11.エカテリーナの亡国論

 翌日、研究室にて。

 窓の外には夕闇が迫っていた。そんな時間だ。


 僕は執務机の椅子に腰かけ、ひとり考えを巡らせる。


(先日の悪魔襲撃の件、犯人はヘルムートでまずまちがいないだろう……)


 やつには明確な動機がある。知識と技術は代々伝わってきたものだと自慢げに語るヘルムートの主張にも、一定以上の信憑性がある。そして、このバルトール市への憎悪が悪魔召喚の素質となったとしたら――おそらく僕が知るかぎり、悪魔の召喚に必要な要件を満たしたことになる。


 その一方で、ヘルムートは不気味な忠告をも残した。

 ツバロフの連中の動きに気をつけろ、と――。


 ただこれは、やつ自身が言った通り、僕を混乱させる目的で言った可能性もある。


 しかし、僕はマーリャ・マスカエヴァという、もうひとりの容疑者を知っていた。彼女が先の一件の首謀者で、次なる行動に出る可能性がわずながらあるのだ。

 これで僕は、マーリャとエカテリーナの動向にも気をつけなくてはならなくなった。


 僕は考える。

 誰を疑うべきか。どんな事態を想定し、どう備えるべきか。


 不意にドアがノックされた。

 が、返事をするのが億劫になり、僕はそれを無視した。


 僕がいないと判断すれば回れ右をするだろうし、親しい人間なら勝手に開けて中を覗いてみるだろう。


 かくして、ドアは開けられた。


「ララ? いないの?」


 出てきた顔は、アラシャ・ベルゲングリューンのものだった。


「ああ、アラシャ先輩か」

「いるのなら返事をしなさい」


 彼女は居留守を使った僕に怒っているようで、かすかに頬をふくらませていた。


「僕に何か用?」

「帰ろうと思ったらこの部屋から灯りが漏れていたから、寄ってみたの」

「そうか」


 僕は力なく笑う。


「ララ、どうしたの?」


 さすがに僕の様子がおかしいと思ったのか、アラシャが聞いてくる。


「いや、ちょっと考えごとをね」

「その様子だといつもの研究のことではなさそうね」

「……」


 なかなか鋭い。


「あたり。でも、わたしに相談できるようなことでもない、といったところかしら。……貴方の力の件で改めて問い詰めようと思ったのだけど、またの機会にしたほうがよさそうね」

「そうしてくれると助かる」


 何せ考えなくてはいけないことが多すぎる。


「おかげで僕はアラシャ先輩の服を透かして、じっくり体を見ることができる」

「冗談を言うなら冗談らしく言いなさい。気もそぞろに言われても、怒る気にもならないわ。だいたい初歩的な魔術を最大の効果で、なんて話も嘘なのでしょう?」

「まぁね。……あぁ、悪い。何も出してなかったな。コーヒーでいいか? というか、それしかないんけど」


 僕もまた、未だコーヒーの一杯も口にしていなかった。少し気分転換をするか。


 しかし、立ち上がりかけた僕に、アラシャが手で制するジェスチャをした。


「いいわ。もう帰るから。何を悩んでいるかわからないけど、貴方も今からコーヒーなんか飲まずに、ほどほどにして早く帰りなさい」

「了解」


 僕は再び椅子に腰を下ろした。

 アラシャは踵を返し、ドアへと体を向ける。


「みんな遅くまで残っているのね」

「ほかに誰かいたのか?」

「ええ」


 アラシャはドアの取っ手に手をかけた状態で、こちらに振り返った。


「さっきエカテリーナとマーリャに会ったわ」

「何っ!?」


 僕はまた勢いよく立ち上がった。


「会ったと言っても、すれちがっただけだけど」

「ふたりだけか? イリヤとヴァシリーサは?」

「いいえ、いなかったわ」

「……」


 ふたりだけ、か。


 それ自体、珍しいことではない。イリヤとヴァシリーサは、エカテリーナの方針に従って自分たちなりの学院生活を送っているようだし、逆にマーリャは主の言いつけに背いてできるかぎり一緒にいようとしている。……そう、これまでもよく見た光景だ。


