9.疑念(2)

 僕は渋るマーリャをつれて、校内にあるカフェテリアへと移動した。


 世界最高水準の教育を謳う王立エーデルシュタイン学院は、国内外から留学生が集まってくる巨大教育機関だ。図書館をはじめとする施設が充実しているのは当然のこと、それ以外の部分も疎かにはしていない。例えば、校内には学生用の食堂が複数あるし、カフェのようなものもある。


 今、僕とマーリャがいるのもそのひとつだ。


 学院の内部は、首都ヴィエナやファーンハイト第二の都市リンツに負けず劣らずの近代的なデザインをしている。それに引っ張られるかたちで、一地方都市だったバルトールが発展してきた、という構図だ。


 テーブルをはさんで向かい合う僕と、マーリャ・マスカエヴァ。僕の前にはコーヒーが、マーリャの前にはジャム入り紅茶が置かれている。


 さっそくひと口飲む。


「やっぱり店のコーヒーは美味いな。自分でもこれくらい淹れられるようになりたいものだ」


 サイフォンを使って自分で淹れるコーヒーにもそこそこ満足しているが、校内にある学生相手のカフェとは言え、やはり店のものと比べると見劣りする。


 チェーン付き眼鏡のレンズ越しに正面を見てみれば、向かいではマーリャが不機嫌顔でジャム入り紅茶を飲んでいた。


「美味いのか、それ」


 紅茶にジャムを入れるなど、僕の想像の埒外だ。


「美味くなければ飲んでいない」

「そりゃそうだけどね」


 僕は苦笑する。

 とは言え、そんな顔で飲まれても美味しそうに見えないのだが。


 ジャム入り紅茶はツバロフ帝国のメジャーな飲みものらしい。だが、当然ながら、ファーンハイトではマイナーだ。そんなものを用意しているはずがない。だから、店の人に頼んでジャムを用意してもらったのだ。


「ララミス、話とは何なのだ? 話があるなら早くしてもらいたい。私はこんなことをしている場合ではないのだ」

「エカテリーナが心配か?」

「当たり前だ。またこの前のようなことがあったらどうする!?」


 この前のようなこと――つまり悪魔襲撃の件か。


 仮にあれがマーリャの仕業だとしたら、これほど盗人猛々しい台詞もない。


「イリヤとヴァシリーサがいるだろう」

「それはそうだが……」


 言い淀むマーリャ。


「それともエカテリーナのそばを離れたくない理由があるのか?」

「何だと?」


 一瞬、マーリャが気色ばむ。


「いや、何かエカテリーナのところへ急いで行かないといけない理由があるのかと思ってね」

「妙なことを聞くやつだな」


 呆れたような声を出すマーリャ。


「私の本来の役目はエカテリーナ様をお守りすることだぞ? それがおそばを離れてどうする? 貴様が、学院に行かなければならない理由があるのか? と問われるようなものではないか」

「なるほどね」


 確かにそうだ。

 どうやら話の振り方をまちがったようだ。


 僕は仕切り直す意味でコーヒーカップを一度、口に運んだ。マーリャもジャム入り紅茶を飲む。


「そのエカテリーナのことなんだが……今の彼女をマーリャはどう思う?」

「どう、とは? さっきから曖昧な質問ばかりだな。頭のいい貴様らしくもない」

「悪い。どうにも調子が悪いらしい」


 僕自身、我ながら要領を得ない質問ばかりだと思っている。たぶんマーリャを疑いたくなくて、思い切った追及ができないのだろう。


 どうでもいいことだが、彼女が僕のことを『頭がいい』などと思っていることは意外だったが、そこには触れないでいよう。話が進まなくなりそうだ。


「実は少しばかり昔のことを思い出してね。どうやらエカテリーナが変わったのは、僕が原因らしい」

「貴様、忘れていたのか……」


 どこか憐れむような目をするマーリャ。


「というよりも、自覚がなかったと表現するほうが正確だろうな」


 もちろん、エカテリーナとの出会いについてはちゃんと覚えていた。だが、あれが彼女を変えたきっかけになったとは思ってもみなかったのだ。


「そうだな……」


 と、マーリャはティーカップに口をつけた。


 その顔は過去を懐かしむというよりは、苦い思い出を振り返っているようだった。


「私たちがうっかりエカテリーナ様を見失って、そのエカテリーナ様を貴様が保護してくれたあの日が、確かにきっかけだっただろうな」


『保護』という言葉を使ったあたり、マーリャも今ではあの件を肯定的に捉えてくれているのだろうか。当時はまるで誘拐犯のような扱いだったが。


「それからしばらくエカテリーナ様は何をか考えておられる様子だったが――唐突に言い出したのだ。お前の研究室に行く、とな」

「確かに、そうだった」


 いきなり研究室を訪れたエカテリーナは、緊張の面持ちで「コーヒーを飲みにきた」と言った。


 もちろん、僕は喜んでコーヒーを出した。だが、エカテリーナは、先日の皮肉交じりの饒舌さはどこへやら、まったくしゃべらないままコーヒーを飲み干し、最後に「またくる」とだけ言って、帰っていったのだった。


