10.混沌

 結局、マーリャ・マスカエヴァへの疑念は払拭できなかった。


 むしろ彼女の口から今のエカテリーナを認めていないと聞いたことで、少なくとも動機の面ではイリヤたちの推理を補強する結果となってしまった。


(僕は今のエカテリーナのほうが好きだ。できれば、マーリャにも同じ思いであってほしかったのだけどな……)


 その一方で、僕が追及の手を止めてしまったことで、技術面で彼女に可能なのかは未だ不明だ。ストレートに問い質すべきか。


 僕は今、マーリャと別れ、失意のうちに校舎内を歩いていた。


 このまま図書館へ行こうかと思ったが、ひとりでゆっくり考えをまとめたかったので研究室に戻ることに決めた。


 が、その途中、正面から見知った顔が歩いてくることに気づく。


「ヘルムート……!」


 僕は、我知らず、その名を口にしていた。


 ヘルムート・アッカーマン。

 先日の悪魔襲撃事件で、僕が最も疑っている男だ。


 ヘルムートは相変わらず四人ほどの取り巻きと一緒だったが、やがて僕の存在を認めると、その口にいやらしい笑みを浮かべた。


「よォ、『落ちた神童』サマじゃないか。どうやら石像魔ガーゴイルに八つ裂きにされずにすんだみたいだな」


 開口一番、やつはそう言った。

 つられて取り巻き連中もにやにやと笑いはじめる。


「ヘルムート、ふたりだけで話がある」

「ふたりだけで、ねぇ。なんと、かつての神童サマは力を失って、俺ごときが怖くなったと見える」

「何だと!?」


 癪に障る言い方だ。


「お前こそ、取り巻きがいないと僕と話もできないのか?」

「おっと、そう怒るなよ。お前らしくない。いいぜ、話をしよう。今の俺ならお前なんて怖くも何ともないからな。……お前たちは先に帰ってろ」


 ヘルムートはようやく首を縦に振ると、取り巻きに席を外すよう命じた。


 それを見ながら僕はひとり小さく舌打ちする。確かに僕らしくない。煽られて頭に血がのぼるとは。


 取り巻きたちが去り、ふたりだけになった。

 僕はさっそく話を切り出す。


「ヘルムート、先日の騒ぎのとき、お前はあの場にいたな?」

「ああ、そうだったそうだった。確かにいたな。お前とも会った気がするぜ」


 ヘルムートは白々しくそう答える。


「後でお前が無事だと聞いたときは、なかなか複雑な気持ちだったよ。残念だと思う一方で、やはりお前は俺の手で潰さないと気がすまないと思ったもんだぜ」


 やつはそう言って僕を見、口の端を歪める。


「あれは――あの事件は、お前の仕業なのか?」


 僕は確信に直接切り込む。


 しかし、ヘルムートは、僕の問いにわざと間をもたせてから、おもむろに口を開いた。




「だとしたらどうする?」




「お前!?」


 直後、僕はやつの襟首に掴みかかっていた。


「なぜそんなことをする!? 何が目的だ!?」

「おっと、仮にの話だよ。『だとしたらどうする?』 って言ってるだろう?」


 にも拘らず、ヘルムートはただ両手を上げただけで、僕の反応を面白がるように、僕よりもほんの少し高い上背からこちらを見下ろしてくる。


「いいだろう。仮定の話でいい。聞かせてくれないか?」


 僕はゆっくりと手を離した。


 自己顕示欲の強いこの男のことだ。今の言葉でほぼ認めたと思っていいだろう。後は動機と、悪魔召喚の知識をどこで手に入れたかだ。


「そうだな。俺が犯人だとしたら、理由は――」


 と、ヘルムートは窓の外に目を向け、僕に背を見せた。


 窓の外には市街地が広がっている。


「俺はこのバルトールが死ぬほど憎い」

「憎い?」


 思わぬ言葉に、僕は聞き返した。


「当然だろ? もともとこのバルトールの街はアッカーマン家のものだった」


 言いながら、ヘルムートは勢いよく振り返る。


「それなのにこの学院がたまたまここにつくられ、その恩恵で街は発展してきた。そして、都市として認められると、たまたまここに住んでいたというだけの理由で、あの生意気な生徒会長殿の親父が領主になりやがった!」

「……」

「たまたま! たまたまっ! ぜんぶたまたまで、あの女の家は俺たちから何もかも奪っていったんだよ! さぞかい気分がいいことだろうぜ。棚ボタで、気がつきゃしがない地方の伯爵様が大都市の領主なんだからな」

「なるほど……」


 ヘルムートの言いたいことはわかった。多少なりとも気持ちもわかる。


 確かにエーデルシュタイン学院が設立されなければ、このバルトール市はファイアールマルク州の中の一地方都市でしかなかっただろう。これといった特色もない、広いだけの寂れた街だ。


 アラシャの父、ベルゲングリューン伯爵が領主に選ばれたのも、ここに住んでいたことが大きい。もしアッカーマン辺境伯がバルトールに居を構えていたなら、そのままバルトールの領主にスライドし、改めて選出されたのはファイアールマルク州の領主のほうだったにちがいない。