 ただ、どうしても不安が拭えない。杞憂であればいい、とするか。


「どっちへ行った?」


 僕は執務机を回り込みながら聞く。


「え? 外ですれちがって、講堂のほうに向かったように見えたわ」

「わかった。ありがとう」


 僕はアラシャの横をすり抜けると、廊下に出た。


「ちょっと、ララ。どこへ行くのよ。この部屋の鍵は!?」

「開けっぱなしでいい。どうせ今はたいしたものを置いてない」


 振り返りながらアラシャに言うと、僕は再び前を向き、走り出した。




          §§§




「こっちのほうが近道か」


 僕は素早く判断すると、走りながらチェーン付きの眼鏡を外した。弦の部分を折りたたみ、胸のポケットに挿す。そうしてから近くの窓を開け、飛び出した。


「『翔』」


 ここは三階。しかし、重力制御の高速魔術シングルシークェンスを使い、危なげなく着地。そして、再び駆け出す。


 やがて見えてきた講堂の、荘厳な意匠を施した入り口前にふたりの少女の姿がった。


「マーリャ! エカテリーナ!」


 ふたりの名を呼ぶ。と、少女たちはこちらを振り返った。


「ララミス?」

「おお、ララミスではないか」


 すると、必死で走ってきたのがバカらしくなるほど、呑気な声が返ってきた。

 どうやら本当に杞憂だった、ということだろうか。


「どうしたのだ、こんなところに」

「あ、いや……」


 エカテリーナに問われ、返答に窮する。


「さっきアラシャ先輩と会ってね。ふたりがこっちに行ったって言うから、一緒に帰ろうと思ったんだ」

「なるほど、そうであったのか」

「……」


 なかなかに無理のある理由に、ふたりの反応は対照的だった。

 何も考えていないふうのエカテリーナは納得し、マーリャは疑わしげな眼差しを向けてくる。


(せっかくだ。懸念を潰しておくか)


 僕はもう開き直って、これをいい機会だと思うことにした。


「マーリャ、昨日の話の続きをしたい。……いいだろうか?」


 そう問いながら、僕はちらとエカテリーナを見る。

 マーリャもそれで察したようだった。


「ああ、かまわない。私もこのままではいけないと思っていたところだ」


 うなずくマーリャ。


「うん? 何の話だ?」


 一方、何のことかわからず首を傾げるのはエカテリーナだ。


「ああ、実は昨日――」

「いい。自分で言う」


 そのエカテリーナに僕が話そうとすると、マーリャがそれを遮った。


「主に口答えをするのだ。せめて自分で言わないと恰好がつくまいよ」

「ほう、口答えときたか。よい、申してみよ」


 エカテリーナは愉快そうに口の端を吊り上げた。


「エカテリーナ様はきっと我が国の民ではないとおっしゃるでしょうが――私は、他国民とは言え、一国の公女ともあろうものが、国民に交じって生活をするべきではないと考えています」

「それは何故なにゆえにだ?」

「それは我がツバロフ帝国が世界を統べるべき国だからです。そのツバロフの公女であるエカテリーナ様は、それに相応しい振る舞いをするべきなのです」

「ふむ……」


 エカテリーナは一度うなずいたり、しばし考え込む。


わたしは常々言っておるな? よその国にきてまで公女だ皇族と威張っても滑稽なだけだ、と。実際、リ・ブリアタニア王国の王女などうまくやっておる」

「しかし――」

「それから、もうひとつ」


 エカテリーナはさらに言葉を重ねる。


「世界に悪名高きツバロフ、とも言っておる」

「それも、存じております……」


 それこそがまさに、昨日、マーリャが引き合いに出した言葉だ。


わたしは、ツバロフが世界をまとめるに相応しい国だとは考えておらぬ」




「むしろ滅ぶべきだとすら思っておるよ」




「なっ……」


 これにはマーリャも絶句する。もちろん、僕もだ。

 おおよそ皇族が口にすべき言葉ではない。


「これはここだけの話だぞ?」


 そう言ってエカテリーナは、また口の端を吊り上げる。それは先ほどの眼光を鋭くするようなものではなく、どこか愛嬌があった。


「正確に言うとな、今の帝政は終わりにするべきだと考えておるのだ。他国からは軍事国家と畏怖され、皇族と貴族が既得権益にまみれて国民から搾取する。国の内外、どこを見ても良好な関係などありはしない。そんな国はもはや国とは言えんよ。……そのことは父上にも言った」

