3.翌日、学院にて(3)

 アリエル・アッシュフィールドとその友人、ローゼマリー・デュカーと別れ、僕は図書館へと足を運んだ。


 図書室ではなく、図書館。


 故に、ひとつの建物として独立していて、その重厚感ある外観とともに、それに相応しい中身――大量の蔵書や快適な閲覧、学習環境となっている。


 世界最高の教育機関を謳う王立エーデルシュタイン学院には留学生が多く、国を代表して他国からやってきた彼らは、少しでも多くの知識を吸収しようと勉強意欲に溢れている。その一方で、ファーンハイト王国出身の生徒の中には、貴族の子の箔付けのために通っているものも少なからずいて、勉学に対する姿勢のちがいは一目瞭然だ。


 さて、普段なら多くの生徒――主に留学生がいるこの図書館も、さすがに今日は閑散としている。


(ま、それならそれで、僕としては好都合だけど)


 静かに調べものができるし、ヘルムートのようにからんでこられなくてすむ。


「……」


 ヘルムートか。

 やつについても早々に調べないといけないだろうな。あの態度からして、何らかのかたちで関わっていることは間違いない。


 そう思いながら僕は、このところ熱を入れて調べている先史文明関連の資料がある書架へと向かう。


 と、その列でまず目に飛び込んできたのは、足だった。


 反射的に上を向く。


「ッ!?」


 そうして次に見たものは制服のスカートとその中――清楚でありながら、ほのかに色気も感じさせるデザインの白い下着だった。


 女子生徒が備え付けられた階段状の踏み台の上に乗って、書架の高いところにある資料を手に取っていたのだが、しかも、あろうことかその女子生徒というのがアラシャ・ベルゲングリューンだったのだ。


 彼女は資料を手に取って、そのまますぐに読みはじめたのか、台の上に乗った状態で熱心に文字を目で追っていた。


 幸い、こちらには気づいていない。今のうちに退散しよう。


 そう思ったときだった。


「待ちなさい。ララミス・ファン・ハウスホーファー」


 鋭い声が僕を呼び止める。


 甘かった。ちゃんと気づいていたようだ。


「何でしょうか、アラシャ先輩」


 僕は逃げるのを諦め、振り返る。


 アラシャが踏み台の最上段からふわりと飛び下りた。魔術の才能だけでなく、運動神経もいいようだ。


「……」


 それはいいのだが――飛び下りた拍子に空気抵抗でスカートが翻り、また白いものが覗いた。


 本人はわかっていないようだ。お互い学年がちがうせいで普段の彼女の様子というものを知らないのだが……大丈夫なんだろうな? ちょっと油断が過ぎないか?


「相変わらず逃げるのね」

「そういう性分なのさ」


 尤も、今回に関してはちがうが。あの場合、気づかれないうちに姿を消すのが最善策だと言える。


「もう理由は聞きませんが」

「助かるね」




「でも、覚えておいて。それでもわたしにとっては、貴方は以前と変わらないララのままよ」




 彼女はどこか寂しげに、そう言った。


「……」


 僕もそうあることができたらよかったのだけどな。何かにつけて叢雲灯子と重ねてしまう今は、僕はアラシャを以前と同じように見れなくなっている。


「改めて、昨日はお疲れさまでした」


 アラシャは気持ちを切り替えて、そう切り出してきた。


「大変な一日だった。今も上へ下へのお騒ぎだろうね」

「そうね。父も昨日のうちに騎士をヴィエナに送ったわ」


 中央への報告と情報収集のためだろう。腕の立つ騎士が夜通し馬を走らせているにちがいない。


「……」


 ヴィエナは大丈夫だろうか。養父母のことに思いを馳せ、僕は我知らず黙り込む。


 僕の予想通りヘルムートが関与しているのなら、おそらく悪魔の大量現界、及び、襲撃はこのバルトールの街だけのはず。そう思っているのだが、どうしても不安が拭えなかった。


「ヴィエナの様子も遠からずわかるはずだから、貴方にも伝えるわ」

「……すまない」


 こちらの心中を察してくれたアラシャに、僕は感謝する。


「貴方も事態の収拾に尽力してくれたみたいね。バルトール伯の娘として、お礼を言わせてもらうわ。ありがとう」

「よしてくれ。僕はただ――」


 と言いかけて、口をつぐむ。

 この先はアラシャに言う言葉ではない。


「あら、言わないの? ただ、心配してわたしを探していただけ、と」


 アラシャは少しだけ意地悪く、そんなことを言う。僕は黙って心の中だけで天を仰いだ。


 おい、誰だ? アリエルか?


