第8話 首狩り魔の恋
『お前は……』
『私は、ヴィラローザ・デ・エルメ。覚えておきなさい、いずれ――』
初めて会った時、赤い目をした男は訓練用の剣を下げ、かすれた声で言った。
『国一番の騎士、だろう。――知っているさ、ヴィラローザ・デ・エルメ』
自分の名前が知られていたことに驚いた。
国一番の騎士。それを、馬鹿にすることなくあっさりと口にした事にも驚いた。
密かに好敵手と目していた相手は、何にも興味が無さそうだったのに、自分を認識していた事実に驚愕し――ヴィラローザは、喜んだ。
自信家で、一番が大好きなヴィラローザ。彼女が生まれて初めて、負けたくないと意識した相手もまた、同じような気持ちを持っていたと知った。
そして、己の気持ちは、決して一方的なものではなかったのだと、競争相手に向けるにしてはひどく浮ついていて、遊び相手を見つけた子供のような無邪気な感情を抱いた。
それはまるで、恋に似ていた――いや、形になることが出来なかっただけで、ヴィラローザがギルフォードと初めて会話を交わしたときに抱いた感情は、恋心そのものだった。
けれど、ギルフォードが自分を見る目には、なんの感情もない。その辺の石ころを、流れる風景を、ただ見送るだけの人のようだ。
彼はたしかに、自分の事を知っていた。
ヴィラローザという名前も、エルメという家名も、そして周囲が笑って貶める夢も、全部。
そう、彼は全部――知っていた、それだけだ。
剣を持つもの同士。並び称される二人。競い合っていると思っていたのは自分だけ。
それに気付いた時、ヴィラローザは初めて超えられない壁にぶつかった。
剣の腕さえ磨けば、それでよかった。常に一番であり続ければ、誰もがヴィラローザを認めない訳にはいかなくなったからだ。
けれど、ギルフォードは違う。彼はヴィラローザを知っていた。きちんと見ている。
ただ――興味が無いだけなのだ。
他者に認められ、常に一番であり続ける事に固執するヴィラローザの心は、自分をただ見ているだけの男にかき乱されていた。
初めて会った時だって、求婚された時だって、ギルフォードはヴィラローザの気持ちなんてお構いなしに、踏み入ってきては目茶苦茶に荒らしていく。
エルメの名を良いように使いたい――ただそれだけの方が、幾分かましだった。
ギルフォードは、自分と誰かを間違えている。
頼んでもいないのにルイスが持ってきた情報は、思った以上にヴィラローザを打ちのめしていた。
そうして気付く。
自分は――あの男に、認められる存在になりたかったのだと……。
◆◆◆
「……ヴィラぁ……」
食堂から場所を移し、ステラの部屋。
乞われるがままに、ぽつりぽつりと己の感じた事を話せば、存外付き合いの良い友人は、困ったように両方の眉を垂れ下げた。
求婚の一件から、ありもしない事を食堂で吹聴されたこと。だから、虫除けにエルメの家名を利用されるのだと思ったこと。
けれど……それが全部自分の思い違いで、ギルフォードは知らない誰かと自分を間違えており、好意を伝えてきたという事実。
自分の空回りの惨状も、全て。
「……なんですか、その顔。笑いたければ、どうぞ。自分でも情けないと思います。勝手に好敵手だなんて思い込み、一人で突っ走り……勝手に失望するなんて、愚かしいにも程があると」
聞いているだけで、滑稽だろう。自分が聞き手側だったならば、なんの遠慮も無く笑っている。
だから、ステラも無理して堪えずに、どうか大笑いして欲しい。
その方が、心情的にもましだと訴えると、ステラはますます困ったような顔になり、ヴィラローザの頬をにゅっと引っ張った。
「そうじゃないでしょ、この恋愛音痴!」
「むにゃっ!?」
「ああもう、信じられない! お子様脳すぎるわ! あんたが、負けず嫌いなことも、一番大好きな事も知ってたけど……まさか恋愛面までお子様だとは気付かなかったわ!」
「られがおこひゃまれすかっ!」
頬を引っ張られているせいで、発音は明瞭では無いものの、ステラには言いたいことが伝わったらしく、彼女は鼻先で笑った。
「誰がお子様? あんたよ、あ・ん・た! それ以外、誰がいるの。自分の恋愛感情にも気付かないあんたこそ、恋愛音痴のお子様脳でしょうが!」
「――……ふぇ……?」
「なに、その呆けた顔……。あれ? もしかして、未だに自覚無し……?」
頬を引っ張っていた手が離れる。
ヴィラローザは両の頬をさすりながら、聞き慣れない言葉を発したステラに怪訝な目を向けた。
「お子様も心外ですが、恋愛音痴? なんですか、それは。誰が今、恋愛の話をしていましたか」
「…………がっつり恋愛相談にしか聞こえなかったんだけど?」
「心外です」
「だって、ギルフォードの事、好きなんでしょ?」
ごく自然に問われ、ヴィラローザは目を瞬く。
「……嫌いです」
「嘘」
「嘘じゃありません。嫌いです、あんな人。……あんな――」
「“私を見ない人”?」
内心を見透かしたようなステラの言葉に、ヴィラローザは息を呑んだ。
「分かりやすいのよ、ヴィラは。……あのね、そういうのを、好きっていうの」
「……違います、嫌いです」
「はいはい」
「……だって、あの男は……私の事なんて……」
「好きな人に見てもらえないのは、つらいもんね」
でもね、と苦笑を滲ませてステラは言う。
「それが恋だよ、ヴィラ」
「――」
すとん、と胸の中に落ちてきた言葉。
それを拾い上げたヴィラローザは、詰めていた息を吐き出した。
あぁ、これを恋というのか……そんな、自覚と共に。
初めて知った恋というのは、とても苦いものだった。
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