第3話 転がる気持ち

 雲一つない晴れやかな青空の下。

 誇りある、タルテレッテ騎士団の訓練所では、熱心な騎士たちが切磋琢磨を重ね、今日も汗を流していた。


 ――勇ましい掛け声が、青い空に響き渡る……と思いきや、今日に限って訓練所は、奇妙な緊張感に包まれ静まり返っていた。

 正確には、訓練所のある一画、そこで訓練に励んでいる一人の騎士が、異様なまでの威圧感を漂わせているのだ。


(く、首狩り魔だ……! 首狩り魔が、めちゃくちゃ怒ってる……!)

(機嫌悪っ……うぅ、殺気で吐きそう……)

(誰だよ、首狩りエルメを怒らせた奴は!)

(アンタ、食堂の一件知らないの!? ――ほら、ギルフォードがヴィラローザに……)


 ひそひそ、こそこそ。

 非常に運悪く、この時間訓練所に居合わせた騎士たちは、心の中で各々悲鳴を上げつつ、情報の交換にいそしむ。

 事情が呑み込めなかった者達も、数日前から過熱している“とある噂”を聞かされると「あぁ……」と絶望的な表情になり、さらに距離を取る。


 そして、チラチラと視線を向けるものの、決して声はかけない。もちろん、迂闊に近付く愚か者はいない。

 あそこは、猛獣の縄張りだとばかりに、皆が遠巻きにしている。


 彼らが不自然なまでに距離をあけている場所には、一人黙々と剣を振る金の髪の女騎士の姿があった。


 ――傍目から見れば、可憐な乙女が健気に剣を振るう様子は、まるで古典書物の一幕のようだ。


 だが、可憐な彼女が剣を振り下ろす音はとても鋭く、その表情は庇護欲を掻き立てられるような儚げなものではない。思わず支えてあげたくなるような、必死に強がっている健気さも見当たらない。

 ――目付きは鋭く、殺気すら滲ませ剣を振る彼女に、他者が抱く感情は一つだろう。


 目を合わせたら殺られる!


 そんな、猛烈な危機感だけだ。

 

 儚さとも健気さとも無縁な彼女こそ、タルテレッテ騎士団“最凶”の女騎士と恐れられる、ヴィラローザ・デ・エルメだ。


 可憐な容姿でありながらも、“外見の良さでは補いきれないほど性格が悪い”など言われているヴィラローザは、他人の恐怖に満ちた視線など意に介さず、自己鍛錬に集中している。


 まるで、目の前に仇敵でもいるかのように、力一杯剣を振り下ろしていた。

 その精神は、一切の雑念を廃し、研ぎ澄まされていると思いきや……。


(ああ、腹立たしい……!)


 大いに乱れていた。

 晴れ渡った今日の空とは正反対に、訓練所に立つヴィラローザの心には暗雲が広がり、さながら大嵐だ。


 原因は、言わずもがな。先日、『死か結婚か』等と言う、不愉快な二択を突き付けてきたギルフォードという存在にあった。


 また来ると言った言葉通り、ギルフォードは連日ふらりとヴィラローザの前に現れた。

 食堂の一件以降は、顔を合わせる度に『結婚しろ』と言ってくる。

 同僚達は面白がるし、周囲からの好奇の視線も日増しに増えていく。


『責任取ってあげたら?』


 などと揶揄してくる者もいるのだから、ヴィラローザの機嫌は日を追うごとに悪化していた。


(それもこれも、あの男が悪い!)


 脳裏に描くのは、のっそりとした図体で表情筋が死んでいる、赤い目の男。

 ピクリとも動かない無表情で淡々と結婚という単語を繰り返すギルフォードの顔を思い出したヴィラローザは、苛々を振り切るように勢いよく剣を振り下ろした。


 しかし、何度繰り返しても、彼女の苛立ちはおさまらない。


 とうとう八つ当たりのように、目の前に立っている訓練用の人形模型に渾身の力で打ち込めば、ぼきっと音を立てて頭部と胴体の接続部分……人体で言えば首に相当する場所からへし折れてしまい、頭部がカコーンと空っぽの音を立て地面に転がった。


