5.魔儀(2)

「マーリャだって!?」


 イリヤの口から飛び出した意外な人物の名前に、僕は驚きを禁じ得なかった。




 マーリャ・マスカエヴァ。


 イリヤ、ヴァシリーサとともに、エカテリーナの従者のひとりで、怜悧な面立ちをした女軍人のような雰囲気が特徴の少女だ。


 職務に忠実な生真面目な性格で、周りから飄々としているように見られがちな僕のことを嫌っているようだが、僕は彼女がそれほどきらいではなかった。


 あろうことかイリヤは、そのマーリャが悪魔召喚を行った犯人だと疑っているという。




「まさか、そんなはずが……」


 信じられない思いで、僕はつぶやく。


「まさか? そんなはずがない? どうしてそう思うんだい?」

「イリヤたちにはわからないかもしれないが、悪魔の召喚なんて口で言うほど簡単なことじゃない。知識と才覚、深い理解が必要だ」


 問うイリヤに、僕は反論する。


「確かに僕たちは魔術科じゃないからね。魔術やその延長にあるであろう悪魔の召喚術には疎い。だけど、マーリャは魔術科だよ?」

「そう。お前やアラシャ・ベルゲングリューンのような化けもののそばにいるから目立たないが――」

「ヴァシリーサ」


 言いかけたヴァシリーサの言葉を、イリヤがたしなめるようにして遮った。


「失礼した。……お前たちのような規格外の魔術の才能をもった人間のそばにいるから目立たないが、彼女とてツバロフでは珍しく高い魔術の素養をもって生まれ、この学院の魔術科に入学した人間だ。甘く見ないほうがいい」


 ツバロフ帝国は、人種的に魔術の素養を持ったものが生まれにくいらしい。だからこそ通常兵器を主武器とした軍事国家へと走った側面がある。


 そんなツバロフにおいて、マーリャは珍しく高い魔術の素養を持って生まれ、エーデルシュタイン学園に留学する際も、その才能を伸ばすため魔術科に入学することとなったのだそうだ。確かに彼女がどれほどの魔術の使い手かは、同じ学科である僕もよく知っている。


 魔術の素養は申し分ない。悪魔召喚の知識は、僕が手に入れることができた以上、同程度には可能性がある。後は知識への理解と才覚だが、それは見て量れるものではないとうのが正直なところだ。


 でも、だからと言って――本当に彼女だというのか?


「仮に、だ――」


 僕は言葉を絞り出した。


「仮にマーリャの仕業だとして、いったい何が目的だ? なぜ彼女がそんなことをする必要がある?」


 そうだ。動機がない。悪魔を大量に召喚し、街の人を襲わせるような真似をして、彼女に何の得があるというのか。


「動機、か……」


 イリヤは顎に手を当て、考え込む。いや、考え込む素振りを見せた、というべきか。


 彼にはきっと動機の見当もついているはずだ。同じ国に生まれた人間であり、同じ任務に就く仲間を疑おうというのだ。そこまで考えていないはずがない。


 イリヤはゆっくりと、慎重に言葉を選ぶようにして口を開いた。


「マーリャは、エカテリーナ様が変わってしまったことが許せないんだと思う」

「……」


 僕には話がつながっていないようにも見えるが、今は黙ってイリヤの話を聞く。


「エカテリーナ様が変わったことは、ララミス、君もよくわかっているはずだ」

「あ、ああ。そうだな」


 僕は思い出す。入学当初のエカテリーナ・ラフマニノフは、まるで氷の刃のようだった、と。


 常に三人の従者をそばに置き、彼ら以外とは話そうともしなかった。自分たち以外は眼中にないかのようで、たまに外に目を向ければ眼帯に覆われていない片方だけの目で、見下すように周りを睥睨していた。いかにも軍事国家の皇族。常冬の国の公女。誰も寄りつかなくなるのに、さほど時間はかからなかった。


