第64手 呆気ない世界

 嘘だ…!


 頼むから夢であってくれ!


「うわぁぁぁあああ…!!」


 俺は、現実から逃げるように何度も叫んだ。泣いた。


 なんで、いつも俺は頼りないんだ。かおりにリードされっぱなしで、結局最後は死なせてしまった。


「相変わらずだな、お前は…。…将棋で俺に負ける度にそうやって泣いていたな。」


 。それは、バカ兄貴が俺につけたあだ名であった。これほど俺にピッタリな物はない。


「もう…殺してくれ…!」


 俺は、苦しみから逃げ出したかった。両足を失い、戦うこともできない。何よりも、俺のケツを蹴ってくれる香がいない。


「惨めな奴だ…。残念だが、俺はお前を殺さない。安心しろ。」


「え…?」


 意味不明な言葉が返って来た。


「いや、正確には。」


 ここまで来て何を言ってやがるんだコイツは…!


「もう俺は…指一本動かす力も残っていない。運が良かったな、たれぞー。これが極玉ごくぎょくの副作用だ…。アレは寿命を縮める。俺は…どうやら…お前以上に後先を考えていなかったようだ。」


 突然バカ兄貴が、俺の隣にバタンと倒れた。どういうことだ!?


「たれぞー…。今の将棋界は間違っている…。」


 うつ伏せに倒れ、呼吸をし辛そうにバカ兄貴が喋る。


「お…俺だって…今の将棋界は、おかしな所だらけだと思う…。だけど、人を殺してまで変えることじゃないだろ…!?」


「そうか…。お前も…おかしいとは思っていたか…。だが…歴史は犠牲の上で塗り変わる…。お前ごときの覚悟じゃ…変えられない。俺は自ら犠牲になることを選んだ。」


 どんな理屈を並べようが、バカ兄貴が悪であることには変わりがない。香を殺した時点で、俺の中では絶対的な悪だ。


「お前が何もしなくても…俺は正しいやり方で将棋界を変えれたんだ…!お前が余計なことをする必要なんてなかったんだ…!」


「東京都心が麻痺した上…将棋星人が地球にやって来る。俺は、見届けることはできないが、少なくとも将棋界は終わる…。将棋が原点に還る時を見れないのは残念だ…。」


 そう言いながらバカ兄貴が、手を震わせながらブラックホールを作り出した。


「なっ…!?」


 俺は、バカ兄貴のまさかの行動に驚く。なんのつもりだろうか?しかし、その疑問の答えを知ることは既に不可能だ。


 バカ兄貴、羽野はの 底歩そこふは今死んだ。


 最後の力を振り絞って出現させたブラックホールだった。


 無音の異空間内で俺は、香の遺体を両手で掴み、這いながらバカ兄貴が作り出したブラックホール内へと入った。


 バカ兄貴の最期は本当に呆気ない物だった。


 だからこそ、香を失った苦しみをどこにぶつけていいのかが分からなかった。

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