黒い腕 前編 -⑶

 足早に改札を抜ける。

 何度か肩をぶつけ、舌打ちを浴びせられたが、謝罪の言葉さえ絞り出せなかった。早く、少しでも早く、あの怯えた目から逃げ出したかった。

 居心地の悪さは、藤宮景にとって切っても切り離せない呪いのようなものだ。何処へ行こうが、何をしていようが、首を締められているように息苦しい。強くありたいと望んだ自分の弱さが生んだ〝恐れ〟がそれだった。

 早く死ねと呪詛めいた妄想が脳裏に響く。遠くへ逃げたい気持ちが先へ先へと足を速める。あの怯えられた表情が頭からこびりついて離れない。そうだ、俺が殺したあの男も同じような顔をしていた。死にたくないと泣きじゃくりながら、裾を掴みながらすがり寄ってきて、それを俺は───。


「やめろ」


 公共便所の鏡に向かって頭を叩きつける。誤認したセンサーの蛇口から滝のような水が流れる。荒い息を整えて排水されていく水を無心で俯瞰した。弾ける水滴を機械のように眺めていた。

 何も考えるな。何も感じるな。いつだってお前は自分の意志で動くたび、多くの人を傷つける。怒りという意識に振り回された結果、不幸をまき散らした。

 この苛立ちを怒りに昇華してはならない。握り拳は解かねばならない。お前はお前であってはならない。


「クソが」


 薄汚れた鏡に向かって吐き捨てる。目の前で殺人鬼めいた強面の男が不機嫌そうに睨んでいるのが見えた。

 いや、正真正銘の殺人鬼だ。藤宮景は人を殺したからここに居るのだ。ある男を殺めて、居場所を失った。だから、この街に越してきた。居心地の良し悪しを求めるのは身の程知らずになるだろう。

 これからは我慢の日々だ。短気な性格もいよいよ変えていかねば学校にすら通えないだろう。景には、不肖の息子を送り出してくれた父への恩義があった。


「もう喧嘩はしない。暴力も使わない。それが、親父との約束だ。忘れるな、藤宮景……」


 何度も言い聞かせる。すると、頭の中で響いていた罵詈雑言は鳴りを潜めて消えていく。静寂を取り戻した頭の中では萎んだ気分だけが残った。

 やがて、六畳間にも満たない手洗い場の唯一の個室から水を流す音がした。人の有無の確認を怠っていた景は恥ずかしさを押し殺し、小さな息を吐き出して両頬を叩いた。

 くたびれた帽子ワークキャップを深く被り直し、個室から出てきた中年男性と鉢合わせないように、そそくさと逃げるようにトイレを出た。


 そして、五分後───彼は迷子になっていた。


 都市の中心だけあって『赤無駅』の設備は驚くほど充実していた。通称・赤無モールには、飲食店やカフェテリアは勿論のこと、ブランドもののファッション店も数多く並んでいる。他には映画館や小さな劇場ホールなども完備しているらしく、広大な土地に目一杯レジャー施設を詰め込んだ街の中心部に相応しいものだった。

 赤無市一帯のショッピングモールの役割も担っているのだろう。各個店の閉店時間も差し迫っているはずが、大きな袋を両手に買い物を続ける人の姿を未だよく目にする。


「いや、ここ、前も来たな……」


『赤無名物 蜂蜜酒 〜あまりの旨さに意識がトリップするぜ!』とゴシック体で書かれた社会人向けのお土産屋の前で、景はため息を漏らした。

 このような大きい建物は、方向音痴である彼にとっては天敵である。景は出口を探して右へ左へ彷徨っていた。赤無モールは、各フロアを小分けにした上で三本の支柱から縦横に隔てる複雑な構造をしていたのだ。どうして、都会の駅はどこも迷宮なんだと愚痴りながら殊更に二十分ほど追加で、見知らぬ土地を放浪し続けた。


ようこそ、赤無市へWelcome to ARKHAM City!』


 無駄に良い声で喋る液晶案内板と記念写真を撮る若いカップル。邪魔をしないように遠目からマップを覗いて、赤無モールから脱出の経路を把握する。やはり、地図でさえ迷路のような構造を示していた。

 だから、俺はなにも悪くない。方向音痴を認めたくない景の心境が足を進めべき方向へさっさと歩かせた。速めた靴底がワックスの効いたフローリングを軽快に擦る頃、写真を撮っていたカップルが気まずそうに、彼の背中を───正確には、彼の向かっている方向を指差した。


「今度あっちの方行く?」


「んー、いや、なんかいいや。気が乗らない」


「そうだよね。なんだろう。……寒いからかな?」


 そのまま反対の方角へ行くカップル。景は一人、彼女らが口にしていた正体不明の〝寒い〟という異常な感覚を遅れながらも感じ取っていた。悪寒というのだろうか。知らぬ間に二の腕には鳥肌が泡立ち、足が凍ったように重い。

