地獄の門のK殻

ミスターN

第1話 地獄の門のK殻

 とある収集家の一室。

 重たい遮光カーテンを開けると、赤い夕陽が差し込む。

 それに照らされて、無数の埃が狭い宙を舞っているのが見えた。

 途端に息苦しさを感じて口を袖で覆い、足元に気を付けてつつも部屋を足早に出る。


「お恥ずかしい。この部屋だけは中々掃除が難しくてですね」

「あぁー……、なるほど」


 古めかしくて重たい扉の外から部屋を見ると確かにその通りだ。

 豪華な装飾が施された革張りの本。

 木製の朽ちかけた装本が施されたもの。

 紐で巻かれた朱色の巻物。

 剥き出しの紙片。

 それら多種多様な書物が下手なテトリスの様に積み重なっている。

 埃はその上にも、隙間にも薄く堆積している。


「もう七年経つのですね。桐原きりはらさんが失踪して」

「ええ、当主様はちょうど七年前に……」


 前触れも無く、痕跡も無く、まさしく忽然と。

 霞だったのではないかと思えるくらい跡形も無く失踪した。

 書物の収集家として知られていた桐原流言きりはらりゅうげん

 その有名人のビッグニュースは、それでも膨大な情報の海に瞬く間に埋もれ、今ではほとんどの人が覚えていないだろう。

 この部屋は彼の御仁のお気に入りが集められた場所だ。

 氏はこの部屋に入り浸ってはコレクションを読み耽っていたらしい。


「あれは何ですか」


 私は書物の中に埋もれた机らしき物の上を指差した。

 机であるかどうか自信が無いのは天板しか見えないからだ。

 その周囲は書物のコラージュで覆い隠されている。

 だが、天板だけはそうであると確信を持って言える。

 何故ならば天板上だけは整理され、多数の書物に侵食されていないからだ。

 といっても、流石は桐原流言。

 綺麗に保ってあるのだが上に載っているのはやはり幾つかの書物で、それ以外は読むときに使うであろう皮手袋のみ。

 その中でも際立っていたものがあった。


「ああ、あれですか……」


 本黒檀の天板の上。ガラスケースに収納された一枚の安っぽい紙がそこに有った。

 私の目が確かであれば、ただのコピー用紙に見える。

 どう考えてもこの風景からは浮いた代物だ。


「当主様が失踪する直前にオークションで購入したものでして……。その……」

「何かあったんですか」


 妙に歯切れの悪い執事の言葉に迷わず質問をする。

 もともと取材のために来たので、どんな些細な情報でも欲しい。

 失踪から七年経った氏は、今日をもって法律上死亡した扱いになる。このタイミングで再度記事を書こうというわけだ。

 しかし、正午からこの屋敷に入ったのだが、このままだと当時の報道と大差ない内容の記事になってしまいそうだ。


「いえ、奇妙なことに昨晩思い出したのです。当主様が仰っていた事を」

「それは興味深いですね」

「ええ、失踪なされた直近は私も動転して忘れていたのですが……。私がお昼の食事をこの書斎に運んだ時の事です。当主様はいつも集中して読まれてますので、扉の前でベルを鳴らすのです。そうすると書斎から出て、この廊下に置いてあったテーブルで食事をとられる。ところがその日は違いました」

「と言いますと」

「ベルを鳴らす前に扉が開いたのです。そして、私の手を掴むなり、おっしゃったのです。『分かったぞ』と一言だけ」

「……それだけですか?」

「それだけでした。それからテーブルに座って黙々と食事を始めまして、どういう事なのか聞きそびれてしまいまして……」

「直前に読んでいた物はアレという事ですか」

「そうです。タイトルは『63gのメタフィクション』と言います」

「『63gのメタフィクション』……。すいません、あまり書物について詳しくなくて。どういう方が書かれたものなんですか」


 執事に尋ねると顔を曇らせガラスケースを見やる。


「あれが誰によって書かれたのか。それは分からないのです。十年程前にカッターナイフで学生が亡くなった事件が有ったのですが、情報規制が行われ大々的な報道は行われていません。その時の事件現場で見つかった物らしく……」

「それがオークションに出品されていたと」

「そうです」


 西日に照らされて分かりづらいが、ガラスケースの中のコピー用紙には血痕がいくつか付着している。


「中身を拝見しても?」

「かまいませんよ」


 内容を確認して少し鳥肌が立った。

 これはどういう意図で書かれたのかはっきりと分からなかった。

 しかし、常軌を逸した内容であることは確かだ。


「貴方もこれを読まれましたか? これは事件の当事者が書いたものに見えますが」

「すいません。出自が出自なだけに不気味で、しっかりと読んでいないんですよ」

「では説明するので、何か思い当たる事があったら教えてください」

「……はい。それでは一階の応接室に向かいましょう。立ち話もなんですから」


 一階の応接室もこれまた書物が並んでいる。

 といっても書斎程ではなく、本棚に理路整然と並んでいてはみ出しているものは無い。

 ボイスレコーダーを鞄から取り出しながらソファに座っていると執事がお茶を淹れて持って来た。

 テーブルに置かれたお茶とどら焼きを挟んで対面に執事が座る。


「では早速。内容としては、最初にフィクションとして男性二人が登場します。田中と住良木すめらぎとそれぞれ名前が付いていて、二人のやり取りを書いてあるのですが、後半から唐突に住良木が田中を殺して作者に語り掛けるシーンがあります。最終的に住良木は自殺をするのですが、それまでの殺人の描写だけが妙にリアルなんですよ。この点から、フィクションの中の殺人に関する部分は実際にあった出来事を元に書いているのでしょう」

「実際の事件を元に作品を作るなんて……。なんだか嫌な気分になりますね」


 記者をやっている私は少し傷ついた。

 なんだか自分の事を言われている様で。

 まあ、その手の言葉は幾度となく言われたし、この執事はそういう意図で言ったわけではないのだろう。


「参考にはしていますが、あくまでフィクションなんですよ。何故なら最後に場面が現実に戻って『正しかったはずの手順』を紙の裏に書いたと記されていましたから。現実はこの前半のフィクションとは違って正しくなかった。そういう事なんでしょう」


 あの紙には現実の殺人の反省点を元に、理想的な殺人がフィクションとして書かれたのだろう。

 前半のやり取りはきっとそれを書くための蛇足で特に意味は無いと思う。

 そして、フィクション部分の最後の方に殺人に対する動機を匂わせる文が書いてあった。

 しかし、それは動機を確信付けるものではなく、むしろこの殺人には意味が無いと悟った様な内容だった。


「実際の事件をなぞったというわけではないと?」

「そのようです。最後に現実の場面に話が戻るのですが、住良木マコという少女と刑事らしき二人組が出て来るんです。苗字からしてこの住良木マコがきっと田中を殺した住良木なのでしょう。きっと自己投影してこの話を書いたのでしょう」


執事は適度に相槌を打ちながら話を聞いていたが、暫くして首を傾げた。


「何か気になる点でも?」

「ええ、些細なことかもしれませんが」

「構いません。どんな事でも仰ってください」

「現実の場面で刑事が出て来るのであれば、この文章を書いたのは本当に住良木マコという少女なんでしょうか?」


「えっと……。待って下さい。どういう事でしょうか」


「事件で亡くなったのは三人なんですよ。男性二名と親族の女性が一人。警察が突入した時には全員亡くなっていたそうです。なんでも女性の方は階段に座り込んでいて、最初は生きていると思ったそうです。ですが、首の傷口から大量に失血していたと。不思議な事に血痕は一つも無かったそうです」

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