2.翌日、学院にて(2)
シェスターが帰った後、
研究室を出て、図書館へ向かおうと廊下を歩く。
「ララミス様!」
と、その僕に後ろから誰かが声をかけてきた。
前に聞いたことのある声だ。誰だろうと思って振り返ろうとした矢先、その人物は僕の腕にしがみついてきた。
「聞いてください、ララミス様!」
それは魔術科の新入生で、アリエル・アッシュフィールドの友人、ローゼマリー・デュカーだった。リンツに居をかまえる伯爵家の娘だという。
ローゼマリーは僕の腕にしがみつき、喜色満面で訴えてくる。
「わたし、
「それは何よりだね」
ローゼマリーには以前、魔術がうまく使えないと言ってアリエルと一緒に相談にきたときに、僕からいくつかアドバイスをしたのだった。どうやらそれが功を奏したようだ。
「ララミス様のおかげです」
「いや、君の努力の賜だよ。何せ、僕はもっと時間がかかると思っていたからね」
「あ、ありがとうございます!」
ローゼマリーは照れたように、でも、嬉しそうに礼を言って、僕を見上げてくる。
「……」
さて、彼女は未だ僕の腕にしがみついたままだ。誰か彼女を引き剥がしてくれないだろうか。……今日はアリエルは一緒じゃないのだろうか、と周りに目をやろうとしたそのときだった。
「こら、ローゼマリー・デュカー!」
そのアリエルだった。
「もう。いきなり走り出したと思ったら、これだったのね」
後から駆けてきたアリエルは、僕とローゼマリーの間に割って入ると、ぐっと両手を広げるようにして僕たちを引き剥がした。
「わたし、目はすごくいいの」
「ええ、ええ。まぁ、そうでしょうとも」
アリエルが呆れたようにため息を吐く。
ふたりのやり取りから察するに、ローゼマリーが遥か彼方から僕を見つけ、アリエルを置き去りにして走り出してしまったようだ。
「ララミス先輩」
アリエルがこちらに向き直る。
「昨日は大変でしたね」
「ああ、お互いにね。それにアリエルには恰好悪い姿を見せたかな」
思えば突然涙を流したり、取り乱してアリエルになだめられたり、みっともないことこの上ない姿ばかり見せてしまった気がする。
「いいえ、そんな」
胸の前でぱたぱたと手を振るアリエル。
「ララミス先輩の意外な一面も見れましたから」
「それは僕にとってはぜんぜん嬉しくないけどね」
と、そこでさっきから僕とアリエルを交互に見ていたローゼマリー、はっと目を見開いて驚きの声を上げた。
「アリエル、昨日ララミス先輩と一緒にいたの!? 休日なのに!? ずるい。わたしも行きたかった!」
「た、たまたま目抜き通りでばったり会っただけだからね? ……まぁ、危ないところを助けてもらったりもしたけど」
そうは言うが、そんなに大げさなものじゃない。単に、アリエルにしつこくからんできていた貴族学生を追い払っただけだ。
「ますますずるい!」
しかし、ローゼマリーはさらにヒートアップし、なんだか今にもアリエルに詰め寄りそうな勢いだった。
仕方なく僕は助け舟を出す。
「僕が一緒にいたのはアラシャ先輩だよ」
「え、アラシャ先輩って、魔術科の生徒会長の、あのアラシャ先輩?」
いくら一年生と三年生で学年がちがうとは言え、さすがにアラシャのことは新入生でも知っているか。
「しかも、エカテリーナ様も一緒でしたよね?」
面白がるようにアリエルが付け加える。
「そんな、ツバロフのお姫様まで! 近づいただけで睨まれて、目をつけられたら校舎裏につれていかれるって噂じゃ……」
新入生からはそんな認識なのか、エカテリーナたちは。ひどい風評被害だな。
「そのエカテリーナ様とアラシャ先輩がララミス先輩の取り合ってるのよ? ロゼ、それでも一緒に行きたい?」
「ぐえぇ」