 いや、これは寒いのではない。───景は無意識の内に否定した。この胸苦しい重圧を理由のない悲哀で片付けるのはいささか的外れだと思った。これは、そう、虚しいのだ。まるで、ここだけが隔離された異界のようで、空気さえも死に至る拒絶の意思が空間を通して漂っていた。伽藍とした拒絶が、一歩前へと歩み寄る足を重くしている。


 (ヤケに静かになったな)


 変わらないはずのモール共通の通路。あの活気ある喧騒と屋根を共にしているとは思えない物静かな冷たい空気に、気味の悪い薄暗さを覚える。長い通路の脇に列を為していた個店は営業終了の札ばかりが目立ち、人気は微塵もない。結局、あの若いカップルの後に唯一すれ違った腰の曲がった老婆を最後に、人と出会うことなく赤無モールを出ることになった。

 誰もが、この異常な感覚を知り、意識的、無意識的に避けていたとしたら、人が多少消えるのは頷けた。しかし、今は本当に誰もいない。彼の足取りは前へ進む度、鉛の板を膝に載せられるように重くなる。もはや、それでも彼が前へ前へ歩くのは意地に近かった。

 ここで引き返したら、俺は負けてしまう。何の勝負か、誰との戦いか、まったく知らないが、そんな気がしてならない。多分、これは妄想の類だろうが、ともかく一度行くと決めた道を折れるのは、新たな門出を祝うには幸先が悪いだろう。そういうことにしておこう。


「ほれ、出口。勝ったぜ、ざまーみろ」


 垂れ落ちる額の汗を拭い、誰に向けてでもない特に意味もないガッツポーズをした。彼のくだらない意地は、自己完結の満足に削ぐはなかった。仮想の敵を勝手に一人で作って、勝手に一人で勝ったのだと満ちた思いで苦笑しながら、出口である両開きのガラス戸を開けた。

 途端、生ぬるい夜風がぞわりと触れ、舌先で舐められるようなざらざらとした不快感が神経を走った。虫の声すら響くことを躊躇われる沼池の水面と化した質量を持った静寂が目前に暗澹として広がっていたのだ。

 ほっそりとした街灯が照らす石道。奇妙な頭足類めいた芸術的オブジェクトが建ち並んでおり、見栄えの悪い雑木林が得体の知れない闇を醸し出し、来るものことごとくを拒む確固たるよこしまな意識を撒き散らしていた。

 公園だろうか。景はストリートラッパーやギタリストが安い路上ライブを盛り上げていたり、移動販売の屋台が不相応な列を象る光景を密かに望んでいたが、残念ながら拍子抜けだった。


「どこだよここ。なんか気持ちワリィ……」


 スマホの地図アプリを起動すると予想した通り公園であることがわかった。名称は『アーカムファミリー公園』というらしい。遊具は見当たらない。子供が怖がりそうなタコの銅像はある。間違いなくこいつらは撤去した方がいいだろう。


 腕時計が二十時を示す。未成年なら急がねばならない時間帯だが、異常な重みは健在であるがため、彼は急ごうとは思わなかった。補導の心配は彼に限ってないだろう。そういう顔と体格なのだ。根っからのヤンキー体質である景は堂々と歩幅を短くした。

 コツコツと靴音だけが響く。浅い林に潜む常闇の石道に等位置に睨み合う石像の列。心もとない街灯が照らすものは、歩行者ではなく、この気色の悪い像ばかりだ。あまりの異質さに、ついに景は偶然目についた像に興味本位で近づいた。

 それは、泡沫の像であった。大小様々な球が重なり合い、天に昇るシャボン玉のようなオブジェクト。台座のプレートには「時と空間の支配者 Hajime・Kuroi」と書かれており、作品のタイトルと製作者の名前が一緒に刻まれていた。


「意味わかんねー……」


 美的感覚の薄いと自負している景でさえ、この作品オブジェクトが公共の福祉に相応しいものではないと断言できた。好きな人は好きなのかもしれないが、彼の心は射貫けなかった。

 その時、ほとんど偶発的にも彼はこの石像の台座背面に貼られた奇妙な〝お札〟に気がついた。人の目を盗んで貼られたのであろう札は、生えたばかりの雑草に隠れるように台座の下でその異様な存在感をひっそりと訴えていた。

 景はしゃがんで御札を観察した。日本語には見えない崩れた文字は甲骨文字に近い古代の言葉だろう。少なくとも、景の知らない言語だった。臆することなく、指でなぞってみる。


「なんだこれ。貼ったばかりだなこりゃ」


 札はざらつきのある材質と黄ばんだ色から古い物だと断定できる。しかし、石の台座から微塵も剥がれる様子のない固定力からつい最近、何者かが接着したものだと判断できた。

 イタズラだろうか。わざわざ剥がす気にもならない景は、とりあえず写真にだけ残してその場を去った。


 (あとで妹に送ろう。変なモン見つけたって)


