第4話きっと忘れてる

リーネとの出会いから数分後、俺たちはエンジの小屋から少し歩いた、森とも林とも言える木陰にいた。

リーネとエンジが相談をする様に感情共有で会話するのを眺めながら、俺は多少の気まずさを覚えていた。


「なるほどですねー。ええエンジちゃんが思う事もよく分かりますよ。ですがぁ、んー。装備さん、ツァガナさんのメンタルデータ、グラフにして送っていただけます?宛先は私の装備で。ゼヘ、データ受け取って」


数m離れた場所にいるリーネが此方に声をかける。

腰にぶら下げていた”装備“がランプを点滅で了解の意を返して、勝手に俺のメンタルデータを、ゼヘと呼ばれた、リーネの“装備”へと送信する。

メンタルデータを受け取ったリーネは、空中に展開したディスプレイにデータを映して眺めると、険しい顔で黙り込んだ。


「会ってまだ間もないってのに。プライバシーの保護は何処へやりやがった」


と俺は小声で“装備”に抗議する。すると装備は飄々とした声色で


「プライバシーよりも今は改善の一歩、です。リーネ様なら問題ないと判断しました。裏で送られてきた彼女のデータも見ます?非常に優しい方ですよ。データだけで態度を変える様な方ではありません。それに今リーネ様が抱く感情を鑑みたら尚更です。大丈夫ですよ」


などとやけに信用した風に断言して見せた。其の様子は何かを確信している様にも思えた。

険しく思い悩んでいたリーネは、何か決着がついた様な顔をすると、翼の毛づくろいをするエンジに向き直って、感情共有による会話を再開した。


「ね、エンジちゃん。このままじゃあ先にツァガナさんに限界が来てしまいますって。そりゃ自分で気づくのが最善ではありますけど、彼はユーフェマティアではありませんし。ヒントくらいあっても可くないですか?ええ、はい....えっ、別に入れ込んでませんよ。当然のー、ああ別にそんなのでは。もう勝手に深層意識まで漁らないでって日頃から....。えーー、はいはい、ではそういうことで」


エンジの飾り羽が光を失い、感情共有による会話が終了したことを告げる。

会話の最中コロコロと表情を変えたリーネは、最終的に多少疲れた表情で小さな溜息をついた。

エンジは大きく欠伸をすると、暫く私のすることはないから、と言う様に地に腹部を付け昼寝の続きを始めた。


「はい、ちょっとエンジちゃんと話しました。微小な難色を示されちゃいましたが、それでもヒントを教えてもいいと。ツァガナは余りに的外れだから、仕方なぁーっくヒントを教えてあげて、だそうです」


リーネは、近くの木に体重を預け、エンジとのやりとりを眺めていた俺の側に来ると、たははと笑う様にそう言った。

いつもエンジの方が頭突きで感情共有を失敗させるというのに何を思ってるんだ、と思わず顔が歪み、視線がエンジに流れそうになる。けれどそれではリーネに失礼だと無理やり調子を引き戻した。


「そんなに的外れだったんですかね。えーっと、ヒント、ですか?」


他人行儀にぎこちなく返事を返す。リーネは「そういうところは良くカタハテさんに似ていますね」と微笑んで話を続けた。


「ええ、ヒントというよりは認識、心構えに近いかもしれません。私たちユーフェマティアが自然と持っている感情共有のイメージについてですね」


「ちょっと長くなるから座って話しましょうか」と木の根元にリーネが腰を下ろす。流石にいきなり隣に座る気にも慣れず、俺はリーネと向かい合う形で、枝葉の陰の中に座り込んだ。リーネは少し苦い表情をした。


「カタハテさんは感情共有はどんなものだとおしゃっていました?」


「えっと、”世界殻“の外、”幻想“の海に存在する意識体同士を直接接触させるか、近づけることで意識体の生産物である”弱規則性幻想“、所謂感情を直接やりとりできるようにして、猛禽馬の燃費問題やコミュニケーション問題などを解決するもの...?」


「他には何か?」と優しく続きを促すリーネに、「それだけですが」と答える。望む答えとは程遠かったのだろう。自分の無知さに口惜しさ、虚しさを覚えた。


「仕方ないですよね。カタハテさんもユーフェマティアではないですし。原理が正確に分かっているのは素晴らしい事ですし。イメージまで分かっていたら私がいらなくなっちゃいますから!」