 そんなエカテリーナも、今はあの調子だ。誰とでも話すし、よく笑う。相変わらず生まれ持った不遜な態度はあるが、それもどこか愛嬌があっていやな感じはない。


「だが、マーリャにはそれが許せなかった。気高く、孤高の存在であり続けてほしかったのだろう」

「もしかしたら、我々以外のものに目を向けはじめたことも理由のひとつかもしれないな」


 イリヤの後を引き継いだヴァシリーサが、どこか同情したように言う。


 言うなれば憧れと独占欲、だろうか。


 自分が仕える主は常に理想の存在であり、その世界は自分たちだけで完結していればいい……。


 その気持ちは少しだけ僕にもわかった。僕にとってのアラシャ・ベルゲングリューンがそうだったからだ。


 妖精エルフのように美しく、魔術科の生徒会長をも務めるほどの才媛。その彼女と出会い、親しくなり、会うたびに笑いながら声をかけてくれることは、自分が何か特別な存在になったように感じたものだ。……まぁ、尤も、僕の場合、本当に自分自身が特別だったわけだけど。


 だが、マーリャにとっての特別な存在――エカテリーナの世界は外に広がった。異国人の生徒たちと気軽に話し、従者たちにはそばにいなくてもいいとまで言い出した。価値観すら変わりつつあるのだ。


 思えば、マーリャはよく嘆くように言っていた。エカテリーナ様は変わってしまわれた、と。


「わかった」


 僕は自分自身を落ち着かせるように、静かにそう発音した。


「マーリャがエカテリーナの変化を望んでいなかったことは認めよう。だけど、それと悪魔の召喚がどう結びつく?」


 問題はそこだ。エカテリーナが変わってしまったことと、禁断の魔儀をもって悪魔を召喚し街を襲わせることに何の関係があるというのか。稀代の大罪人となってまでマーリャは何がしたかったのか?


 イリヤは僕の反問にもしっかりと答えを用意していた。


「僕はマーリャが今回の件でエカテリーナ様のお心を確かめたのだと思う」

「エカテリーナの心を確かめた?」


 いよいよ話は核心に入っていく。


「そう。自分たちとは無関係な人々が襲われるあの場面で、エカテリーナ様がどう考え、どんな行動に出るのか――それをマーリャは見極めようとしたんじゃないだろうか」

「ッ!?」


 残念ながら、僕にはその心当たりがあった。


 あのとき、ふたりはどんなやり取りをした? 確か――




『民がいくら死のうが御身のほうが大事です』

『そこにいるのは我が国の民か? ちがうであろう。世界に悪名高い軍事国家の公女とその従者すらも留学生として受け入れてくれたファーンハイトの国民であり、わたしたちの学友であろうが』




「その結果、エカテリーナ様が何をしたのか――それはそばにいた君がよく知っているんじゃないかな、ララミス」

「……」


 ああ、そうだ。その通りだ。僕は先のやり取りをこの耳で聞いていた。それを聞いて嬉しく思ったものだった。


 だが、




『……やはり貴方は変わってしまわれた』




 その一方で、エカテリーナに面と向かってそう言ったマーリャは、苦々しい思いで聞いていたのかもしれない。我が主はまちがいなく変わってしまったのだと。


「そのためにも彼女は、エカテリーナ様が一緒にくる必要はないと言ったにも拘わらず、むりに同行したのだろうね」

「私は、マーリャにはほかにも意図があったのだと思っている」


 ヴァシリーサは自分の意見を付け足した。


「ほかにも意図が?」

「そう」


 彼女はひとつうなずく。


「この際だ、誤魔化さずに言おう」




「それはララミス・フォン・ハウスホーファー――お前を亡きものにするためだ」




「……」


 僕は言葉が出なかった。


「その考えは飛躍しすぎだと、僕は言ったんだけどね」


 ヴァシリーサの隣で、イリヤが苦笑しながら言う。


「わからないな。僕がなぜ命を狙われる? マーリャにそこまできらわれているとは思えないんだが」

「もちろん、いくら彼女でもそこまで短絡的ではないさ。だけど、前にも言っただろう? マーリャはエカテリーナ様が変わってしまったのはお前のせいだと思っている、と」


「ああ、確かに言っていたな」


 言ったのはイリヤで、前に一緒に昼食を食べたときだ。


「だけど、僕には心当たりがない」

「本当に君は罪なやつだな」


 首を傾げる僕を、イリヤは笑う。


 どういうわけか彼は、この話題をするとき、好んで『罪』という言葉を使う。仮に僕がエカテリーナの変わるきっかけを作ったとして、それを忘れていることはそんなに悪いことなのだろうか?


 僕は自分の記憶の糸を手繰り寄せることにした。

 もちろん、手繰るのはエカテリーナと出会ったときのことだ。

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