 怖いもの好きな妹だ。きっと、喜ぶだろう。などと考えていると、不意に自分の身に変化が訪れていたことに気を取られ、足を止めた。


 空気が軽くなった、ような気がする。少なくとも、半ば引きずっていた足の重さは嘘うのように軽くなっていた。あの鬱陶しかった重みを感じない。

 なぜだろうか。もしや、この札に触れたからか? まさか、そんな都合の良い話があるか。己の空想豊かな考えに自嘲しつつ、視線を道から外へ投げた。


 目を逸らすと、健気に揺れる木々に囲まれた一面の青い芝生のお腹が見えた。開けた場所では、夜空の星と地平線が重なり、人工的とはいえ、雄大な自然の美徳として彼には映った。見下ろす如く巨大な山吹の月光に照らされた景は、今宵の月がこうも面妖に栄えるとは思いもしていなかった。

 月に睨まれたことで、景は今の今まで忘れていた孤独感をひしひしと覚えた。辺りを見渡しても、人間どころか、生物の気配一つしない。まるで、彼だけが別世界に迷い込んでしまったような孤独の哀愁が隙だらけの心を襲う。


「なんか、こんな気分ばっかだな……あっ」


 そんな時、公衆便所の側にぽつんと寂しく置いてあった喫煙所が目に留まった。こんなもどかしい気分は、大量のタールを肺に溜め込んで誤魔化すに限る。月より煙草だんご。景の眼中から奇妙な出来事諸々は既に消えていた。

 スキップ気分で歩み寄り、ベンチまで設置された親切心に初めて赤無市が好きになれるかもしれないと本気で思い始めた。彼はスタンド灰皿の前に立ち、鼻唄でも歌い出しそうな上機嫌さでポケットから煙草シガーを取り出し淡々と咥える。


「火ィ、どこだ。どこいった……あったあった」


 自前の鉄製のジッポーの蓋を開ける。多少の改造が施された銀色の小箱の蓋はスプリングが程よく効いていた。

 もちろん、彼は未成年ティーンエイジャーである。この国に籍を置く限り、二十歳になるまで、喫煙は固く禁じられている。しかし、不良体質が板に着いた彼は、何かと反抗心が芽生えてくる。煙草はその一つに過ぎない。

 生粋きっすいの仏頂面は他人が査定する年齢の境界線を曖昧にしてくれる。その所以あって、数え切れない因縁を付けられ、その度に殴り合いに発展した。流した血は多いが、その量だけ同世代とは一段早い無駄な成長を成し遂げることはできた。赤の他人からすれば何の違反もない青年に見えるのが藤宮景という不良ヤンキーだ。

 つまり、良い子も悪い子も決して真似してはならないし、法的に無論アウトなのだが、彼個人としては何の問題もない。

 景はオイルライターを着火させようと螺子を緩めて軽くしてあるホイールを親指で素早く回した。だが、肝心の火が中々点かない。


 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ……。


「ああ、くそ。切れてんのか」


 すっからかんのオイルライター。気分転換のつもりが、逆に気を害してしまった。今は哀しみの象徴と化した煙草を咥えたまま、やるせなくベンチにどかっと腰を下ろした。


「どっかでライター買うか。いや、その前に飯か。腹減ったしなァ」


 虚しい胃が、消化できる物を求めて鳴いていた。そういえば、例のおにぎり以降、何も口にしていない。


「さすがに、日を跨ぐってのは、まずいよな」

 

 本来であれば、彼が真っ先に向かうべきであろう、引っ越し先に行かないのは、どうしても気が乗らないからだ。

 藤宮景が殺人を犯し、退去処分を受けてから、彼の父親は冷静な対応に努めていた。相次ぐ取り調べに加え、児童相談所や精神科などに連行され、休める暇も与えられなかった景が関与できない内に、着々と新たに移り住む場所や通う学校さえも彼の父親は独断で決めていたのだ。

 もはや、反抗の意思すら削がれ、景は父親の用意した新生活という椅子に座る他なかった。

 それでも唯一不服であったのは、不良息子の保護者兼監視役を母方の叔父に任せたことだ。刑事上がりの叔父は私立探偵を営んでいて、その事務所の真横の空き部屋に住まわせてもらう予定になっていた。

 

 叔父は、一言で表して自己中心的な剽軽者である。


 子供の頃、稽古と称して護身術を無理やり叩き込まれた。合気道や空手、古武術や柔道に始まり、軍人の知り合いから教わったと聞く怪しげな格闘術まで手当たり次第に肉体に覚えさせられた。逃げようとすると普通に笑いながら追いかけられ、捕まり、景は泣く泣く鍛える羽目になった。