「まぁ、いいわ」


 と、アラシャは嘆息ひとつ。


「さて、力を貸してくれたことについては否定しなかったわね。……ええ、貴方は魔術が使える。それもかなり強力な。ちがう?」

「……」


 僕は再び沈黙した。

 少し間をおき、口を開く。


「いや、使えないよ。僕は、類稀なる魔術の素養をもった特待生にして、今やそれも失われて嘲笑の的となった――その名も『落ちた神童』さ」

「では、あの石像魔ガーゴイルの残骸は何? わたしの見立てでは六体分」


 炎で焼き尽くしたのが一体。超短射程、超高威力の電撃魔術で倒したのが五体。計六体。実に正確だ。


「いったい誰の仕業?」

「きっと通りすがりの騎士の――」

「騎士の到着は、あの時点ではまだよ。その場にわたしもいたわ」


 アラシャは僕の言葉にかぶせるようにして、回答の穴を指摘する。

 確かにそうだったな。


「ああ、そうだ。きっとエカテリーナたちだろう。彼女たちも悪魔からみんなを守るため、街中を駆け回っていたらしいからね」

「彼女たちの銃と剣では、ああはならないわ」


 またもやきっぱりと否定される。


 これもその通りだった。マーリャの長剣サーベルは言わずもがな。エカテリーナの聖別された銀の弾丸で悪魔の核を撃ち抜けば、もっと粉々になった上、最後は消滅する。


「……」

「どうやら弾が尽きたようね、ララ。では、答えなさい。貴方は魔術が使えるの? 使えるなら、どれくらいのことができるの?」


 アラシャ・ベルゲングリューンは、改めて問い質してきた。


 僕は押し黙る


 マーリャ・マスカエヴァは、彼女自身の他人に興味のない性格もあって、どうにかはぐらかすことができた。だが、高い魔術の素養の持ち主であり、エーデルシュタイン学院魔術科の生徒会長をも務めるアラシャを誤魔化すのは、ひと筋縄ではいかないようだ。


 尤も、昨日のあの場面を見られた時点で、こうなるような気はしていた。


 観念するべきか。


「いや、ララミス・フォン・ハウスホーファーは、もう初歩的な魔術しか使えないよ」


 そこに嘘はない。


「この期に及んでまだそんな――」

「ただし、」


 僕はアラシャの言葉を遮った。


「そこにはカラクリがあってね」

「カラクリ?」


 アラシャは不思議そうに問い返してくる。


「そう。僕は、実はその初歩的な魔術を最大の効果で使うことができるんだ。……例えば、魔術を使って人を自殺させることはできるだろうか?」

「できるわけないわ。人には抵抗レジストがあるもの」


 彼女は即座に答える。


 その口調に怒りの響きが混じっているのは、喩えが非道なものだからだろう。正義感の強いアラシャらしい反応だ。


「そう。人には抵抗レジストがある。よっぽど力量に差があれば可能かもしれないが」


 この場合の力量差は、熟練の魔術師と、魔力が皆無な一般人くらいの差だ。


 単純に他者を傷つけるだけなら、力任せに攻撃的な魔術をぶつけて抵抗レジストを突破すればいい。だが、人の心や体を操るような魔術は繊細さを要求され、それ故に抵抗レジストされる。


「できてもやってはいけないことだわ」


 その通り。人としてやってはいけないし、禁止する法律がある。魔術を使って犯罪を犯したもには、過剰なまでに厳しく処罰される。それが先史文明時代からの慣例だ。魔術を使えるものが魔術を使えないものに怖れられ、迫害されないためにも。


「だけど、僕は初歩的な魔術しか使えなくなった代わりに、それを最大の効果で使うことができるようになった。……例えば、今日のアラシャ先輩は白い下着を身に着けている」

「は……?」


 一瞬、何のことかわからず、ぽかーんとするアラシャ。


 そうしてから、


「え? あ……!」


 ようやく何を指摘されたのか理解したようで、顔を赤くしながら片手で胸のあたりを、もう片手でスカートの裾を押さえた。


「僕がその気になったら、例えアラシャ先輩が相手であっても、この場で服を脱げと命じて、本当にそうさせることができるかもしれない」

「え? ララ、ちょっと待……」


 アラシャは怯えたように、じりじりと後退る。


 と、その足が、先ほどまで自分が乗っていた踏み台に当たった。アラシャはそれを見て――瞬間、思考は遠くまで到達したようだ。何かに気づいて目を見開き、キッと僕を睨む。


「今の話……嘘ね」

「おっと、バレたか」


 要するに僕は、最初にうっかり手にしてしまった情報を、さも魔術で入手したかのように語っていただけだ。……まぁ、情報なんてたいそうな言葉を使っているが、単に下着の色とも言うのだが。


「つまり、ララは下からわたしのスカートの中を覗いていたわけね?」

「う、うん?」


 この場合そうなる、のか?


「……サイテー」

「……」


 半眼で、心底軽蔑したように言われてしまった。


「えっと……はい、アラシャ先輩」

「え? な、なに?」


 僕は書架から資料を一冊見繕って取り出すと、それをアラシャに手渡した。


「それから、これとこれと……あぁ、これもだな」


 さらに数冊、次々と彼女の手の上に載せていく。


「ちょ、ちょっと、ララ、何なのこれは!?」

「ああ、それね。先史文明について調べるなら、なかなかいい資料だよ」

「え、そうなの? って、そうじゃなくて!」


 しかし、アラシャがはっと我に返ったときには、僕はすでに踵を返していた。


「待ちなさい、ララミス・フォン・ハウスホーファー。……ああ、もう! 今度こそ話を聞かせてもらいますからねっ」


 小走りに逃げる僕の後方で、アラシャの怨嗟の声が聞こえる。


 とりあえず、この場はやり過ごすことができたようだ。……代償にかなりの致命傷を負った気がしないでもないが。




 ここで改めて言おう。

 ララミス・フォン・ハウスホーファーは魔術の素養を失い、もう初歩的な魔術しか使えない。


 そこに嘘はない。

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