そんな考えで近付いてきた男は、またしても勝手に思い込んだのだ。
――己の首が、狙われていると。
(愚物もいいところですね。エルメ家が、いたずらに首を落とすはずないでしょう。曾祖父様の逸話だって、戦場での武勲だというのに……)
それに……。
ヴィラローザは冷めた目でデザメールを見下ろす。
(こんな腰抜け愚物の首なんて、落とす価値もありません)
エルメ家は、戦場での血なまぐさい逸話に事欠かない物騒な一族だが、決して快楽殺人者ではない。
時と場合を判断できるし、なにより――誇りもある。
侮辱だなんだと騒ぐことは簡単だが、それでこんな小物の首を落としたところで家の誇りを穢すだけだ。
すっかり興味が失せたヴィラローザは、視線だけで「行け」と合図して面倒な男を追い払おうとした。
だが――デザメールは、一度は浮かせた腰を、再び床につけた。
極限まで見開かれた目は、ヴィラローザの後ろを見ている。
(……何をそんなに驚いて……?)
振り返って確認するまでも無かった。
「……何をしている」
よく通る低音。
「……ギルフォード」
振り返れば、訪ねようと思っていた人物が、近付いてきていた。
「……何をしている」
ただ、ギルドフォードはヴィラローザをちらりとも見ない。
何時ものように温度の無い赤い両目を、尻餅をついたままのデザメールに向けている。
「ギルフォード……?」
嫌な予感がした。
ちりっと肌を焼くような感覚は、殺気だ。
ギルフォードから発せられた殺気は、真っ直ぐデザメールに刺さっていた。
手綱を握る役は、本来は自分では無いのにと思いつつ、ヴィラローザは厄介な状況を回避するべく、ギルフォードの服の端をつかんだ。
迷い無くデザメールに近付いていた彼の足が、不意にとまる。
「…………」
無言で振り向いたギルフォードは、抗議しているように思えた。しかし、それを無視してヴィラローザは前に出る。
「デザメール卿……どうぞ、お帰りはあちらです」
腰を抜かしたデザメールにわざとらしく声をかけると、意気揚々と絡んできた男は別人のように怯えきって、小さな悲鳴を上げた。
そして、ほうほうの体でヴィラローザとギルフォードの視線から逃れるように、走り去っていった。
「……ふん。つまらないことに時間を使ってしまいました……」
「…………」
「貴方も貴方です、ギルフォード。人がせっかく、面倒な相手を追っ払えるところだったのに邪魔をして……」
「…………」
「…………聞いているんですか、唐変木」
「……あの男……」
ギルフォードは、じっとデザメールが去って行った方向へ視線を注いでいた。
熱心とも言えるほどに。
ただ、彼が続けて口にした言葉は、ぞっとするほど冷たかった。
「…………殺してやろうか…………」
「――……は?」
聞き違いであって欲しい。
そう思うほどに、冷たく……下手をすれば憎しみすらこもっていそうだ。
ただ、ヴィラローザはなぜギルフォードがそこまで怒りを抱いたのかが、分からなかった。
たしかにデザメールは、陰口などはよく叩いているが、面と向かってギルフォードに何かしたとか……そういう事は一切ない、とことん小物な男なのだ。
揉めたなどという話も聞いたためしがない。
「貴方とデザメール卿に、遺恨があったとは知りませんでした」
「…………別に」
赤い目が、ようやくヴィラローザを映す。
殺すだなどと、物騒な事を言っておいて「別に」という、さも無関心な返答。
自分は言いたくな事なのかと、またしてもムッとしたヴィラローザだったが、そう言えば、謝罪するためにこの男を捜していたのだと、本来の目的を思い出し、ぐっと堪えた。
「……まぁ、私には関係無い事ですから……えぇ、そうですとも、一切関係無い事ですから、貴方が誰と揉めようが、どうでもいいですから……! ――さっさと、本題に入らせていただきます」
ごほんと一つ咳払いをして、気分を落ち着けると同時に場の空気を仕切り直す。
「貴方を探していました」
「…………俺を?」
「はい。……先日の発言は……八つ当たりに近かったので……一応、非礼をお詫びいたします」
「…………そうか」
やはり、反応は薄い。
もともと、期待はしていなかった。この男にとってはきっと、さしたる出来事では無かったんだろう。
傷つけたと思ったのも――ヴィラローザは自分の思い上がった錯覚だったのだと結論づけた。
「用事はそれだけです。……では」
「待て」
ギルフォードのことを、あれこれ考えている自分が馬鹿みたいだと思ったヴィラローザは、これ以上の会話は必要ないと立ち去ろうとした。
だが、何を思ったのか赤い目の男が、腕を掴む。
「……馴れ馴れしいですよ、離して下さい」
無作法な行為を咎めたが、ギルフォードは駄々っ子のように首を左右に振っただけで、聞き入れる様子が無い。
「ヴィラローザ……謝るという事は……違うのか?」
「は?」
要領を得ない問いかけに、ヴィラローザは眉を寄せた。
焦れたようなギルフォードに、ぐっと近付かれる。
「嫌いは、嘘か? 俺の事が、好きか?」
「……はっ……?」
一体、いつ誰がそんな話をしただろう?