「お前は運動能力がズバ抜けて良い。優秀なモルモ───じゃない。優秀な武道家になれるぞ」と笑いながら、それでいて逆十文字固めを食らわせながら、泣きながら畳を叩く当時七歳の景に語った。

 体を動かすこと自体は嫌いではなかったが、ものには限度がある。傍若無人な叔父の存在は、景がグレた要因の一つでもあるだろう。

 とはいえ、感謝は一応している。気に入らない奴を問答無用で殴れるような馬鹿をやれるのは、叔父の肉体言語による英才教育の賜物だ。殴って、蹴って、投げて、また殴って───喧嘩には欠かせない技能スキルの大半は叔父譲りだった。

 だからこそ、人を殺した景は叔父と会いたくなかった。


 まず、会って、謝ればいいのだろうか。あなたの弟子は、人殺しになりました。ごめんなさい。これからよろしくお願いします。───言えるはずがない。


「バカやって観察処分になったんだ。文句を言える立場じゃねぇんだぞ」


 独り夜の下。景は自分に言い聞かせるように説得を始めた。どうせ、周りに誰か居るはずがない。この独り言が聞こえるはずかない。不気味な今の状況が、今だけは幸運に感じる。


「ブタ箱に入れられずに済んだだけ幸せモンだ。気まずさがなんだ。ワガママ言うワケにもいかねぇだろうが」


 それでも身体は正直だ。疲れた足と伸びた腰がボイコットを掲げていた。いざ動かんと固まった意識に反抗して、脳は身体に休憩を言い渡していた。火のない煙草が悲しく視界の真ん中にしおれて映った。

 なんだか、景は頑張ろうとするのが、馬鹿馬鹿しく思えてきた。


「ツイてねぇ」


 紙の味がする煙草を呆然と咥えたまま、まばらに輝く名も知らぬ星の群れを仰ぎ見る。冷たい夜空にともしびを彩る無秩序な光源。決して零れ墜ちることない一つ一つの瞬きが、矮小たる人々を天高くから俯瞰する〝目〟のように感じた。逃げ場など何処にもない。それらは地球という星を監視しながら、いつか支配権を必ずや物にせんと企んでいる。

 そんな歪な錯覚が過った。あまりにつまらない妄想に、景は失笑気味に「ばかじゃねぇの」と吐き捨てた。

 生温かい風が吹く。草木が揺れ、屑入れのビニールが羽ばたく。

 電灯に群がる蛾の一匹が蜘蛛の糸に引っかかる。仲間の叫びに、彼らは無情にも飛び続けた。やがて、巣の主人に食われるその時まで。

 貪られる蛾に、自分を重ねた。彼という蛾は、諦めた顔で抵抗もせず、その翅を差し出していた。

 ───死んだ方が社会のためじゃない?

 

「……わかってる。そんなことぐらい」


 無意識の内に、哀れな蛾の最期から目を外し、嘲笑うが如く天に浮かぶ月に吠えていた。


「死ぬ気も毛頭ねェけどよ」


 自分はクズだ。どうしようもない人間のゴミだ。態度は悪いし、頭も悪い。頭に血が昇ると手が出る時代遅れな不良である。

 ただ、死ねと言われて死ぬほど正直でもなかった。あの蛾とは違う。抗う意思を失う予定はない。死んだっていいが、その時はその時になってからだ。それまではみっともなく生き抜こう。

 生きて、生きて、気が済んだら適当に死のう。

 それが彼が絞り出した答えだった。満足のいく答えだった。

 腕を高く掲げて背伸びをする。骨の鳴る肩をほぐしながら、神妙な気分を払おうと、ぶつぶつと呟いた。


「あー、腹減ったな。煙草も吸えねぇし、ボケっとしてたら日付変わりそうだし、そろそろ動くか」


 両手で膝を叩いた時だった。奇妙な視線が走った。


「───あ?」


 最初は幻覚だと思った。実際、今でも疑わしい。

 夜が生み出す暗闇から覗く妖しげな視線。ぼんやりと蝋燭の火が灯るような黄金の瞳が一つ、固定されたように目が離れない。目を凝らすと、浮き彫りになった小さな人影は、泡沫のような儚い印象を授けた。

 それは少女、なのだろう。

 一本の道を挟んで、奥の林から隻眼の少女が見つめていた。

 目を逸らせば、消えてしまう。そんな理由もない強迫観念に従い、未だ半信半疑のまま、景は幻想めいた少女を凝視した。


 物思いに耽ていたとはいえ、まったく気づかなかった。視力も聴覚も無駄に高いと自負していた彼は、一体いつからその場に立ち、此方を眺めていたのか見当もつかなかった。まるで、最初からそこに存在していたように、不安を煽る木々の騒めきと一体化していた。

