第5手 プロ棋士が対局中に死ぬ世界

 翌日。俺は、自宅のパソコンで、かおりの対局を見守ることにした。


 将棋で人を殺した男、雷蔵らいぞう。その男が今、かおりと盤を交えている。緊張感漂う対局室。


 5年前、雷蔵は本当に対局中に人を殺したのだ。


 当時流行していた、『引きこもり浮き飛車びしゃ』と呼ばれる戦法を雷蔵にぶつけた棋士がいた。雷属性である雷蔵の攻撃力を警戒した当時の対局者は、慎重な駒組みを進め、完全に玉を囲うことに成功した。防御力は誰もが見て、完璧と言わざるをえないものだった。


 いくら、雷蔵が雷属性と言えど、相手の守りはあまりに強靭な物であり、完全に盾が矛を上回った。攻撃力が自慢の雷蔵。それ故、イライラは次第に募っていく。


 そして、事件が起きたのは、誰もが雷蔵の負けを確信した時だった。


 624手目。


 雷蔵は、駒台の上にあった一枚の飛車ひしゃに、全てのオーラを注ぎ込み、相手の額へと投げつけたのである。


 その瞬間、盤上は赤一色に染まった。


 ざわめく近くにいた関係者達。そして、それをパソコンの画面越しに見ていた視聴者。


 あろうことか、対戦相手の脳天を飛車が貫いたのだ。動画サイトで生配信もされていた注目の対局だけあり、多くの人々にトラウマを植え付けた。その主犯こそ、かおりの対戦相手、雷蔵である。


「それでは対局を開始します。」


 いよいよ対局が始まった。先手はかおりだ。水属性であるかおりは、その能力を生かし、初手で飛車先の歩を、滑らかに3マス伸ばすことができた。恐らくこの後は、飛車をCまで浮かせるつもりであろう。得意の『大島おおしま流浮き飛車びしゃ引きかく戦法』で行くと俺は推測している。


 それにしても、白の和服姿の香は可愛いぜ。


 一方、雷蔵も飛車先の歩を伸ばす。お互い飛車先の歩を突く、『あい浮き飛車』。


 さあ、三手目だ。


「えっ?」


 香は、玉をこの段階でBに上げた。三手目でB? 俺は不吉な予感がした。香が玉の囲いを優先させている。あの、速攻で攻撃をしかける香が。


 さらに手が進み47四十七Aの歩を突いた後に、46四十七Aの歩を突き、かく道を止めた。これは、『浮き飛車びしゃ引きこもり』だ。間違いない。


 トップ棋士ですらあの日トラウマとなり、用いることがなくなったあの戦法を、しかも雷蔵相手にかおりはぶつけやがった。


『浮き飛車びしゃ引きこもり』の防御力は現在でも最強だ。それは間違いない。隙が皆無なのだ。それを示すかのように、正座をしていた雷蔵が膝を立て、前傾姿勢になる。


「くっ…くそ…。」


 雷蔵の呟きをマイクが微かに拾いあげ、パソコンを通して俺の耳にも届いた。


「香…怖くねぇのかよ?」


 不安な俺を他所に、ドヤ顔で香は雷蔵を見つめている。


「おめぇは、『引きこもりぎょく』の攻略ができないから、やけくそで相手を殺したんだろ?」


 なんと、香は挑発まで始めやがった。バカだろコイツ。


「おいおい、これほんとにヤバイって。」


 焦る俺。頼むから何もないでくれ! 雷蔵は、鋭い目で香を睨んでいる。


「小娘が随分舐めた口をワシに聞くのぉ。お前も殺してやりたいところだが、今は、新設ルールで殺してしまったらワシが除名処分、つまり負けになるっちゅうことや。」


 ドスの聞いた声で雷蔵は言う。


 眉間にシワを寄せ、かなり苛立っているように思える。当たり前だ。


 ちなみに雷蔵は少なくとも香の三倍以上の体格はある。香は本当に怖くないのか? 何故、わざわざ挑発するんだ。もし、攻撃でもされたら無傷ではすまないだろう。相手は事実上、罪には問われなかったが人殺しなんだぞ?


