6.常冬の国の公女との出会い(1)

 僕の記憶は去年にまで遡る――。




 エカテリーナ・ラフマニノフのことは、入学当初から知っていた。


 何せ彼女は有名人だった。

 北の軍事大国、ツバロフ帝国の皇帝の子。常冬の国の公女――彼女について囁く言葉の裏には、常に怖れがあった。


 実際、エカテリーナの存在は怖れられるに足る異様さだった。


 常に三人の従者をそばに置き、少しでも彼女に近づこうものなら、すっと三人の従者が割り込んでくる。嘘か真か、銃を向けられたなんて話まである。


 従者たち以外とは話そうともせず、話す必要があるときでも直接ではなく従者を介してだった。下々のものとは話さないということだろうか。興味があって調べてみたが、ツバロフでは皇帝が一般市民と話をするとき、そうやって宰相を中継するのだという。


 そんなだから僕もエカテリーナと積極的に関わろうとは思わなかった。君子危うきに近寄らず。


 もとより魔術科と法・政治学科。普通にしていれば接点などないはずだった。




 それは入学して一ヶ月ほどがたったある日のこと。


 そのころにはエカテリーナたちの不気味さは全生徒の知るところとなり、すっかり誰も近寄らなくなっていた。


 一方の僕は、そのころはまだ前世の記憶などという厄介なものは甦っておらず、高い魔術の素養も失われることなく、未だ『神童』として尊敬の眼差しを集めていた。


 僕とエカテリーナは、ある意味では好対照なふたりと言えたかもしれない。


 その日の放課後、

 僕はシェスターと、人影もまばらな校舎の中を歩いていた。


「ララミス、あれは何だと思う?」


 さして重要ではないことを話しながら歩を進めていると、シェスターが視線で前方を示した。


 そこは隣の校舎へと連絡する渡り廊下の入り口。言われて僕もそちらに目を向けると――そこには四人の男子生徒が固まっていた。たぶんゲルマニクス帝国人だ。廊下で立ち話だろうか?


(ん? あれは……?)


 いや、よく見ればそうではない。


 彼らは誰かを取り囲んでいた。隙間から見えたその姿は、小柄な体に女子の制服、そして、片目を覆う黒い眼帯――。エーデルシュタイン学院には多くの生徒がいるが、眼帯をしている女子生徒などひとりしかいない。――エカテリーナ・ラフマニノフだ。


 ツバロフ帝国とゲルマニクス帝国は歴史的に仲がよくない。おおかたエカテリーナがたまたまひとりでいるのを見かけ、ここぞとばかりにからんでいるのだろう。


 僕の隣からかすかに舌打ちが聞こえた。シェスターだ。彼はこういうことがきらいだ。何を隠そう、僕もきらいだ。


「……邪魔だな」

「……ああ、邪魔だ」


 僕たちが交わした言葉はそれだけだった。特に歩速も上げず、真っ直ぐそちらに向かっていく。


 やがて彼らの声が聞こえてきた。


「これはこれはツバロフのお姫様。今日は珍しくおとももつけず、おひとりですかね?」

「……」


 バカにしたような口調でひとりが言う。が、エカテリーナは何も答えない。


「相変わらず下々のもとは話す気がないってか」

「……」


 別の生徒がやれやれとばかりに大袈裟に肩をすくめてみせるが、それでも彼女は口を開かない。それどころか彼らを見てすらいない。


「おい、いいかげん何か言えよっ」


 そんなエカテリーナの態度に腹を立て、とうとうひとりが肩を突く。


 よろめいた彼女は体勢を立て直すと、触れられた肩を手で払い――ふん、と鼻で笑った。


「公女だから皇族だか知らないが、バカにしやがって。どうやら痛い目に遭いたいらしいな」

「おっと、そこまでですよ、先輩方」


 危うく手を出しかけたところで、僕が声で制止した。


 ゲルマニクス人の男子生徒たちがいっせいにこちらを向く。それでも振り返らなかったのはエカテリーナだ。なかなか筋金入りだな。


「お、お前たちは、ララミスとシェスター!?」

「先輩方が僕たちのような新入生のことまで知っているとは思いませんでした。光栄ですね」


 まぁ、知っているのも当然か。僕は数年ぶりの特待生で、言わずもがな。シェスターは女子生徒が騒ぎそうなルックスと身分なので、いやでも噂は男子生徒の耳にまで入ってくるのだろう。