 どれほど時間が経っただろう。このままではらちがあかないと景は一度咳払いをし、隻眼の少女に威勢に任せて声をかけることにした。


「お前、いつからそこにいた?」


「…………」


 少女は何も答えない。変わらず、黙って景を見つめるだけ。

 その瞳に吸い込まれてしまう。決して比喩ではなく、この肉体がぐしゃぐしゃになってあの目に食われてしまう。少女の黄金の瞳にそんな妄想すら抱いていた。背中に嫌な汗が張り付く。


 (〝黄金の瞳〟……。どっかで聞いたことがあるような、ないような)


 頭が上手く回らない。呼吸が乱される。何かに邪魔をされているように、曖昧な記憶が飛び交った。

 景は振り払うように頭を振った。子供相手に何を恐れている。景はナメられまいとわざわざ眉を寄せて威嚇メンチを切った。見世物じゃねぇぞ。早く失せろ。そんな威圧を込めて睨みつけた。顔面不動明王と化した景は、子供だろうと大人だろうと泣いてしまうほどに物騒極まる表情だ。彼はこの顔で数多の問題を解決、時には悪化させてきた。

 しかし、この少女、無反応であった。


「いや、なんか喋れよ」


 呆れて溜め息が出る。空気が抜けるように、一瞬にして藤宮景本来の情けない表情に戻った。少女は未だ微動だにしない。

 よく見れば、少女の頭には、不釣り合いな大きさの黒いとんがり帽子が乗っていた。世間一般的に周知されている魔女の帽子は高さだけでなく、左右に垂れ下がるつば、、は少女の肩幅を悠に超えている。尚且つ、夜影と同化するほどの異様な黒さは一種の物珍しさより不気味な感覚を与える。

「まだ五月だぜ。ハロウィン先取りし過ぎだろ」と口を開けて戦慄していると、ついに少女の唇が微かに動き、虫の羽音のように静かな声を出した。


「……疑問」


「あ?」


「煙草、吸わない、なぜ」


「あ、ああ……」


 魔女の少女が遠慮なく指差したのは彼が何となく咥えたままの煙草だった。黄金の瞳が捉えていたのは藤宮景ではなく、虚しくも吸えない煙草だったらしい。


「火がねェんだよ」


 吸いたくても吸えない現状を指摘されたようで、景の語勢は強まった。しかし、気にも留めぬ少女の―――平たく言えば、子供らしくない―――冷たい表情ポーカーフェイスに根負けして、空っぽのオイルライターをポケットから出した。

 すると、あっという間に、撒き餌に釣られる魚の如く隻眼の少女は暗闇から街灯の下までその身を晒した。無警戒に彼との距離を縮めて、彼の手に握られたジッポライターを物珍しそうに見つめる。

 初めて会う野良猫に餌をあげるような気持ちだった。「そんなにめずらしいモンじゃねぇぞ」と笑いながら景は遠慮なく近づき、後退った少女の心境を汲むことなどせずに、糸のように細い手を掴んで、半ば強引にジッポーを握らせた。彼女はそれをぎこちなく受け取った。


 少女がライターを逆さまにして、三百六十度あらゆる視点から観察し始める頃には、景はベンチに戻っていた。


 おかしな奴だ。景は無意識に笑っていた。

 なんとなく興味が湧いて、少女を遠目に観察した。人工的な明かりによって、全貌を暴れた少女は、中学生か小学生か、それぐらいの見た目であった。ただ、小さな背格好を際立たせるような、現代的とは思えないみすぼらしい格好をしていた。

 骨のように細い身体は最後の食事がいつだったのか疑問を抱かせる。乱雑に全身に巻かれた包帯は、彼女の右半分の顔さえ無遠慮に隠し、右眼を完全に閉ざしていた。穴だらけの薄汚れたワンピースには茶色がかった赤いシミがいくつかの穴を基点に染み渡っている。靴に至っては履いてすらいない。裸足だ。

 

 (おまけに無駄にデカいトンガリ帽子ときた。こんなファッションが流行っているとはな。最近のトレンドはホントわからん)

 

 景の思考は停滞していた。彼女が何処の何者なのか、皆目見当もつくはずがなく、何となく眺めていた衣服の赤がかったシミが血の跡、、、だと気付いても、それ以上の深入りはしまいと目を逸らした。その時、少女はとんがり帽子の先端を揺らしながら、片足を膝に乗せて座る陰鬱な景の目前にまでひらりと近寄った。


「提案。煙草を吸っている姿を見たい」


「は? なんで」


「回答。煙草の存在は知っている。ただ、実際に使用している姿を見たことがない」


「は、はあ。さいですか」


 でも、火がない。

 そう景が言い終えるより先に、隻眼の少女はジッポーを食い気味に突き出す形で返してきた。その左目には、妖しい黄金を保っているものの、その奥に潜む芯たる心が、ほんの少しだけ子供らしく爛々と輝いている気がした。

 彼女の気迫に押し負けて、景は素直に使えないオイルライターを受け取った。オイルを補充しなければ、ライターの火が着かないことを説明しなければ無駄なのかと、面倒くさそうに諦めかけていた。

