7.常冬の国の公女との出会い(2)

「入って」


 僕は研究室のドアを開けると、中に這入るようエカテリーナを促した。


 彼女は素直に踏み入る。


「ドア、どうしようか? 心配なら開けたままにしておくけど?」

「かまわん。わたしにはこれがある」


 そう言うとエカテリーナはブレザーの内側を見せてくる。そこには例の回転式拳銃リボルバー銃把グリップが見えていた。


「確かにね。そんな物騒なものを持っている女の子を襲う勇気、僕にはないよ。……それ、僕以外には絶対に見せるなよ」


 思わず真顔になる僕。


 まさか学校で銃を見ることになるは思わなかった。エカテリーナたちに近づいたら銃を向けられたという噂も、あながち嘘ではないのかもしれない。


「座って」


 僕はエカテリーナにソファを勧めると、自分は執務机に軽く尻を載せるようにして立った。


「ここは何なのだ?」


 彼女は何の躊躇いもなくソファに腰を下ろすと、室内を見回し、聞いてきた。


「僕の研究室さ」

「研究室?」


 彼女は首を傾げる。


「ああ、悪い。自己紹介がまだだったな。……僕はララミス・フォン・ハウスホーファーだ」

「知らん」


 エカテリーナは即答する。


 ヴィエナ候の息子で、類稀なる魔術の素養をもった神童――そこそこ有名だと思っていただけに、この反応はちょっとがっくりきた。或いは、エカテリーナが周りに興味がないか、だな。


「そうか。ま、別にいいけど。兎に角、よろしく」

「うむ」


 しかし、彼女のほうはそううなずいただけで、名乗りもしなかった。自分の名前は当然知られているものと思っているのか、それともよろしくする気がないのか。


「僕は特待生としてこの学院に入学してね。この研究室もその特典として与えられたものなんだ」

「なるほどな」


 納得したふうのエカテリーナ。


「コーヒーは飲む? 飲むなら淹れるけど」

「もらおう」


 彼女はこれまた遠慮なく答える。


 まぁ、変に遠慮されたり、思っていることと反対のことを言って言葉の裏を読むことを求められるよりは、このほうがよっぽどいいが。


 どうやら僕はこの不遜な態度に少しずつ好感をもちはじめているようだ。


 僕はサイドボードへ行くと、そこに置いてあるコーヒーサイフォンをセットし、マッチでアルコールランプに火を点けた。


「今日は、マーリャたちは?」

「そう言えば、さっきもマーリャの名前を出していたな。マーリャのことを知っているのか?」


 エカテリーナは僕の質問には答えず、逆に質問を返してくる。


「同じ学科だからね。午後の科別の講義はいつも一緒だよ。……それで、そのマーリャたちは?」

「はぐれた」


 エカテリーナの答えは実にあっさりしたものだった。


「だから探しておったのに……なぜお前はわたしをここにつれてきた?」

「言っただろ。ほうっておくと心配だって」


 あのまま彼女を野放しにしておくと、先ほどと同じようなことが起きかねない。そうなると、遅かれ早かれ、本当に引き鉄を引くかもしれない。怪我人が出て、彼女たちは放校処分だ。


わたしを助けて、我がツバロフに恩でも売る気か?」

「そんなんじゃないよ」


 そんなたいそうなこと考えたこともない。


 もしかしたら多くの学生は、不気味なツバロフからの留学生たちの退学を望んでいるのかもしれない。でも、少なくとも僕は、このまま彼女を祖国に帰すべきではないと思っていた。


「できた」


 サイフォンがコーヒーの抽出を終えた。


 僕はフラスコからカップへとコーヒーを注ぎ、砂糖とミルク、スプーンを添えて、エカテリーナの前のテーブルに置いた。


「どうぞ」


 そうしてからサイドボードに戻ると、今度は自分の分を普段使っているカップに注いだ。自分好みに味付けをして執務机に戻る。


 エカテリーナはコーヒーに砂糖を二、三杯入れると、さらにミルクを多めに足した。それをひと口飲み、


「ふむ」


 とだけ言って、ひとつうなずいた。……感想は特になし。まぁ、その様子からして、特に不満はないのだろう。それだけ砂糖とミルクを入れれば、もとのコーヒーがどんな味でも一緒という気がしないでもないが。