「皇帝陛下はなんと……?」

「もちろん、一笑に付されたわ」


 自嘲気味に笑うエカテリーナ。


「おかげでこのエーデルシュタイン学院への留学も、猛烈に反対された」

「え? それはなぜでしょう?」

「よけいな知恵をつけられては困るからだろうよ」


 これで合点がいった。僕は前から、よくツバロフの公女が法律や政治学を学びにくることができたなと疑問に感じていた。ここは世界最高水準の教育を謳うエーデルシュタイン学院。ここで学べば、当然、王政や帝政以外の政治形態も知ることになる。それは帝政を敷くツバロフとしては都合がよくないはずなのだ。よく許したものだと思っていた。皇位継承権の低いエカテリーナには、仮に知識を得て現体制に疑問を抱いたとして、何の力もないと考えたのか。


 だが、どうやらエカテリーナは皇帝である父親の反対を押し切って留学してきたらしい。


わたしはこの学院にきて政治史の講義で民主主義というものを知った。先史文明時代からあり、今また小国で新たな国家体制として少しずつ取り入れられつつあるらしい。それを我が祖国にも持ち帰りたいものよな」

「ど、どうしてそんな話を私に……!?」

「無論、マーリャが己の立場を危うくしてまでわたしに口答えをしたのだ。こちらも腹を割って話さねば不公平だろうて」


 エカテリーナはあっけらかんとして、そんなことを言う。


(最悪だな……)


 僕は少しばかり焦燥に駆られる。


 一見すると、エカテリーナがまるでものわかりのよい皇族に見えなくもない。だが、マーリャにしてみれば、己が誇りとし、世界の覇者であるべきと考える祖国に対し、ほかでもない公女であるエカテリーナ自らが弓を引こうとしていることになる。皇族としての振る舞いどころの話じゃない。思想からして道がわかれたのだ。


「こんなわたしは、やはり認められぬか?」

「はい。私は存外覇権主義ですので……」


 エカテリーナの問いに、マーリャは苦しげに声を絞り出しながらうなずいた。


「マーリャ、僕からもひとつ聞きたい」

「なんだ?」


 マーリャはわずかに気落ちした様子で応えた。


「今のエカテリーナを許せないとして、マーリャはどうするつもりだ?」


 残念ながら、ここにきてマーリャがこうあるべきと信じた理想の公女像は決定的に崩れた。問題は次に彼女がどう出るか、だ。


 だが、どうしたことだろう。僕の問いに、マーリャは目をぱちくりさせたのだった。


「貴様は何を言っているのだ?」

「うん?」

「私がエカテリーナ様を許せない? そんなことを言った覚えない」


 マーリャはきっぱりと言い切る。


「確かに私は、変わってしまわれた今のエカテリーナ様を認められずにいる。だが、エカテリーナ様が望んで変わられたのなら、そこに私が口をはさむ筋合いではない」

「……」


 僕は思わず言葉を失う。

 それから自然と笑いがこみ上げてきた。


「おい、ララミス」

「ああ、すまない。どうやら僕の勘違いだったようだ」


 確かに思い返してみれば、マーリャは『認められない』とは言ったが、『許せない』と言ったことはなかった。にも拘らず、僕たちはマーリャが、変わってしまったエカテリーナを殺そうとしているなどと悪い想像をした。


「これならイリヤとヴァシリーサも――」


 と、そこで僕ははたとあることに気づき――言葉が途切れた。


 待て。ならば『許せない』という言葉を使ったのは誰だった? 最悪の事態を想定し、警戒したのは誰だった?


 そうだ。ヘルムートは言ったではないか。――ツバロフの連中の動きに気をつけろ、と。


 連中。

 僕はその言葉を、命を狙う側のマーリャと、狙われる側であるエカテリーナをひっくるめたものだと思っていた。だが、ちがったのだ。


 僕はマーリャを見た。

 彼女もまた、真剣な表情でこちらを見ていた。そして、静かに口を開く。







 こちらの意を汲んだように、僕の無言の問いにそう答えた。


「ツバロフに従い、利益をもたらす国は取り込み、歯向かう国は軍事力をもって滅ぼし、吸収する。そうしてやがては世界を飲み込むべきだと考えている」

「……」

「そして、わたし


 エカテリーナがマーリャの言葉を引き取った。


 と、そこに声が割り込んでくる。




「まさか、ララミス、君までここにくるとはね」




 振り返れば、そこにイリヤとヴァシリーサがいた。

 ふたりはそれぞれ、手に回転式拳銃リボルバーを持っていた。

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