 そこで違和感を覚える。ジッポーの重みが違ったのだ。鉄のずっしりとした質量に加えて、中に何か入ったような重さ。

 直感的に、ホイールを回してみる。火が、、着いた、、、


「ん……ンンんっ?」


 景は思わず、蓋を閉めた。

 目をぱちくりさせながら、蓋を開けて、再点火する。なんなく燃え上がる小さな炎。景はいよいよ気が遠くなった。

 底をついたオイルがライター内部から自然的に、温泉のように、湧き出たとでもいうのか。それも満タンではないか。しばらくの間、景は揺らめく炎を目を丸くして眺めた。少女もまた燃え盛る火の灯りに顔を暖めていた。

 放心していた景は、まさかと思い、灯された少女をまじまじと見つめた。彼女は手ぶらである。とてもジッポーを分解する暇など無かったはずだ。


「疲れてんのかな、俺」


 目元を摘んで乾いた笑みが溢れる。最後にもう一度だけホイールを回すと、やはり難なく火が灯る。どうやら、本当に疲れていたらしい。まだオイルは残っていたが、疲れのあまり勘違いを起こしたのだ。


 こっそり少女の方に目をやると、前屈みになりながら熱心に煙草と火を見比べていた。気のせいか、とんがり帽子が尻尾のように左右に揺れる幻覚すら見える。散歩の時間になった犬の尻尾の具合によく似ていた。

 彼女は、彼が煙草で一服する瞬間を今か今かと待っている。景は、煙草を吸えと言われたことがあるはずもなかったので、動揺の気持ちを隠せなかった。喫煙していたことに対して、初めて後悔なるものを感じた。

 おそるおそる手元の火に、咥えたままの煙草を近づけると、食い入るように少女も真剣な眼差しを近づけてきた。恥ずかしさと緊張感の板挟みに、彼はもう泣きたい気分だった。

 想像以上の期待度だ。「あんまり近づくと危ねぇぞ」と言って、火から遠ざけても尚、彼女は彼と煙草を注視した。もはや、逃げられない。景に残された道は、ニコチンによる現実からの逃避であった。大量の紫煙を肺に溜め込んで、束の間の忘却に助けを求めよう。煙草に火をつける。

 その直前、景はジッポーの蓋を閉めた。淡い炎の揺らめきが夜闇に呑まれ、呆然とした冷たさが二人を包んだ。

 余計なことを考えてしまった。彼女が初めて出会った喫煙者が、本来、吸ってはならない未成年者であっては、彼女の将来に何かしら悪影響を及ぼすのではないか―――? そんながらにもない心配から見栄を張ってしまった。自分のような社会のゴミに、未来ある子供を穢す権利など万が一にもないのだから。


「やめた。やめだ、やめ」


 すっかり折れた煙草を口から離して、ゴミ箱にかかる烏避けの網の隙間から名残と共に捨て置いた。

 少女は景の一連の動作を黄金の目で追っていた。表情はついに眉一つとして変わらなかったが、代わりにとんがり帽子が萎れて垂れ下がっていた。まさか、落ち込んでいるのだろうか。

 いや、あり得ない。錯覚だと言い聞かせる景に、少女は機械のような声で訴えてきた。


「困惑。なぜ」


未成年ガキは吸っちゃいけないからだ」


「疑問。なぜ」


「なぜって、それがルールだから、なんじゃね?」


「るーる」


「おう。ルールだ。覚えとけ」


「るーる……。了承。未成年の煙草は禁止。それ即ちるーる、記憶メモリする」


 頷く少女に対し、景は申し訳ない気持ちが湧いてきた。期待させておいて突き離した行為は、理由はどうあれ、幼い心を弄んだことに違いない。罪悪感に苛まれる彼に、少女は更に言葉を続けた。


「疑問。では、いつ見れる」


「いつって、俺が今十七だから、ひーふーみー……。あと三年ぐらい先か?」


「驚愕。三年、長い」


「あっという間だぞ、多分」


 気が抜けた彼は、熟考の際、座ったベンチの端に寄った。すると、空いた横に少女がすかさず座った。座るか否かの質疑応答は二人の間で交わされたわけではない。すべてがなんとなく、、、、、だった。

 隻眼の魔女っ子は、野生の栗鼠リスのように細く小さかった。大きな帽子で背丈を稼いでいたとしても、座高ですら彼───身長が一八〇少しもある大男であるが───には届かない。そもそも全身に巻かれた包帯が少女をより小さく抑えている、、、、、、感覚がした。右目を丸々隠している包帯は小顔にでも見せる秘訣なのだろうか。それとも、本当に怪我をしているのだろうか。

 後者なら、理由は何だ。頭の中で結論は八割出掛かっていたが、景はなるべく平生を装って、ぎこちない笑顔で聞いてみた。


「てか、親はどうした。こんな時間じゃ心配してんぜ」


 児童虐待なら、景はすぐにでも施設や相応する組織に連絡する気でいた。だが、彼女の返答は予想だにしないものだった。


「回答。総ての母なる祖は遥か遠き夢幻の果ての底に座している。物質の干渉は愚か、認識及び感知することすらできない。本来どうすることもできないが、門がこじ開けられ、生死の時空が破綻すれば、混沌の渦を飲み干さんと冒涜的なその身を現世に晒すことになるだろう」


 …………???