此方の表情を見てまずいと思ったのか、リーネはフォローしようと早口で言葉を紡いだ。

けれど其の甲斐なく、二人の間には何とも言えない空気が横たわった。


「...本題に行きましょう、はい!感情共有は受け入れる”だけ“では成り立たないんです」


「受け入れるだけでは?」


「はい、成り立ちません。それでは侵入とか招待とか、一方的なものでしかありませんから。それで、共有というのはもっと相互的なものなんです」


リーネは近くの枝を掴んで、二人の間の地面に境界線を一本描いてみせた。


「例えた方がきっとピンと来ると思うので。そちらがツァガナさんの心です。こちらがわた、エンジの心としましょう」


リーネは枝で境界線の前後を指し示して言う。そのまま彼女は枝を足元に捨てると、ひょいっと立ち上がって、服を払いながら、背中に生えた艶やかな雀茶色の翼を軽くはためかせた。座って付いた木屑でも落とそうとしたらしかった。

リーネは座りっぱなしの俺に視線を送って立つように促した。俺は要領を得ないまま、ゆっくりと腰を上げた。


「今ツァガナさんがしている事はですね。こうやって相手を自分の心に招いているだけなんです」


とリーネは境界線を跨いで、俺の心側に踏み込んできた。


「ですがこれではエンジちゃんはツァガナさんを知れても、逆は成立しません。ツァガナさんは一歩もエンジちゃんの心の中には入っていませんから」


「それにっ」とリーネは目の前で勢いよく翼を広げてみせた。4m弱にも及ぶ工芸品のような翼であった。翼の先に行けば行くほど光を透かして飴色に輝いて見えた。


「エンジちゃんは猛禽馬の中でも、気高く勇ましい子なんです。ですから他者の心の中でも縮こまる事なく、寧ろ駆け回る様な子です。ですから、こっちは入っちゃダメ。あっちも入っちゃダメ。なんて、心の大部分を隠してしまっていては、エンジちゃんには狭すぎるんです」


「狭、すぎる」


「ええ、エンジちゃんはツァガナさんの相棒になるんですから、曝け出せとまでは言いませんけど、見栄を張らずとも可いじゃないですか」


「こうやって」とリーネは俺の手を引いて、境界線を跨がせる。跨いだのを確認すると、彼女は木陰から飛び出して空へ舞い上がった。


「ツァガナさんはエンジちゃんに一歩踏み出して、かつ私みたいにエンジちゃんが飛び舞える様に心を打ち明けてあげて下さい。全部心情論で申し訳ないですけど」


「ううん、参考になりました。本当に」


リーネは其の言葉にっこりと笑うと、昼寝していたエンジの側に降り立って、エンジの背を軽く叩いた。

エンジはムクリと起き上がると、ドシドシと寝起きの不機嫌さを残したまま此方に向かって来て、乱雑に頭を突き出した。

困惑してリーネに視線を投げかけても、リーネは黙って此方を見守るだけだった。

エンジの飾り羽は瞬いていない。ただ頭を此方に突き出しているだけだった。

エンジの頭をそっと撫でる。

一歩踏み出そうとするのは、言い様のない不安があった。閉塞感にも似た、待ち伏せられているような圧迫感があった。エンジもこんな心持ちだったのだろうか。思っていた以上に不愉快な感覚だった。