「まったく。緊張したのは僕のほうだよ。何せ、マーリャたち三人がずっとこっちを睨んでいるんだからね」

「当たり前だろう。我々にしてみれば、当時はどこの馬の骨ともつかない男だったのだからな」


 ヴィエナ候の息子にして、エーデルシュタイン学院数年ぶりの特待生をつかまえて、ひどい言い方である。


「しかも、そのどこの馬の骨ともつかない男を、あろうことが我が祖国につれて帰ると言い出す有様だ。耳を疑ったよ。いったいどこが気に入ったのやら」


 そう。エカテリーナは最初こそ緊張していたものの、回数を重ねるうちに人と話すことに慣れてきたのか、よくしゃべり、よく笑うようになった。それはやがて僕以外の生徒にまで範囲を広げていった。


 そうして僕との関係を深め――今やお馴染みとなったあの話題を出してくるようになったのだった。……マーリャではないが、いったい僕のどこが気に入ったのやら、だ。


「私が最も困ったのは、我々にも同じことを強いてきたことだ」

「マーリャたちもこの学院での生活を楽しめと言ってるのさ」

「貴様の言ってることはわかるよ。エカテリーナ様のお心遣いもだ。だが、イリヤやヴァシリーサはいいさ。私はそういうのは苦手だ」


 マーリャが苦虫を噛み潰したように言うと、僕は思わず笑っていた。


「おい、貴様、何を笑っている」

「ああ、すまない。悪かった」


 普段は女軍人のような彼女の困り顔が、何とも可笑しかったのだ。


「でも、現に今、僕とこうしているじゃないか」


 友達らしきものもいれば、講義の内容について頼ってくる生徒もいるようだ。それなりに周りとうまくやっているのだろう。


「意外と告白してきた物好きもいるんじゃないか?」

「そ、そそそ、そんなものはいない! いるわけがないだろうっ」

「なんだ、本当にいたのか」


 特に何の気なしに言った言葉だったのだが、まさか本当だったとは思わなかった。


「貴様、ちゃんと私の言葉を聞いていたのか? 私はないと言っただろうが」

「あー、うん、そうだったね……」


『物好き』という言葉が気にならないほどに慌てておいて、文字通り受け取れというのもむりな話ではないだろうか。


 マーリャは何やら愚痴らしきものをつぶやき出す。


「だいたい私にはエカテリーナ様をお守りするという大事な役割があるのだ。それにどいつもこいつも私が片手で組み伏せられそうな男ばかりだった……」

「……」


 案外それが目的かもしれないけどな。


「ようやく少しはまともな男がいたかと思ったら、私の心底きらいなタイプで、人を喰ったような物言いばかりしてくる……」


 愚痴はまだまだ続くらしい。面白そうなので、コーヒーを飲みつつ聞いていたら、マーリャがはっと何かに気づいてこちらを見た。


「そうだ、貴様だ!」

「僕?」

「いや、貴様では断じてないが、貴様だ」


 今度はマーリャのほうが要領を得なくなっているようだ。


「そうこうしているうち、貴様は『落ちた神童』などと呼ばれはじめた。魔術の素養を失うなど、前代未聞だ。いったい何が起こっているのだ?」


 魔術の素養は、決して衰えないものではない。むしろ衰えは誰にでもくる。だが、そもそもが肉体の領域ではなく知識の領域なので、衰えるにしても通常老化に伴ってだ。僕のように十代半ばで衰えはじめた例は過去にない。


「さてね。それがわかれば苦労はしないよ。僕にも何がなんだか。目下のところ、原因を調べている最中だ」

「まったく。心底おかしな男だ、貴様は」


 マーリャは呆れたように深々とため息を吐いた。


「これでエカテリーナ様が貴様のことを見限ってくれればよかったのだがな。私としても貴様に祖国の土を踏まれなくてすんで、ほっとひと安心だ」

「僕のことはいいさ」


 問題はそこではない。


「僕がきっかけで変わった今のエカテリーナを、マーリャはどう思っているんだ?」


 彼女が今の主の姿をどう見ているのか?

 そして、そのきっかけを作った僕のことをどう思っているのか?


「……」


 マーリャは渋面で黙考する。


 やがて絞り出すようにして言葉を紡いだ。


「『世界に悪名高いツバロフ帝国』――」

「うん?」


 何の話だろうか? 一見、話がつながっていないように思える。


「エカテリーナ様がよく口にしておられる言葉だ」

「あ、ああ。確かにそうだな」


 エカテリーナは世界が自国をどう見ているか、よく理解している。だから、時折自嘲交じりにそう表現するのだ。――悪名高きツバロフ、と。


「だが、私はそうは思っていない。周りがどのような感情を抱き、どう見ようが、我がツバロフこそが世界を統べるべき国だ」


 マーリャは力強く、そう言い切った。


 それは僕が初めて聞く彼女の考え方で――ある種の覇権主義とも言えるものだった。


終末戦争アーマゲドンの記憶が薄れるに伴い、教会の力は弱まり、世界はバラバラになりつつある。また同じようなことがあったらどうする? 先日の一件がその予兆だったらどうする? また人類が滅亡しかけてから、ようやく手を取り合うのか? そうならないためにも、世界は大きな力でひとつにまとまらなければならないのだ」

「それを成すのがツバロフだと?」

「そうだ」


 マーリャはまたも迷いなくうなずいた。


「いずれ世界を統べるツバロフの公女であらせられるエカテリーナ様が、下々のものと談笑したり、同じテーブルで食事をしたりなど、あってはならないことだ」


 彼女はそこで一度言葉を区切り、

 一拍。


 そうしてから、はっきりと言い切った。




「私にとって今のエカテリーナ様のお姿は、とうてい認められるものではない!」

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