生存本能

鏡水 敬尋

生存本能

「な、何が起きた……。身体が、動かない」

 地球から、遥か遠く離れた、とある惑星の地表で、男は意識が薄れゆくのを感じた。自分の隣には、長い旅路を共にした、女性クルーが倒れている。他のみんながどうなったのかは、分からない。消えゆく意識の中、男の本能が叫び続ける。

 まだ死にたくない! 生きたい!

 偶然、テレパシー能力を持った宇宙人が、近くを通りかかり、男の強烈な本能の叫びを感じ取り、現場へ駆けつけた。

 そこでは、何か爆発が有ったらしく、機械の部品らしきものと、地球人、数体分の肉体が散らばっていた。宇宙人が、その場を調べたところ、まだ息の有る男と女、1名ずつを発見した。その男女は、意識を失っているにもかかわらず、なおも強烈な心の声を発し続ける。

 生きなければ! 子孫を残さなければ!

 人の好い宇宙人は、この男女を何としてでも助けてやらねばと思い、宇宙船へと運び込み、自分の星へと連れ帰った。


 自分の星へと到着した宇宙人は、早速その男女を治療施設へと運び入れた。治療施設の職員である宇宙人にも、二人の人間から発せられる、強烈な生存本能の叫びが聞こえた。この声に応えるべく、できる限りのことをしよう、と宇宙人達は考えた。

 その星の最新技術を使い、まずは、地球人の肉体の組成、構造を瞬時に調べ上げた。

 次に、2人の身体を、それぞれ、保護ガラスで覆った。保護ガラスは、身体に完全にフィットしており、指一本動かすことはできないよう固定した。これは身体が動いて、傷口が開くことや、骨折箇所の治癒が遅れることを防止するための措置である。胸腹部のみ、保護ガラスと肉体の間に、ささやかな空間が残されていたが、これは、呼吸の際に胸腹部が膨張するのを許すためのものである。

 鼻には、保護ガラス越しに、呼吸をするための管が挿入され、地球人に最適な濃度の酸素を、最適なタイミングで送り込むように設定した。口にも管が挿入され、地球人に最適なバランスの栄養素を、最適な量、タイミングで胃へと送り込むよう設定した。尿道と肛門にも管が挿入され、最適な排泄が行えるよう設定した。


 また、保護ガラス越しに、身体全体に対して、細胞を活性化する特殊な光波を照射した。この光波に晒された細胞は、急激な速度で分裂を繰り返し、肉体の成長、代謝が限界まで高められ、瞬く間に傷口が塞がっていった。また、この光波によって分裂した細胞は、決して老化することなく、最も望ましい状態を保つようチューニングされており、40代前半であった2人の肉体は、10代後半の若々しさを取り戻した。

 凄まじいまでの技術力により、10分後――2人の肉体の体感としては、2週間ほど後――には、2人はすっかり回復し、意識を取り戻した。目を開けると、視界はガラスに覆われており、ガラス越しには、見たこともない生き物が忙しなく動き回っている様子が窺えた。異様な光景に恐怖を感じ、身体が縮こまりそうになったが、微動だにできなかった。頭のてっぺんから足の爪先まで、完全に固定されている。声を出そうにも、鼻から挿入された管により、呼気と吸気は完全に制御されており、自分の意志で息を吐き出すこともできず、制御された呼気に合わせて、声帯を震わせるのがやっとだった。そして、その音声は、異星人の耳には届かなかった。

 動けない! 助けて! ここはどこ!? 何が起きてる!?

 2人は、心の中で必死に叫んだ。しかし、宇宙人のテレパシーは、人間の感情や思考の声を聞くことはできず、ただただ、本能の声だけを捉えていた。

 人の好い宇宙人達は、2人の回復を心から喜んだ。

 当初は、回復のために装着させていた保護ガラスだったが、回復後も、装着を継続するべきである、と宇宙人達は考えた。保護ガラス内に居れば、今後、新たな驚異に晒されることも無く、新たに傷つくことも無い。無駄な運動により、エネルギーを消耗することも無い。生命の維持を優先するのであれば、保護ガラス内で生きることが最善であると判断したのである。

 宇宙人達は、2人の本能が発する、次の欲求を叶えるべく、懸命の作業を続けた。

 新たに、直径30センチほどの、球形の保護ガラスを作成すると、その中を特殊な溶液で満たし、そこへ、男から採取した精子と、女から採取した卵子を入れ、受精させた。細胞活性光波を照射された受精卵は、見る間に胎児へ、そして乳児、幼児、少年、青年へと成長していった。その成長に合わせて、保護ガラスは、その形を変えていった。

 その青年からも、やはり本能の声が聞こえる。

 生きたい! 種を残したい! 子孫を増やしたい!

 人の好い宇宙人達は、止むことの無い、地球人の本能の欲求に応えるべく、せっせと新しい保護ガラスと、新しい地球人を作り続けた。

 保護ガラスの中の地球人達は、永遠とも思える地獄を味わうこととなった。特殊な光波の影響で、若々しさを保った肉体には力がみなぎり、今すぐにでも、走り出したい衝動に駆られるが、身体は一切動かせない。脳の活性化により、自分にできないことなど無いのではないかと思われるほどの万能感が押し寄せ、気力は溢れるものの、ほぼ全ての自由は奪われている。たったひとつ許された自由は、思考することのみであった。

 最初に救助された2人が、体感で2000年ほどの地獄を味わった頃、変化が起きた。生きたいと願う本能が無くとも、生命を維持できる環境が続いたためか、あるいは、もう生きたくないと願う強い気持ちが、ついに本能にまで影響を及ぼしたためか、宇宙人達の耳に、ついに地球人達の本能の声は聞こえなくなった。

 人の好い宇宙人達は、ようやく胸を撫で下ろし、仲間達と抱き合い、労をねぎらい合った。最初に、本能の声を聞きつけて、2人を救助した宇宙人は、万感の思いで呟いた。

「良かった。ようやく彼らも満足してくれたみたいだ」

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