 景は唖然とした。突然、何もしていないのにPCが一面を黒に染めた感覚とよく似ていた。そして、意味不明な文字の羅列を平然と並べられ、何の反応も、単なる感想さえ絞り出せずにいた。ワケわかんないの一言に尽きる。実際、景は頭の中が真っ白になっていた。

 何を言っているのか、さっぱり分からない。途中から聞くに及ばず、思考停止の果てに彼女の視線の先にある虚空をぼーっと眺めていた。

 景は顎に手を当てて考えた。今、たしかに親の話を聞いたのだが、門がどうとか、夢が何やらとか、一見関係のない言葉が耳に入ってきた。彼の知らない意味を含んだ単語だったのだろうか。

 もはや、疑いようもない。さも当然のようにああ、、答えた少女に、彼は単刀直入に言った。


「おまえ、さては頭良いな?」


「否定。思考は単純。知識ならここにある」


 首を振って、少女は澄み切った妖しい金色を帯びた左目を指差した。いや、頭の方を指したのかもしれない。彼にはどちらとも取れた。


「まじかよ。なんか知らんけどスゴいな」


 景は深く考えなかった。

 景は自分のことを馬鹿だと認識している。彼が意味不明だと感じても、難しい言葉を使っている人は、大体が賢いのだと勝手に決め付けていた。彼女の言葉もきっと、知的な言葉なのだろう。彼なら、10文字足らずで舌を噛んでいただろう堅い文章を、流暢に言える彼女は天才の類であることは明確である。と、景は考えた。

 親御さんの英才教育の賜物だろうか。いくら天然馬鹿の不良とはいえ、現役高校生を唸らせた彼女の饒舌は、常人には理解できない凄みがあった。


 とんだ神童と出くわしたモンだ。将来、きっと大物になるぜ、この子は。

 景は感慨深く頷きながらも「ひとつだけ、いいか」と天才かもしれない少女に人差し指を立てた。知能では劣るが、年長者として一つ教えてやらねばならないことがあったのだ。


「いいこと教えてやる。バカと話すときは言葉に気をつけろ。話が進まなくなる」


「了承。記憶メモリした」


「ちなみに、俺はバカだ」


「適切な言葉の選択。とても難しい」


「ばっか。考えるな感じろ」


思案ロード。…………不可能エラー


 少女の頭は停止パンクしていた。バカの無理難題に、彼女の人形のような表情に初めてかげりが生まれた。それでも尚、猿でも理解できそうな言語の正しい選択をしようと、必死であった。

 反して景はお気楽に彼女の肩を叩いた。


「別に言葉で言わなくたって良いんだぞ。メンドクセーなら行動で示しゃいい」


 そう語って、自嘲気味に笑った。そんな生き方をしているから、争い事ばかりに首を突っ込み、挙句は『厄病神』と呼ばれてしまうのだ。

 こいつに、偉そうな口をきける人間ではないのだ、俺は。

 対して、景の無責任な言葉を聞いた少女は自分の掌を無言で眺め、静かに頭を振った。


「……不可能エラー。やっぱり、難しい」


 言葉の節々に落ち込んだような弱々しさが見えた。虐めたつもりはなかったが、何故か景は逃げるように目を逸らした。


「無理しなくてもいいんだぜ。俺がわかんねーだけだし」


「それは問題。疑問は解かないと」


「いいんだよ。馬鹿は考えても無駄だから、馬鹿ってんだよ」


 景は無意識に煙草の箱に手を伸ばしていた。はっとして少女に目を移す。

 少女は俯き、地に届かない足をぶらぶらさせていた。どこか寂しそうな眼差しに、景は内心どこかで舌打ちをしていた。そして、彼女にバレないよう、煙草の箱をわざわざ鞄の奥に引っ込めた。


「帰れないのか」彼が聞くと少女は「帰れはする」と答えた。

「じゃあ、帰んな」と言うと、しばらく間を置いて、彼女は拒絶の意思を見せた。景はまたしても天を仰いだ。


 面倒なモンと関わった。

 彼女からは厄介ごとの臭いがする。これ以上、深入りすると何か不味い気がする。知らぬが仏。触らぬ神に祟りなし。他人を心配してやれる余裕を観察対象である藤宮景は持ち合わせていない。