先ほどのリーネの話を思い出し、反芻する。受け入れるだけではダメなのだ、と、此方から踏み出せ、とそう言っていた。

もし今が其の時だとしたら、気を使って誂えられた機会だとしたら。きっと、飾り羽が輝かずとも、此方から踏み込んでいくべきなのだろう。

緊張で浅くなった呼吸を息継ぎをする様に引き上げて、俺は飾り羽に手を伸ばした。



陽が傾く。空の一方は小豆色に滲み、もう一方は青黒く染まって星空が姿を出しかけている。

俺たちは未だに小屋近くの木々に身を寄せて居た。夕暮れになり肌寒くなった空気に肌を突かれ、腕を抱え込むように摩る。

リーネは丸まったエンジに挟まって暖を取りながら、得意げにエンジの昔話を語っている。エンジは時たま目を開けては、リーネに抗議する様に嘴で彼女を突いていた。


ピリピリとした、心の騒めきが心に残っている。初めての体験に興奮して心が敏感になっているようだった。

数時間に及ぶ特訓虚しくというか、数時間足らずでは当然というか、俺はエンジの心に留まることが出来なかった。

一歩踏み出すという感覚は掴んだ。確かにエンジの心情に触れて、其の儘手を押し込んで、身体を沈め入れて、エンジも其れを拒まなかった。

エンジの心は暖かくも冷たくもない不思議な物だった。強いて言うなら騒がしいと言うのだろうか、随分と血気盛んで自由な物だった。割り切りの良い性格で、隠す気もなく、かつ隠しても隠しきれない気高く無遠慮なエンジらしさがぐるぐると渦を巻いているようだった。

聞くと感じるのでは大違いで、一度感じて仕舞えば、長い間ともにいたように、エンジに近づいた気がした。

けれど長く留まってはいられなかった。エンジに入り込むのは、水に潜る感覚によく似ている。最初は違和感はあっても苦しさはない。しかし、時間が経てば経つほど、自分という存在が溶けてしまう。自分を見失いそうになって、自分が恋しくなる。息継ぎをするように、一度エンジから這い出て自分を確かめたくなるのだ。

目覚ましい発展を感じなくなった俺がおずおずとリーネに助けを求めると


「それは回数を繰り返して慣れるしかないですかねー。異物感の方がまだ強いんでしょうね。それにツァガナさんあんまり自分を支える柱がなさそうですし、なおさら違和感が凄いんだと思います。まって、いえ、いえいえいえ、違います悪口とかじゃないんですよ!?」


と極めて単純な答えを返されるだけだった。





「あのー聞いてますか?エンジちゃんったらですねー。昔はよく目に入った猛禽馬に片っ端から喧嘩を仕掛けていて、それはそれは大変だったんですよ?お行事快くしろ、とは言いませんけど。それでもやんちゃでして」


惚けた顔でもしていただろうか、話を聞いていなかった事を見抜いて、リーネは声を緩めて粘つきのある言葉を発した。

俺が軽く手を上げて、謝罪の意を表すと、リーネは何事もなかったかの様にサラサラとした声色に戻った。


「エルフォルトさんは良くエンジのことを知ってるんですね」


「リーネ、気安くリンリーとかレネーとか愛称でもいいんですよ」


「リーネさん、で」と目を逸らしながら言うと、リーネは楽しそうにしながら首を軽くすくめてみせた。


「ええまぁ。エンジちゃんとは一時期パートナーでしたから」


「そうなんですか?でもどうして」


「パートナーを解消したか、ですか?それは、私じゃあ、エンジちゃんを飛ばしてあげられなかったんです。エンジちゃん、あんまりにも大喰らいで、私なんかじゃ補ってあげられなくて。だから凄いと思いますよ。ツァガナさんの出力数値。才能ですね」