ヴィラローザの頭の中に疑問符が浮かぶ。
ただ、冷静に考えをまとめる前に、遠巻きに向けられる好奇の視線に気づいてしまった。
「離しなさい……!」
「駄目だ、答えるまで、離したくない」
「~~っ!」
ただでさえ、面倒な噂が出回っている状況で、こんなにも近付いて話をしていたら、どう思われるか。
また、尾ひれがついた噂が広まるに決まっている。
――それを避けたいヴィラローザの胸中などまったく無視しているギルフォード。
これ以上、この男の盾にされるのは真っ平だった。
「……貴方は……! 貴方という人はどこまでも……!」
「ヴィラローザ?」
「もう、大っっっっっ嫌いですっ!!」
力を込めて言い放つと、緩んだ腕を乱暴に振り払う。
そして、二度と来るかとばかりの荒い足取りでヴィラローザは宿舎を後にした。
謝ろうと思ったのに――謝罪すらも、自身の目的のために利用するギルフォードに腹が立った。
悔しくて悔しくて、仕方が無い。
(……私が、男だったなら……)
女にさえ生まれていなければ、きっと自分とあの男は対等だった。デザメールのような輩が、いやらしい薄ら笑いで近付いてくる事も無い。そもそも、発端となるようなくだらない噂が出回ることだってなかった。
それに――。
(私が男として生まれていれば、お母様にだって……嫌な思いをさせる事なかったのに……)
一方で、謝罪を受けるやいなや再び大嫌いだと拒絶されたギルフォードは、やはり追いかけるでも無く、立ち尽くしていた。先ほどまで、ヴィラローザの腕を掴んでいた自分の手を、ぼんやりとした表情で見下ろしながら……。
「待ってくれ首狩り魔……じゃなくて、ヴィラローザ! ギルフォードは決して悪気があったわけではなくて……!!」
そこへ、血相をかえたルイスが、滑り込むような勢いで突っ込んできた。
「あ、あれ?」
全力疾走してきたのだろう、汗だくで息が上がっている。
彼は、ギルフォードが一人でぽつんといる事を確認すると、安心したように表情を緩めた。
「ふぅー……よかった……平和的解決の方向に進んだんだな? いやぁ、首狩り魔出没の知らせを聞いて慌てて来たんだけど、何事も無くて良かったぜ! な、ギルフォード!」
そしてルイスは、いつものノリで突っ立っているギルフォードの肩をぽんと叩いた。
普段なら、無愛想なりに頷いたり、二文字程度の返事があったりするはずなのだが、ギルフォードは無反応。
己の利き手を開き、ぼんやりと見下ろしている。
「……ギルフォード?」
「…………腕…………細かった」
「え? 何?」
「…………俺なら…………簡単にへし折れそうなくらい……」
「おい待て! 待て待て待て! 一体なんの話をしてる!?」
「……ヴィラローザ……いっそ、ひと思いに……」
まったく光の無い目で、物騒極まりないことを呟く親友を目の当たりにしてしまったルイスは、悟った。
「はぁー……だいたい察した。……おいこらギルフォード、お兄さんと、ちょっと向こうでお話ししようか?」
――ああ、これはかなり厄介な事態になってしまったぞ……と。
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