「だが、お前は根本的に勘違いしている。……都市や州は領主貴族の所有物じゃない。統治を任されているだけだ。領主もそれに相応しい人物が選ばれる」

「ハッ。優等生らしい回答だな」


 しかし、ヘルムートは僕の言葉を鼻で笑い飛ばす。


「そんなものは建前だよ。実際にゃみんな、少しでも優位に立とうと陰で火花を散らしてるのさ。自分はあいつよりも爵位が上だ。爵位は下でも自分は州の領主だ。領主の座を追い落とされたものは再び返り咲こうと必死なんだよ。また羨望の眼差しを一身に浴びたくてな」

「……」


 おそらく何を言ってもヘルムートには無駄だろう。そして、残念ながら僕自身、自分の言葉に説得力があるとは思えなかった。何せ僕の父はずっとヴィエナの領主の一角を担っているし、僕も片田舎から養子として迎えられた身だ。何ひとつ自身の努力で得たものではない。


「ヘルムート、悪魔召喚の知識はどこで得た?」


 僕はもうひとつの疑問をぶつけることにした。


「我がアッカーマン家は武門の家系だ。悪魔や他国の侵略に対し、先頭に立って戦う。遡れば悪魔どもを皆殺しにしようと、十字軍にも参加したことがある」


 古来より辺境伯とはそういう地位だ。外敵と戦うことが役割となるため、爵位は伯爵よりも上となる。だからこそヘルムートは、伯爵であるベルゲングリューン家が、辺境伯のアッカーマン家よりも実質的に力を持ったことが許せないのだ。




「だったら、誰よりも悪魔のことを知るアッカーマン家に代々伝わる知識と技術があってもおかしくないと思わないか?」




 そう言ってヘルムートは獰猛に笑った。


(まさか。本当にそんなものが……?)


 信じがたいことだが、しかし、ここにヘルムートが犯人であることを示すものがひと通りそろったのも確かだ。


 まず、バルトールが憎いという動機がある。これならばこの街のみが狙われたことに説明がつく。


 そして、ヘルムート自身、それなりの魔術の素養の持ち主だ。知識と技術は代々伝わるもので、前述のバルトールへの憎悪が悪魔召喚を行う素質となり得たとしたら?


 それに先ほどやつは何と言った?




『今の俺ならお前なんて怖くも何ともないからな』




 今の俺なら?

 今のお前なら、とは言わず?


 僕を下に落とすのではなく、自分持ち上げるように表現した。なぜだ? 何らかの力を得たからか?




 不意に、ぞわりと悪寒が走った――。




 そして、何ものかに足を掴まれる感覚――。




 おそるおそる下を見る。

 廊下の床に、幽かに仄光る魔方陣があった。


 そこには半分だけ姿を現した悪魔の顔と、僕の足を鷲掴みにする長い鉤爪のついた手が――。


「ッ!?」


 僕は慌てて飛び退る。幸いにして、すぐに手は振りほどけた。


 すぐさまチェーン付きの眼鏡を外し、


「『其の名は炎。我が敵を――」


 が、僕が魔術を使おうとした途端、悪魔はずずずずっと魔方陣の中に姿を消したのだった。と同時に、魔方陣もかき消える。




「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ」




 ヘルムートの哄笑。


 狂笑。


「ヘルムート、まさか悪魔の召喚を……!」

「何を言ってるんだ、ララミス。意味がわからないな。何か夢でも見たんじゃないのか?」

「……」


 よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。


「それに、言っただろ? ぜんぶ仮定の話だってな」

「お前、これだけのことをしておいて、そんなのが通用すると思っているのか?」

「だったら俺を止めてみせるんだな。……さて、次はどこ襲われるんだろうな? また目抜き通りか? それともこの学院か? あぁ、あの女の屋敷というのもありかもな」

「……」


 どうする? 今ここでやつを止めるか? いや、ダメだ。目に見える明確な証拠がない以上、下手をすれば手を出した僕のほうが処断される。手段によっては罪に問われることだってあり得るだろう。


「じゃあな、ララミス」


 そう言ってヘルムートは踵を返す。が、その足は歩を進める前に止まった。


「あぁ、そうだ。ひとついいことをおしえてやるよ。……ツバロフの連中の動きには気をつけておくんだな」

「なんだと!?」


 ここにきて思いがけない言葉がやつの口から飛び出した。


 九分九厘ヘルムートが犯人でまちがいないというのに、そのヘルムートが不気味なことを言い出したのだ。


「いったい誰のことを言ってる? どういう意味だ!?」

「さてね。自分で考えることだな。……言っておくが、別に親切心で忠告しているわけじゃないからな。むしろお前を混乱させるために言ってるのさ。いったい誰のことか。どういう意味か。そもそも俺が本当のことを言っているのか――ま、せいぜい悩むことだな」


 そうしてヘルムートは、今度こそ本当に去っていった。

 あの哄笑とともに。


(お前の狙い通りだよ、ヘルムート……)


 僕は混乱する頭のまま、唇を噛んだ。

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