「ふん。ファーンハイトの貴族サマか。お前たちの家の力が、ゲルマニクス人の俺たちにまで通用すると思うなよ」

「そんなこと思っていませんよ。ただね、女の子に声をかけるにしては、すこし威圧的すぎるんじゃないですか?」

「ハッ。この女が気に喰わないから、その生意気な態度を修正してやろうと思ったんだよ。わかったなら引っ込んでろ」

「……」


 まったく。ひどい言い分だな。呆れて言葉も出ない。


 それならせめて従者たちもいるときに言えよ。ひとりのときを狙って男四人で嬉々として取り囲むとは、恥ずかしくないのだろうか。




「ほう」




 それはここにきて初めて聞く声だった。

 エカテリーナだ。




「そうか。お前たちの国では気に喰わなければ戦争を吹っ掛けていいのか。……いいだろう。こちらも同じ流儀でやらせてもらう」




 そう言って彼女がブレザーの内側から取り出したのは、あろうことか回転式拳銃リボルバーだった。


 エカテリーナはその銃口を、先の台詞を吐いた男子生徒の眉間に向けた。


「う、うわあ!?」

「なんだ、こいつッ」


 想像の上をいく反撃に、男子生徒たちが騒然となる。


「おい、バカ。やめろ」


 僕は咄嗟に、銃口をふさぐようにして手で握った。


「お前たちももう行け。いいか、このことは誰にも言うなよ」


 シェスターが強い口調でそう言うと、上級生たちは這う這うの体でバタバタと去っていった。否、逃げていった。最初から最後まで恰好の悪い連中だな。


「……離せ」

「ダメだ、離せば撃つ」

「当たり前だ。やつらは気に喰わないからという理由だけで戦争を吹っ掛けてきた。ならば、吐いた言葉の責任は取ってもらわねばな」


 エカテリーナは口の端を凶悪に吊り上げ、紫暗の瞳を不吉に光らせる。……ああ、まちがいなく彼女は、あの軍事大国ツバロフの皇帝の娘だ。僕はそれを実感した。


「言っておくが、離さないでも撃てるのだぞ」


 エカテリーナが引き鉄に指をかける。


 このまま彼女が引き鉄を引けば、僕の掌には大穴があくことだろう。だが、それでも男子生徒たちの姿が見えなくなるまではこの手を離すわけにはいかないし、彼女に撃たせるわけにはいかない。


「そうか。ツバロフでは戦争の仲裁に入ったものにも銃口を向けるのが流儀か」


 僕はさらにエカテリーナの正面に立った。今なら銃口を飛び出した弾丸は、僕の掌を貫通した後、胸に突き刺さることになるだろう。


「……」

「……」


 僕たちは黙って睨み合う。


「……離せ」

「……」

「……もう撃たん」

「え?」

「やつらがもう見えなくなった。それとも何か? 撃ってほしいのか? わたしはかまわんぞ」

「ララミス、もう大丈夫だ」


 後ろからはシェスターもそう言ってくる。


「あ、ああ」


 僕は少しだけ緊張しながら、ゆっくりと手を離した。


 エカテリーナは慣れた手つきで回転式拳銃リボルバーを扱うと、それを掌に載せて見せてきた。


「安心しろ。安全装置セーフティをロックしたままだ。弾は出ん」


 そう言って、彼女は意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「それをわかって銃口を握ったのなら、なかなか冷静よな。わかってなかったのなら、それはそれでいい度胸だ」

「まさか。銃を間近で見たのは初めてだよ。安全装置セーフティなんてものがあるのも知らなかった」


 いちおう父が持っていたが、絶対に触ってはいけないと言われ、僕もその言いつけをしっかり守っていた。


「シェスター、僕は彼女を研究室につれていく。悪いけど、マーリャを探してきてくれないか」


 僕はエカテリーナの三人の従者の中で、唯一同じ学科で顔を知っているマーリャの名前を出した。同じく魔術科のシェスターも彼女のことを知っている。たぶん何かの拍子にはぐれたのだろう。だとしたら、今ごろ三人は必死になって主を探しているはずだ。


 別にマーリャでなくてもいい。シェスターならほかのふたりでも物怖じせず声をかけることができるだろう。


「つれていってどうする気だ?」

「どうもほうっておくと、またからまれそうでね。心配だ」


 たぶんエカテリーナたちのことを気に喰わないと思っているのは、さっきの連中だけではないだろう。また同じことが起きかねない。


「なるほど」


 シェスターはそう言ってシニカルに笑うと、心得たとばかりにエカテリーナの従者たちを探しにいった。


「心配いらぬわ。わたしにはこれがある」

「いいかげん銃はしまってくれ。だから心配なんだよ、相手が。……いいから、僕についてこい」


 そうして僕はエカテリーナをつれて研究室に戻った。

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