リーネは過去を悔いる様にそう言った。「ほら」と彼女は“装備”のディスプレイに、俺の身体測定のデータ映して、指で刺してみせた。


「おい、遂に要らないだろう情報まで渡すようになりやがったな。ポンコツ装備」とリーネから隠しながら、本日何度目かになる文句を“装備”に言う。

“装備”は悪びれもせず、「ヘッヘッヘ私はリーネ様のスパイだったのですよ。へっへっへ。あいむあきゅーぴっと」とおどけてみせた。

確かに、他人に褒められるのは、果てしなく下らない小さなことでも悪い気はしなかった。

「ふっふっふ。そうですよ。ツァガナさんの装備さんは私が買収しました!八方塞がりですよ!」とリーネがじゃれ合いに気づいたのか、ノリ良く台詞を重ねた。

其の儘、リーネと俺の”装備“の小芝居は続いていく。

俺は其れが心地よかった。出会って間もない此の関係性が急いて荒れた心情を癒してくれる気がした。何処か懐かしさを感じる。


此処数年はずっと気を張っていた気がする。酷く前のめりで、ただ当てもなく失ったものを追いかけて、何かから逃げていた。

12歳の誕生日、脚が壊れたあの日から。現実が受け入れられなくて過去を忘れようともした。そして忘れてしまうのは思い出だけだと思い知った。

走れる様になれば又皆が認めてくれると、今でも過去の栄光にしがみついている。既に失ったものだと痛感させられるだけだと言うのに。

しかし、今初めて、過去は過去として見送ってしまってもいいかもしれないと思えた。

直ぐには走る事への執着は捨てられないだろうが、此の世界は、案外広くて、他にも大事なことがあるかもしれない。

嗚呼、忘れていた。昔は良く、陸上トラックの端で、シューテとこんな風に冗談を言ってはしゃいでいた。



「そういえば、もしかしたらナムルマティアは私たちより出力数値が高いのかもしれませんね」


ひとしきりふざけあった彼女はふと思いついた様に呟いた。


「だって、カタハテさんもエンジちゃんに乗れましたから」


リーネから不意に放たれた言葉は、俺に「えっ...?」と息の抜ける様な驚嘆を吐き出させた。

感傷に浸っていた心が現実に引き戻される。

俺は、何か重要なことを忘れてしまっている気がする。血の気が引いて行くのを感じた。



家に帰り着く頃には、日が暮れていた。屋敷の鉄門に“装備”を翳すと、小気味好い電子音とともに門が開いた。


「ゼヘ、カタハテさんにメッセージ送って。牧場にお邪魔してツァガナさんのお手伝いをしました家には黙っていてくださいって」


「送信した」


無駄に広い庭を歩いて玄関へと向かう。余韻に浸る様に歩くペースを落として、今日の出来事を回想した。


「今日は楽しかったねー。ゼヘは?」


「こちらもなかなか。特にあの“装備”は面白い」


「あの子かぁ。明るいAIだったね。”装備“同士裏で内緒話ししてたの?」


「否、ゲームをしていた。勝利すれば命令を聞かせられるものを」


「あー、だからあの子、どんどん情報をくれたんだ。やるねぇー」


「そう、こちらが連勝した成果。昨日は今日の服装選びに付き合った。初対面の相手に対する留意点についても纏めた。レネーはこちらの労を労うべき」


「よっ!高性能!完璧回路!すごいありがとう助かりましたっ!」と私は大げさな抑揚で喉を震わせて、ペンダント型“装備”であるゼヘを撫で回した。


其れにしても本当に今日は楽しかった。此処まで前日に念入りに準備したのも、期待と不安で寝つきが遅くなったもの、生まれて初めての経験だった。

初めてツァガナを近くで目にした時は、其れまで弾んでいた心が緊張で静止して、喉が渇いていった。

彼が昼寝していたのは好都合だった。小屋陰に身を隠して、話しかける内容を何度も考え直し、表情と服装を改めてチェックする時間も取れたし、尚且つ、此方から話しかけて会話のペースを掴むこともできた。


彼は意欲的な赤眼とは違って、シャイな人の様に思えた。シャイというのは適切ではないかもしれない。自信がないとか臆病とか、そういう風に思えるほど、存在が希薄なのだ。もう少し言うならば、今とは違う時間を眺めている様に感じた。

其れが悪いというわけでも、責めているわけでもない。唯、目だけがギラついて、身体は陽炎の様に透き揺らめいている在り方は、余りにも辛そうに見えた。


彼のメンタルデータを覗いた時、その直感は間違いではなかったのだと確信した。濁った心情を映し出したグラフは、彼の不安定さを如実に表していた。

だからといって、私が彼を倦厭する事などない。恋は盲目とはよく言ったもので、今は其の濁りさえ、赤色に瞬く彼を引き立てる為の好いコントラストの様で愛しく思えた。

唯、何時迄も濁っていて欲しい、とは思えない。何時かは折り合いをつけて、しっかり笑える様になって欲しい。

彼が星彩に来た事は、きっと彼が彼自身を助ける良い機会になるだろう。早く其の時が来れば良いのにと待ち遠しく思う。其の時私が其の側に居られたら、どんなにいいだろう、と夢見がちに想いを馳せる。