ローゼマリーの口から伯爵家のお嬢様らしからぬうめき声がもれた。いや、伯爵家のお嬢様以前に、女の子らしからぬ反応ではある。
「アリエル、ちがうと言ってるだろ」
昨日もアラシャが否定したはずなのだが。
「でも、ほら、エカテリーナ様なんて」
「ま、エカテリーナはね」
確かに、ことあるごとに卒業後は僕をツバロフにつれて帰ると言って憚らない。
尤も、それだってどこまで本気なのかわからないし、僕も真面目に検討すらしたことがない。
「でも、アラシャはちがうだろ? 本人もそう言ってる」
「えー、そうですかぁ?」
なぜか疑わしげな目を向けてくるアリエル。いったいどこに疑念の余地があるというのだろうか。
「そんなくだらない話はさておき――アリエルも学校にきていたんだな」
「ええ。お友達が無事か心配でしたから」
なるほど。彼女の性格を考えれば、さほど意外でもないということか。
「で、どうだった?」
「みんな怪我もなく無事でした」
そう言って嬉しそうに笑うアリエル。
「それは何よりだ」
いちおう僕が知る範囲では、昨日の騒ぎで命を落とした生徒はいないとわかっていた。だけど、たとえそれが一個人の交友範囲の中であっても、怪我人もいないというのは実に喜ばしいことだ。
「これもララミス先輩のおかげかもしれませんね」
「僕? 僕は何もしてないよ」
「わたしを助けてくれました」
あぁ、そうか。
「それに街を駆け巡って大活躍だったと聞いてますよ」
「ただ、アラシャを探し回っていただけさ」
「それでもララミス先輩が危ない目に遭っている人をほうっておいたとは思えません」
アリエルはなぜか自信満々にそう言い切る。
そんなことを言うなら、僕以上にエカテリーナとマーリャは、明確にそれを目的に街を駆けずり回っていた。一緒にいたアリエルだって、それこそ危険な目に遭っている人間をほうっておいたとは思えない。
ただ、彼女の言葉を真っ向から否定できないのも事実で――まっすぐ見つめてくるアリエルの視線は少々照れくさかった。
「いったい何の話ですか?」
ローゼマリーが首を傾げる。
「こっちの話さ」
「もう! ふたりだけがわかる話なんて、ずるい!」
さっきからずるいばかりだな。
「あ、わたし、午後からは教会に顔を出そうと思ってます」
と、見習いシスターでもあるアリエルは言う。
「こういうときこそ教会が人々の支えにならないといけませんから」
「そうかもしれないね」
ファーンハイト王国での教会の力はそこまで強くないとは言え、それでも敬虔な信者はいるし、そうでなくとも昨日の今日なら祈りにくる人も多いことだろう。
「ララミス先輩は、今日はどうするんですか?」
「僕は普段とあまり変わらないよ。自分の研究室か図書館にいる」
「そういうところ、ララミス先輩らしいです」
アリエルはそう言って、くすりと笑う。
シェスターにも似たようなことを言われたな。周囲の目には、僕はマイペースな人間に映っているのかもしれない。
「じゃあ、わたしたち、そろそろ失礼しますね」
「ああ、また。……ローゼマリーも。いま言ったように、僕はたいてい研究室か図書館にいるから。また何あったら訪ねてきてれたらいいよ」
「はい!」
ローゼマリーは元気よく返事をする。
「それでは失礼します」
最後にはちゃんと伯爵家のご令嬢らしく丁寧な挨拶をした。
そうしてふたりの少女は、僕が向かう方向とは反対のほうへ去っていった。
「さて、じゃあ、僕も図書館に行くとするか」
誰に聞かせるわけでもなく、わざわざ発音して自分の行動予定を明らかにすると、僕はそれに従って足を踏み出した。
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