「ワシはこの将棋、勝ち目がない。昔みたいに殺してもダメ。でものぉ、小娘よ。致命傷を与えては駄目だというルールは無いんじゃ!」


 雷蔵が飛車を手に取る。そして、確かにオーラをそこに注入した。まずい、これが師匠が恐れていたことだ。俺は慌てて家を飛び出し将棋会館へと走り出した。


 万が一のことが起こってしまう。


 走りながらタブレットで対局の中継を確認する。雷蔵はあの飛車を本当にぶつけるつもりなのか。とんでもないオーラが込められているぞ。


だが、一方の香は…。


「ふん、かかったね!」


 香が自らの周囲を水で覆う。俺は気が動転していて、このことをすっかり忘れてしまっていた。水属性の防御。それは全ての属性を無効化するのだ!


 雷蔵が飛車に込めたオーラはもう戻すことができない。オーラの無駄遣い、『オーラの無い将棋は負け将棋』と言う格言もある。


 既に劣勢だった雷蔵は、さらに大悪手を指したということだ。俺と同様に、頭に血が昇っていた雷蔵も、香が水属性であることをすっかり忘れていた。良かった。香の勝ちだ。


 そう思った時だった。


 一瞬、画面に赤色が見えた。


「え?」


 俺は背筋が寒くなった。香は、今日、白い和服姿だったはず。だけど、右胸辺りにだんだん赤が広がっていく。


「ぐあっ…!」


 その場で呻き声をあげ、倒れこむ香。雷をまとった飛車が、なんと香の右胸を貫通していた。背後の壁には飛車がめり込んで煙を上げている。


「確かに水属性は他の属性を無効化する。たが、もともと水属性の弱点は雷である上、殺意を込めた『投げ飛車』を防げるとでも思っておったのか? 水属性の絶対防御とは所詮その程度というわけじゃ。」


 俺は気が動転してしまった。だが、とにかく将棋会館まで走った。俺の家からだとそんなにかからない。もうすぐだ。


 再びタブレットで中継を確認する。香の安否は? 大騒ぎになっている対局室。関係者が香に近寄っていく姿が映っている。


「ち…近寄るな! ま…まだ…まだ指せる! あとちょっとで…勝てるだろうが!」


 香は、顔から汗が噴き出ていた。呼吸も荒い。確実に肺を損傷しているはずだ。下手したら命に関わる。なのになんで投了しないんだ。


 俺は香のSっ気、負けず嫌いなところが好きだ。


 だけど、死んだら本当に負けだろ!


 将棋会館が見えてきた。俺は、さらにスピードを上げ、入り口を抜け、階段を登り、そして、香と、あの雷蔵がいる部屋の襖を勢いよく開けた。


「香! 投了するんだっ!」


 俺は、虚ろな目をして震えている香に向かって叫ぶ。こんな衰弱した香を俺は見たことがない。


「た…たれぞー、近寄るな…! あと…17手で…詰ませられ…るか…ゲホッ!」


 突然だった。


 香は咳と共に盤上へ口から血を撒き散らした。


 そして、糸が切れたようにその場へ倒れる。よく見たら出血量が尋常ではなかった。可愛かった白い和服も、座布団も、壁も、将棋盤も全部血まみれだ。痩せ我慢にも程があるだろ。


 だが、幸いと言ってどうかは分からないが既に関係者が救急車を呼んでいた。それにより救急隊が間も無くかけつけた。運ばれていく香。


「雷蔵…! 貴様ッ!」


 俺は雷蔵の胸倉を掴んだ。


「先輩棋士を呼び捨てとは感心できんのぉ、羽野はの四段。」


 雷蔵は俺の腕を払いのけ、黙って対局室から出ようとする。その時、自然と俺の口が言葉を発した。


「俺は…お前を絶対ぶっ倒す!」


 ————————————

《100年後の将棋について、その5》


 新設ルール

 ①今後対局において、故意でなかろうと人を殺めた場合は、将棋界より永久追放とする。


 ②死に至らしめない限りは、以後も対局者への直接攻撃は認める。


 ③直接攻撃のダメージにより、対局の続行が不可能となった場合はその者を負けと見なす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る