彼は、他者の思い出話を聞く時、本当に僅かな瞬間、相槌混じりに幸せそうに微笑む。

単純に話を面白がったか、無意識に話に幼き日の風景を重ねたのかは分からない。其れでも、私はそんな微笑みをもっと見たくて、成る可く多くの事を話した。

彼はそんな私をどう思っただろうか。馴れ馴れしいだとか、はしたないだとか、空気が読めず騒がしい女だとか、そう悪く思われてはないだろうか。

もしくは、全く認知されていなかったとか。


まさかね、と陰りそうになる表情を身震いするように首を振って追い返し、念入りに手入れした翼の中に手を入れて、私は其れを引っ張り出した。

其れは写真だった。彼との別れ側、写真が趣味だと嘘を吐いて、夕暮れを背景に半ば強引に撮った簡素な集合写真。其の画像データを、セピア調の補正をかけて、専用の光沢紙に“装備”を介して転写したものだった。

デジタル保存が主流となった今、専用の光沢紙は少し値が張ったが、それに見合うだけの価値はあっただろう。

其れを月明かりに透かして、再度今日の日々を愛しく思う。

嗚呼次会話できるのはいつになるだろうか。私は其の時が待ち遠しくて仕方ない。

私は家の戸を押し開いて、日常へと帰って行った。



「ただいま」と言うと「おかえりなさい」とエプロン姿のカタハテが、リビングの戸から顔だけ出して何時も通り出迎えてくれる。


「これが美女ならば良かったのにおっさんだもんな」

「もぉしっけいしちゃうわぁ」

「本当に似合ってないので、やめていただけますカタハテさん?お望みなら潰しますけど」

「うわ、怖いって。この冗談はやめよ」

なんて軽口を叩きながらも嬉しく思えた日々は、酷く遠くに逃げ去ってしまったように思えた。


俺はカタハテの出迎えに対して笑顔を作れなかった。俺は此処を心の置き所にしていいものか、今更ながらに悩んでいた。

住み慣れて始めていたカタハテの家が、何処から別の所に変わってしまった様に思えて、俺は落ち着かなかった。

浮かない顔に思えたのだろう、カタハテは「嫌なことでもあった?夕食出来てるから愚痴でも言いつつ食べようか」などと微笑みかけて、頭を引っ込めていく。

取り敢えず、今はカタハテの背を追ってリビングに入る事にした。


夕食が置かれたテーブルに着くまでの数秒感、前を歩くカタハテの背を疑念の目で舐め眺めた。

高身長で細身の体だった。30代前半、いや20代後半か、まだ加齢を感じさせず生気を残す一般的な男性に見えた。

改めて観るとカタハテには少し猫背の気があった。意識的に背を伸ばそうとしていても、ふとした瞬間に出てくる卑屈さが漏れ出ている様だった。

けれど、其れだけだった。ナムルマティアらしい、足や胸部に出る特徴は見受けられない様に思えた。大腿部の筋肉のつき方も、骨盤の形も、脚先の蹄の様な変形も、見られない様に思えた。

カタハテは脚を悪くしていて自力では歩く事が出来ない。外骨格を付けてアシストを受けることで、ようやく歩行出来る。其の関係で、ナムルマティアらしい脚の特徴が目立たなくなってしまっている可能性は捨てきれない。

しかしやはり今の所は、


「ナムルマティアかどうかは分かんないか...」


思わず思考が口から漏れて、カタハテが「何か言った?」と振り向いてくる。怪訝な顔をしたまま目を合わせてしまって、俺は其れを取り繕う様に大きくかぶりを振った。

「じゃあ冷めないうちに食べてしまおー」とカタハテはにこやかに笑った。

掴み所がないが、其れでいて確かに人懐っこい雰囲気を漂わせている何時ものカタハテだった。人形の様に顔に笑みを貼り付けた、おしゃべりなカタハテだ。

疑うのが馬鹿らしく思えるほど、幼く単純に見えるカタハテの態度は、今回ばかりは疑念を掻き立てる一因となった。


カタハテは確かに人種を隠していた。

人種など此の州国家に限って言えば隠すほどのことでもない。寧ろ拘る様な事でもないのだ。人種毎に、肉体差があって、文化差があって、けれど唯其れだけの事なのだ 。

押し付けず、しかし思い遣っていればいれば、共感は出来ずとも理解も出来たし、歩み寄れた。此の州国家は其の為の、共和共存の国なのだ。州国家の一員ではない、ナムルマティアの自分でも其の事はよく分かって来ていた。