「……また首か……」

「――うわ……さすが首狩り公爵家……」


 ひきつったような声が聞こえたためヴィラローザがそちらに視線を向ければ、蜘蛛の子を散らすように遠巻きに様子をうかがっていた集団が逃げていく。

 不愉快ではあるものの、あえて追いかけたりはしない。

 これが、ヴィラローザにとっての日常であった。


 元々、ヴィラローザの父も祖父も騎士。

 エルメ家は、先祖代々武に長けた一族だ。

 特に曾祖父は、戦場で数多の敵兵の首を取り、高々と掲げた首の束を馬上で振り回しながら戦場を駆けたという頭のおかしい逸話をもつ男だった。


 そのせいか、はたまた元々気性の荒い血筋のせいか、いつしかエルメ家は「首狩り公爵家」と呼ばれるようになったのだ。

 女ながらに騎士になったヴィラローザも、エルメの名を背負っている。


 本人は、おどろおどろしい通り名を、さして気にしていなかったのだが……。周りの人間はそうではなかった。


 明らかに恐れや嫌悪を抱いているもの、公爵家という名につられいい目を見ようと媚びへつらうものなど、"エルメ公爵家"という名前はヴィラローザが想像していたよりもずっと強烈に人々の関心をひいた。


 もっとも、名前だけにつられるような者たちは誰もがヴィラローザの性格についていけず、彼女のそばには、何時だって誰も残らなかったのだが。


 なので、先日のギルフォードの言葉は冷静になって考えれば、ヴィラローザにとっては衝撃的なものだったのだ。


 首狩り一族の一人娘に、求婚などと――まともな神経ならば、まず有り得ない。


 己の性格が、世間一般的に考えるとあまりよろしくないモノであるという自覚は、ヴィラローザにもあった。

 同僚の女騎士たちにも「ヴィラは美人だけど性格が悪いよね!」と直球で言われるほどであるため、わからない方がどうかしている。

 その上、今のヴィラローザは、騎士団で五本指に入ると言われるほどの強さを誇る騎士である。

 すでに一線を退いて久しい、老いた元騎士達共に、「結婚結婚」とうるさく言われようと、まずヴィラローザを望む相手がいない。

 自分より強い女と結婚したいなどと考える男が、そうそういるはずも無いのだ。


 そしてヴィラローザは、由緒正しい貴族だ。泣く子はもっと大泣きすると囁かれる、「首狩り公爵家エルメ」が、最終奥義として控えているのだ。

 この時点で、寄ってくる異性など皆無。結婚など、夢のまた夢だ。

 その上、当人であるヴィラローザは、剣に固執している。

 

 性格、よろしくない。男を立てるという事を知らない。首狩り一族の血を遺憾なく発揮している、家庭に入る気、皆無。

 

 これだけ負の条件が揃った女、誰が欲しいと思うのか。まともな恋愛、まともな結婚など、まず無理である。

 そんな考察ができる程度には、ヴィラローザは自分のことを理解していた。


(私は、国一番の騎士になるんですから……!)


 タルテレッテ騎士団では、女騎士は結婚したら家庭に入る者が大半となっている。

 “出しゃばる女”が嫌いな引退老人達は、結婚を理由にヴィラローザを追い払いたいのだ。


 結婚してしまえば騎士はやめるだろう、剣は捨てるだろう――そんな考えが、透けて見える。


 女に学は不要。女に剣は不要。

 男に尽くす術だけ覚えておけば良い。

古くてカビが生えた考えから脱却できない老人達の押しつけに辟易し、騎士をやめた女達もいる。逆に、ヴィラローザのように余計に意地になり、剣に固執する者もいた。

 

 生意気を地でいくヴィラローザの面倒を見てくれた先輩女騎士が、そうだった。

 生涯現役を豪語していた彼女だったが、町の飲み屋でケンカの仲裁に入った際に出会った男と恋仲になり、結婚した。

 それでも彼女は騎士を続けていたのだが、やがて妊娠が発覚し――そのまま引退した。


 結婚してからも騎士を続けるということは、現実的に難しい事だと、先輩は語っていた。

 結婚当初は、仕事を続けるといっていても、やはり身ごもれば現場を離れざるを得ない。

 落ち着いてから復帰しようにも、家族に涙ながらに怪我をしてほしくないと訴えられれば、大抵の女騎士は折れてしまうのだと。

 やはり子供が可愛くて、家族が愛しいから、仕方が無い。


 そう言って笑った先輩騎士は、初めて見る穏やかな笑みを浮かべていた。


 家柄にもとらわれず、ヴィラローザをただの生意気な後輩として扱い、面倒を見てくれた先輩騎士は、不可解な顔をしたヴィラローザに「いつかわかる」と言っていた。

 結婚してみれば、わかると。


 そんな日は、決して来ない考えていたにも関わらず、その物好きは先日頼んでもいないのに現れた。


(おのれ、ギルフォード……! 私に散々屈辱を味合わせて……必ずや、目に物をみせてやります……!)