「交番にでも行けよ。迷子なり、家出なり、子供相手なら喜んで力になってくれるぜ、多分」


 半ば皮肉が混じっていたのは言うまでもない。事あるごとに悪い意味でお世話になった景は、一般的な共通認識としての警察が持っているであろう頼るべきイメージとは違っている。厄介、ウザい、しつこい、の三拍子である。

 そんな彼の皮肉にも気付かず、隻眼の少女は首を縦に振った。


「それはできない」


「なんだ自惚れてんのか。こんな時間だ、迷子じゃなくても大人を頼れ」


「帰れない。……帰るわけにはいかない」


 はっきりと物言う彼女が苦しげに言葉を詰まらせた。見落としてしまいそうな一瞬の内に、小さな口を結んで隠した憂いが視界の端に過ぎ去った。その表情はただ虚しかった。

 ああ、知っている。知っているぞ。その顔は辛いときの顔だ。縋る者さえ消え失せたヤツがする顔だ。知っている。覚えている。もう忘れられないほどに脳裏に刻まれてしまった。景は奥歯を噛み締めた。ほれみろ、厄介なやつだこれは。なんせ、もう逃げられない。

 それは藤宮景という少年が、この世で一番忌み嫌う表情だ。泣きじゃくって、鼻水垂れ流した汚い顔の方がまだ好感が持てる。変な因縁を付けられてメンチ切ってくるいわおのようなごつごつした顔もまだ許容できる。


 だが、その顔は、枯れ果てた涙故に、虚しさだけが砂漠に滴る憂いの顔だけは見過ごせない。本当は泣き叫びたいのに、何もできなくなった人間が最後に見せる顔は、景の心を容赦なく蝕んだ。

 これは呪いだ。藤宮景の心臓に巻きつく分厚い鎖に繋がれたドス黒い枷のような呪いだ。どこかに鍵があるはずなのに、もう見当たらない。もう動くしかない。出会ってしまった以上、逃れるすべはない。


「……ツイてねぇ」


 今日は厄日だ。もはや、日が着々と変わろうとしているが、きっと厄日は跨いでしまうだろう。ゆったりとした夢から醒めた気分に揺さぶられ、景は膝を故気味よく叩いて、ベンチから突発的に立ち上がる。少女はそれを奇異の目で追った。

「あー、面倒だなマジで」と呟き、小石を蹴ったり、あっちへこっちへ歩き回ったり、後ろ髪を掻きながら逡巡したりするが、呪いはどうやっても所詮は呪い他ならない。帽子キャップを脱いだ景は、哀みを増した輝かしい黒の天を怒涛の形相で睨みつけた。

 そして、愚かにも、月に向かって「ああ、クソ鬱陶しい!」と猛々しく吠えた。途端、一連の奇行を見ていた少女に苛立つ顔を維持したまま、頬を殴ってしまいそうな勢いで、乱暴に手を差し出した。


「ツマんねぇ顔しやがって。ガキはずっと笑ってりゃいいんだよ。そんなメソメソしたって、くだらねぇんだよ」

 

 少女は呆気に取られ、信用に乏しい骨張った固い掌を茫然と見つめていた。

 

「ああ、もう、とにかく飯だ飯だ。煙草の代わりだ。奢ってやるからついてこい」


 そこまで言って、自分の言論が誘拐犯そのものであることに気がついた。そういえば名前すら聞いていなかった。

 被った帽子ワークキャップを上げた景は、少女の目線に合わせるため、しゃがみ込んだ。再度、今度はしっかり手加減をして、手をそろりと差し出した。


「俺は藤宮景だ。今日ここに引っ越して来た。お前の名前はなんだ」

 

 景の問いに、隻眼の少女は目を伏せた。やがて、考え込んだ末に、まるで、やっと記憶の淵から探し出せたように、ぽつりぽつりと呟いた。


「……名前、無ではなく、得たもの。そう、回答。私は、エノ、、と呼ばれていた、気がする」


 何か自信のない声音に、景はひたすら笑顔を見せて「いい名前じゃねぇか」と言うと、彼女は気の所為かと疑うほど微量の綻びから、頬に緩みを見せた。


「んじゃ、エノ。煙草見せてやれなかった代わりだ。とりあえず、なんか奢ってやるよ。話はそれからだ」


 隻眼の少女こと『エノ』は差し伸べられた彼の分厚い岩石のような掌を、じっと見つめていた。和食を食べようとする外国人が箸を初めて握ったように、覚束ない表情を浮かべていた。

 やがて、意を決したように、その無垢なる手をそっと重ねるように、彼の手をぎこちなく握った。

 その手は微かに震えていた。畏れや恐怖、不安を感じさせる中に、彼は一粒の泡沫のような淡い夢に触れた。包帯のざらつくような感触しか伝わらないはずが、景には間違いようもない人の優しい温もりを手にしっかりと感じていた。

 景はその手を優しく握り返した。

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