だから、人種を隠す必要などないはずなのだ。公開したとて不利益などないはずなのだから。

故に、明かせない理由を探すのならば、リーネなどは知っていて、俺に教えない理由を考えるのならば、きっと其の理由は俺とカタハテ間で過去に何かあったか、或いはナムルマティアのしきたり関係だろう。

そして、俺は星彩に来るまで、一族の外に出たことが無かった。一族以外の接触は著しく少なかった。

そうなれば残る可能性は1つ。カタハテはナムルマティアで、一族の命で俺を監視している。



「いや絶対ない。ないな。それだけはない。自意識過剰にもほどがある」


食事を終えて、自室として割り当てられた部屋のベッドに横たわりながら、悩み疲れた思考投げ捨てる。

大体俺は一族で役割を失って捨てられた身なのだ。監視など必要ない。第一こんなまどろっこしいことをするくらいならば、一族の支配圏から出さなければいいのだ。

案外唯言いたく無かったとか、気分とか、サプライズとか、そんな下らない理由の方がカタハテにはあっている気がする。

そもそもカタハテがナムルマティアと決まった訳ではないのだ。悩むだけ無駄かもしれない。

臭いものには蓋をするのが一番なのだ、と適当な回答をでっち上げて、カタハテへの疑問を深層に沈めていく。

けれど、一度湧いた疑心が簡単に消えるはずもなく、蓋をしても臭いは漏れ出してくるように、疑心は耳元で囁くのをやめなかった。




寝る前の入浴の為下の階に降りる途中、カタハテとすれ違う。彼は湯冷めしないように長袖のジャージを身に纏っていた。

「あ、風呂上がりですか?まだ湯残ってます?」なんて気軽に話しかけようとするも、ふと疑心が視界を曇らせて、言葉が詰まってしまった。

彼はそんな様子を見て、不思議そうな顔をしていた。


「おかしいな。リーネさんからは我ながら上手く指導できたって連絡があったけど。どうしたの。そんな難しい顔をして」


「カタハテさん、リーネさんのこと知ってるんですか?もしかして探してたコーチの方ですか?」


流石に年下の様に見えた少女に、友人ではなくて、師として教えを請うのは、なけなしプライド的に辛いものがあった。だが実際そうではない様で


「いやいやいや、彼女も選手だからね。流石にコーチはお願いできないよ」


道理で騎翼走に詳しい訳だ、と内心で納得する。

「それで?」とカタハテが自分の質問に答えてと催促してくる。


「あぇ、順調でした。それはもう1人でやっていた時よりよっぽど。感情共有の糸口も掴めましたし、回数を重ねればきっと」


「それなのにそんな浮かばれない表情なのか。リーネさんはどんな人だと思った?」


「..突然ですね。そうですね。上品な子でしたね。距離が近い子でもありました」


「悪い意味で?」


「好い意味で、ですね。きっと分け隔てがないというか壁を作らない子なんでしょうね。積極的で、そう丁度ヴェーヌァが伸び伸び成長できていたら、ヴェーヌァっていうのは俺の姉さんなんですけど」


答えを思案するのに夢中になって下がりかけてた顔を持ち上げると、酷く悲哀に満ちた顔をしたカタハテが目に入る。下唇を噛み切るほど歯を噛みしめていた。

「かっカタハテさん。唇」と慌てて言う。彼は「ほんとだ切れてる。いってててぇ」と我に返って口元を押さえ込んだ。其の儘リビングの応急箱に向かって歩いて行ってしまう。


俺は唯驚いたまま、カタハテの背を眺めていた。突いてはいけない言葉を告げてしまっただろうか、困惑が後味悪く残った。俺は益々カタハテの事が分からなくなってしまう。


酷く気持ちが悪い。ストレスに追われる感覚とは違う、もっとまともな感情が俺に訴えかける様に心を叩く。きっと其の感情は、思い出せ、と請い叫んでいる。

そう、きっと、思い出と約束を、忘れている。

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大地を捨てて:願いを叶える流れ星 @monosaki

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