 結婚という言葉を繰り返すだけで、情熱的な言葉があるわけでもない。


 あのぼーっとした男を思い浮かべ、なぜあの男のことばかり考えなければいけないのだと、ヴィラローザは慌てて脳裏に浮かんだ赤い目を追い払うように頭を振る。


「……冗談ではありません……!」


 憎々しげに呟くヴィラローザは、やはり尋常ではなく殺気立っていた。


 そしてそんな彼女に近づく人間は皆無……と思いきや、いつの世にも"空気を読まない人間"というのは存在する。


 部屋での求婚しかり。

 食堂での求婚しかり。


 ――彼女の心をかき乱しているギルフォードという男は、その"空気を読まない人間"の典型であった。



 かつん、と石畳をブーツの底で蹴りつけ、絶対にこの場に来てはいけない男、ギルフォードが姿を見せる。彼は、ぐるりと訓練所内を見まわした。


 そして、漂う異様な緊張感など気にも留めず、すぐに目当ての人物を見つけ歩き出す。

 一人、また一人と、彼に気付いた者たちが道を空けていくが、それすらもギルフォードは頓着しない。


 彼の眼に映っているのは、たった一人。


「ヴィラローザ」


 殺気立って、誰も話しかけるな近づくなと言わんばかりに威圧感を振りまいているヴィラローザに、恐れも媚もなく、いつものように淡々と声をかけた。


「……はぁ?」


 ヴィラローザにしてみれば、ギルフォードは苛立ちの原因である。

 当然、振り向いたその表情は、三割増で凶悪だった。子供が目にすれば、ひきつけを起こしそうなほどに。


 だが、ギルフォードはひるんだ様子も見せず、じっと荒んだ表情のヴィラローザを見つめる。


「用がないなら、どこかへ行って下さい」


 相手になどするものかと、ヴィラローザは冷たい口調で追い払おうとする。

 しかし、ギルフォードは首を横に振り、短い言葉を返した。


「会いに来た」

「頼んでいません」

「でも、来てもいいといった」

「誰が毎日毎日来てもいいといいましたか? 言ってませんよね? それに私は鍛錬中なんですよ。邪魔しないでください」

 

 迷惑ですという態度を隠しもしない物言いにすら、ギルフォードは動じた風もなかった。

 だからこそ、ヴィラローザは苛立つ。


(なんなんですか、本当に!)


 普通ならば、多少なりとも好意をもった相手に邪険にされるのは悲しい事だ。そのはずだ。


 ならば、まったくもって平常通りのこの男はなんなのだろう。

 なぜだかわからないが、無性に腹が立って仕方がないのである。

 求婚しているというくせに、態度は常と変わらず平坦なままなのも、よくよく考えれば嘘くさい。


(……そう、ですよ。……この男、なんでいつも平然としているんですか?)


 ヴィラローザの言動にも、周囲の好奇に満ちた視線にも、ギルフォードは動じない。


 ――それこそ、常と同じで、何ら変わりないのだ。


 まるで、当たり前のように日々を淡々と過ごしている。

 手のひらの上で転がされているような不快感が、じわりと広がり……ある答えが、ヴィラローザの脳裏にひらめく。


(――嵌められた)


 そういう事だったのだ。

 ギルフォードの親友であるルイスも言っていたではないか、「乗り気では無い縁談を壊すために、手伝ってほしい」と。


 ヴィラローザは、自分が厄介事の手伝い要員として目を付けられたのだと思った。


(なるほど……。たしかに、エルメの名ならば、厄介事を払うのに丁度良い……)


 女騎士ヴィラローザは、全てにおいて都合の良い存在だったに違いないと考えると、キリキリと胸の辺りが締め付けられる。


(私なら、何をしてもいいと……)


 まるで一夜の関係があったと仄めかすことも、ヴィラローザならば問題無いと思われていたのか。貴族の娘が、未婚のまま純潔を散らすことを、恥としない訳が無いのに。


 自分ならば何があっても傷つかないと思っているのだろうと考えると、不快感は最高潮になった。とにかく、最低な気分だった。


 今、目の前にある顔など、目にしたくもないほどに。


「……私は今、とても機嫌が悪いんです。今すぐ、どこぞへ消えて下さい」


 声に含まれた剣呑さに、気付かないはずが無いのに、ギルフォードは動かない。

 彼は、じっと足元の模型頭部をみつめていたが、何を思ったのか今度は訓練用の剣を。手に取った。


「……ギルフォード?」


 当たり前のようにヴィラローザの向かい側に立ち、構える。


「模造品相手に打ち込むより、俺を相手にしたほうがずっといい鍛錬になると思う」


 当然のような顔で言い放つギルフォードに、ヴィラローザは今度こそ言葉を失った。


「…………」

「……どうした? やらないのか?」


 不思議そうなその顔……いや、常の無表情なのだが……ヴィラローザには、今の表情が不思議そうな顔に見えた――そして、そんな事をチラリとでも考えてしまった自分に対し、ヴィラローザは形容しがたい怒りを覚え……爆発した。


