14.襲撃、再び(3)
ヘルムートは一度、自分の腹に目をやった。そこに突き出ている爪のようなものを見て、信じられないといった様子で目を見開いた。
そして、次に背後へと意識を向ける。
「ト、トランシルヴァニア候……ワイズマン……、なぜ……?」
爪がその体から引き抜かれた。
「がっ!」
ヘルムートは体を弓なりに反らすと、そのまま地面へと崩れ落ちた。腹からあふれた大量の血が石畳に広がっていく。
と同時、悪魔どもが姿を消した。
僕には召還魔術の知識はない。だが、おそらく術者が死ぬか、意識がなくなると、召喚された悪魔も消えるにちがいない。
血の海に沈むヘルムートはぴくりとも動かない。残念だが、死んだのだろう。
「しゃべりすぎだよ、ヘルムート。初めての力におぼれて、よけいなことまで話そうとするからこうなる」
ヘルムートが倒れ、その後ろから姿を現したのは、白い無貌の仮面をかぶり、黒衣に身を包んだ男だった。
「誰だ、お前は!?」
「ワイズマン。それで足りないら、そうだな……ヘルムートが言ったやつらのひとり、とでも言っておこうか」
「ッ!?」
やつら。
人間を恨み、いつか人類に復讐しようとしている――と、ヘルムートは言っていた。
「お前たちは何ものなんだ?」
「それをおしえるくらいならヘルムートを殺していないよ。自分を調べるのだな、ララミス・フォン・ハウスホーファー。研究は好きだろう?」
「……」
「さて、ヘルムートには悪いことをした。せめて彼の遺志を継いでやることにしよう」
ワイズマンと名乗る男がそう言った直後だった。石畳に夥しい数の魔方陣が描かれた。いや、地面だけではない。空中にも垂直に魔方陣が浮いている。
そこから現れたのは、すでに見たことのある
「お前も召喚魔術が使えるのか!?」
「『お前も』? ちがうな。私がヘルムートに知識を授けたのだ。あやつの知識は中途半端だったからな。しかし、力におぼれてしまってこのザマだ」
ここにきてまたひとつ真実が明らかになった。
確かにアッカーマン家には召喚魔術が伝わっていたのだろう。だが、それは不完全だった。それを補完したのが、ここにいるワイズマンなのだ。
最初の襲撃事件、あれはヘルムートの仕業ではなかったのだ。思い返せば、悪魔どもは遥か彼方から飛来した。もしヘルムートが召喚の術者ならあのような現れ方にはならないはずなのだ。
おそらくヘルムートが召喚術を使ったのは、昨日の廊下でのものを除けば、今回が初めて。それは先のワイズマンの言葉でもわかる。
「さて、最後だ」
ワイズマンは仮面の奥からくぐもった声でそう告げた。
「さぁ、出でよ。ソロモン72柱が一柱。その第15位にして60の魔神軍団を統べる偉大なる公爵。……その名もエリゴス!」
最後、ひときわ大きな魔方陣から現れたのは、真っ黒な馬に乗った騎士だった。
片手で手綱を握り、もう片手には
僕は直感した。こいつには絶対に勝てない。人間が挑んでいい相手ではない、と。
「さ、三人とも逃げろ……」
僕は急速に乾いていく喉で、どうにか声を絞る出した。
「で、でも……」
「そうだ。お前はどうするのだ、ララミス」
アリエルとエカテリーナも恐怖を押し殺しながら声を発する。
「オレはここで時間を稼ぐ。……大丈夫だ。勝利条件は簡単だ。いずれ騎士団が駆けつけてくるはず。それまでもてばいいんだからな」
本当か? 先ほど自分でも感じたばかりのはずだ。人間が挑んでいい相手ではないと。ならば騎士団が束になってかかろうと無駄なのではないか?
冷静な自分が判断する。
「いても足手まといだ! 下がれ!」
だが、それでも三人は逃がさないと。
「いいえ、わたしがいるわ」
「アラシャでも一緒だ」
何せ僕ですらきっとひとたまりもないだろうから。
「ええ、そうね。アラシャ・ベルゲングリューンならそうでしょうね」
「でも、ここにいるのが叢雲灯子ならどう?」
「は……?」
僕は自分が置かれた状況も忘れ、間の抜けた声を出した。
今、アラシャは何と言った?
「灯子、なのか……?」
「ええ、そうよ。由貴也」
瞬間、僕は膝から崩れそうになった。
灯子。叢雲灯子。
もう二度と会うことができないと思っていた灯子がここにいる。
状況が許すなら、僕はきっと泣き崩れていただろう。
「待て。灯子もこの世界に生まれ変わったということは、やっぱりあのとき死んだのか?」
いや、考えるまでもないだろう。灯子がアラシャへと生まれ変わったのなら、やはりあのとき僕と一緒に死んだのだ。
「生まれ変わり? そう、由貴也はそう見ているのね」
「うん? どういう意味だ?」
「いいわ。それは後にしましょ。まずは答えなさい。……ここにいるのが叢雲灯子ならどう?」
アラシャ、いや、灯子は改めて問うてくる。
「もちろん。足手まといなんかじゃないさ。ふたりなら何でもできる」
僕は力強く答えた。
そうだ。僕と灯子は特別なのだから。
「おい、何をふたりで盛り上がっておる。トウコとは何なのだ?
「悪い、エカテリーナ。説明はできない。だけど、もう安心していい。あいつらはオレたちが蹴散らす。……ワイズマン、今から面白いものを見せてやる。人間を舐めるなよ」
「ほう」
ワイズマンは興味深そうに声を上げた。
「やるぞ、灯子」
「ええ、由貴也」
僕と灯子は、まるでダンスでも踊るかのように向かい合い、互いの両手をつないだ。
額がくっつきそうなほど顔を寄せ合う。
降矢木由貴也と叢雲灯子が生きていた世界にも魔術はあった。
この世界とはちがって、ごく一部の限られた人間だけが魔術を使えた。僕と灯子は、魔術の才能を伸ばすための学校に通っていたのだ。
「「『
そして、そこで僕たちは、互いの意識を同調させ、強力な魔術を使うという特殊な才能に目覚めた。
だから、そう。その僕たちならこの状況を打破できる。
僕たちは同時に、悪魔どもとワイズマンに顔を向けた。
「『其の名は門。常闇へと通じる門なり』
「『招かれざる
最初は小さな光だった。
だが、それが爆発的にふくらむと、悪魔どもを一気に飲み込んだ。
これは一種の召還魔術だ。
下位の悪魔なら光に触れただけで消滅する。光に耐えられるような高位の悪魔でも、強制的に地獄へと送り返してしまうのだ。
眩い光が消え去ったとき、そこに残っていたのはワイズマンただひとりだった。
おそらく
そして、このことはひとつの事実を示唆していた。
やつらのひとりであるワイズマンが残っている。つまり、ヘルムートが言っていた通り、やはりやつらは悪魔ではないのだ。
「面白いな」
ワイズマンはくぐもった声でそう言った。
「いいだろう。今日のところはお前たちに免じて引き下がるとしよう。だが、我らは必ず人間どもに復讐を果たす。それまでせめて人の世を謳歌しておくのだな」
直後、ワイズマンの足元に魔方陣が現れた。
それが描き終えると、ワイズマンはその魔方陣に中に沈んでいき、程なくして姿を消した。魔方陣も役目を終えると、かき消える。
聞きたいことは山ほどあった。「待て」と言いたかった。だが、声が出なかった。
正直、もう戦う気力がなかったのだ。
ひとまず脅威が去ったことで、僕はそれでよしとするしかなかった。
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