 そこで僕は、彼女の顔を見ていて、ふと気づく。


「なぁ、エカテリーナ」


 自分もコーヒーをひと口喉に流し込んでから、執務机越しに彼女に呼びかけた。


「不躾な質問だったら無視してくれてかまわない。……その眼帯、いつもそちら側だったか?」


 僕がエカテリーナを見かけたのは、まだ数えるほどしかない。でも、前に見たときは反対側の目を眼帯で覆っていたように思う。それに目の色もちがっていた気が。


「ああ、これか? ……せっかくだ、見せてやろう。驚くなよ」


 そう言って不敵に笑うと、エカテリーナは眼帯を外してから僕へと向き直った。


「ッ!?」


 そして、それを見た僕は、危うく声を上げそうになる。


 露わになったもう片方の目。そこには特に目立った傷などはなく、健在だった。

 ただ、左右で目の色がちがっていた。


 今まで見えていた目は紫暗。眼帯に隠されていた目は、澄んだ湖のような水色をしている。


虹彩異色症ヘテロクロミア。ツバロフの皇族の遺伝なのだ。驚いたであろう?」

「ああ、悪い。ちょっとびっくりした」


 もっと色に差がなければ、そこまで驚くこともないのだろう。だけど、紫と水色ではちがいが大きすぎる。確かにいきなり目の当たりにしたら吃驚するかもしれない。


「そうであろうな。だから、驚かせないように眼帯をしているのだ。なお、どっちに眼帯をかけるかは、その日の気分次第だ」


 エカテリーナは僕の反応を気にしたふうもなく、再び眼帯をかける。きっと僕のようなリアクションは日常茶飯事なのだろう。


「……」


 このとき僕は確信した。やはり彼女をこのままにはしておけない、と。


「……エカテリーナ」


 僕は改めて切り出した。


「どうして周りと話そうとしないんだ? 仲間だけで固まって、そんなんじゃ楽しくないだろ」

「では、わたしも聞くが、お前は楽しむためにここに通っているのか? ああ、ファーンハイト人のお前たちはそうなのかもしれないな。だが、我々留学生は国を代表して、それなりのものを背負ってきているのだ。遊んだり楽しんだりしている余裕はない」


 さしずめ、エカテリーナは皇族として相応しい教養を身につけるため、だろうか。


 確かにそのあたりの差は、ファーンハイト人のとりわけ貴族学生と他国からの留学生とで、勉強に向かう姿勢に如実に表れている。


 しかし、それでも世界最高の教育を受けることと、学校生活や休日を楽しむことを両立している生徒は多い。


「それにわたしたちは世界に悪名高い軍事大国、ツバロフ帝国の人間。怖れられるのも当然……いや、怖れられてなんぼであろうよ」


 エカテリーナはどこか自虐的に笑う。


「僕はそうは思わない」

「何?」

「少なくとも僕は、驚かせないようにと周りに気を遣える君なら、ちゃんとうまくやれると思う」

「っ!」


 僕の言葉に、彼女ははっと目を見開いた。


 そうだ。そんなエカテリーナを今のまま祖国に帰していいはずがない。彼女はもっと別のものも学ぶべきだ。


 僕は真っ直ぐエカテリーナを見つめる。

 彼女もまた、まるで自分が侮辱でもされたかのように、僕を睨み返してきた。


「ララミスと言ったな?」


 この日初めて、エカテリーナは僕の名を呼んだ。今まで気にも留めていなかった名前を、少しは覚える気になったのかもしれない。




「お前はこんなわたしでも――」




 と、エカテリーナが何か言いかけたときだった。


 研究室のドアが勢いよく開かれた。


「エカテリーナ様!」


 飛び込んできたのは三人の男女。言うまでもなくエカテリーナの従者たちだ。


 彼らを呼びにいったシェスターの姿はない。きっとエカテリーナの居場所をおしえた途端、彼らが飛んでいってしまったのだろう。


「ご無事ですか!?」


 エカテリーナに駆け寄ったのは、小柄で中性的な顔をした男子生徒と、長身の女子生徒。後に名前を知ることになる、イリヤとヴァシリーサだ。


 そして、迷わずこちらに向かってきたのが、僕が唯一名前を知るマーリャだった。


「ララミス! 貴様、エカテリーナ様に何をした!?」


 あろうことか彼女は、僕に短剣を突きつけてきた。


 銃の次は剣か。本当にこいつらは……。


 僕は短剣の切っ先を向けられながらコーヒーを飲んだ。なかなか斬新なシチュエーションだな。


「何もしてないよ」

「ならば、なぜエカテリーナ様をこんなところにつれてきた!?」


 そこでエカテリーナが割って入る。


「やめよ、マーリャ」

「し、しかしっ」


 なおもマーリャは、短剣をぴたりと僕に向けたままだ。


「二度も言わせるな。わたしはコーヒーを馳走になっておっただけだ」

「し、失礼しました」


 ようやくマーリャが手を引くと、瞬間、短剣は何処ともなく消えた。いったいどこにいったのだろうか。まったく見えなかった。まるで手品だな。


「……帰るぞ」


 エカテリーナは最後にコーヒーをひと口飲んでから立ち上がった。三人の従者を引き連れ、研究室を出ていこうとする。


「エカテリーナ」


 僕はその背に呼びかける。


「さっきの君の質問だけど……

「ッ!?」


 彼女は一度、かすかに体を跳ねさせると、


「……何も質問などしておらぬわ」

「そうだったか。すまない。僕の勘違いだったようだ」

「ふん」


 不愉快そうに鼻を鳴らす。


「またくる。もっとよいコーヒーを用意しておけ」


 そうしてエカテリーナ・ラフマニノフはドアの向こうに消えていった。

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