「……貴方なんて……」

「ヴィラローザ?」


 結婚しろと言って、あちこちつけ回し、散々自分を困惑させておいて、いつだって平然としている。


 調子を崩されるのは自分だけ。

 この男は、何も変わらない。

 凪いだ赤い目に、自分は一体どんな風に見えているのか――。

 少なくとも、対等では無いに違いない。

 

「貴方なんて、大っ嫌いです!!」

「――っ」


 常に波風一つ立たない赤い目が、初めて見開かれた。


(あ、驚いてる……)


 反応を引き出せたとしても、これ以上ここにはいられなかった。

 子供じみた癇癪で、これ以上醜態をさらすわけにはいかない。


 ヴィラローザは、勢いよく踵を返した。

 けれど、捨て台詞は口をついて出てしまう。


「もういいです! 貴方がいつまでもここにいるなら、私がどこかへ行きます! 顔も見たくありませんから!」


 なぜ自分がこんなにも苛々するのかも、なぜギルフォードに対して幼稚な物言いをしてしまったのかもわからない。


 訓練所から逃走したヴィラローザは、廊下の隅で頭を抱えた。


(……なんなんですか、この無様さは……)


 少しだけ、反応を引き出せた。

 僅かだが、傷ついたような顔をしたギルフォード。

 他者をいたずらに傷つけてしまったという後悔と同時に、反応を引き出せた事へよろこびに近い、不思議な感情がわき上がる。


(……これは、最低です。いくらなんでも、最低です……)


 自分を利用しようとしている、無口無表情無愛想の三無の化身。

 だが、八つ当たりはみっともない。それに喜びを感じるなど以ての外。

 この事に関してだけは、自分に非がある。


(…………後で謝罪するべきですね)


 ただし、今日は顔を見てもまともに話せる自信が無いから、明日にでも。

 そんな事を考えたヴィラローザは、またあの男に振り回されている……と、重いため息をこぼした。



 ◆◆◆



 大嫌い。

 顔も見たくない。


 好きな女に言われたくない言葉十選などというものがあれば、間違いなく入っていそうな二つの言葉を連続してぶつけられたギルフォードは、走り去っていくヴィラローザを追いかけもせず、棒立ちになっていた。


「…………」


 訓練所の騎士たちは、気まずそうに目を逸らす。

 自分たちは何も見ていないし、聞いてもいませんとばかりに、各々訓練を再開する。


 それがおそらく彼らなりの処世術であり、目の前で盛大にふられた男に対する優しさなのだろうが、あいにくとギルフォードはその優しさを感じ取ってなどいなかった。


 ただ、そこに立ち尽くしたまま、ヴィラローザが去っていた方をぼんやりと見つめ……。


「…………きらい……」

 

 たった今、投げつけられた言葉を、どこまでも平坦な声で反芻する。


「……だい、きらい……」


 今度は正確に、一文字も違わずに繰り返し、無言で訓練用の剣を籠に戻した。


 そして、すっかり光の消えた暗い目で、こう呟いたのだった。


「……俺のものにならないなら……俺を捨てるなら……いっそ……」


 仮にルイスがこの場にいれば、事態はもう少し穏やかに進んだかもしれない。


 しかし、ルイスは積極的なギルフォードに安心したのか、町で声をかけた女性と遊びに行って昨日から帰っていないのだ。


 経験豊富で世話好きなルイスも人の子であり、ギルフォードともヴィラローザとも、まったく別種の人間である。


 だからこそ、間違ってしまったのだ。


 親友であるギルフォードの言葉足らずな部分や猪突猛進な性質は理解してはいたルイスだが、ヴィラローザに対しては理解が足りていなかった。


 ヴィラローザという人間が隠し持っていた、劣等感を計算に入れていなかったのだ。


「……結婚か、死か……。選ばないなら、選ばれないなら…………――しか、無い……」


 かくして、ルイスいわく"似た者同士で似合いの二人"の運命は、まるで坂道を転がるかのように、急加速で物騒な方向へ進んでしまったのである。

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