10.襲撃(2)

 それは確かに下級の悪魔、石像魔ガーゴイルだった。

 十、いや、二十体はいるだろうか。


「多すぎる……!」


 石像魔ガーゴイル自体は珍しくない。僕もついこの間、遭遇したばかりだ。だが、八百年以上も前、人類は必死の抗戦の末に悪魔どもを東の半島に追いやり、封じ込めた。今では何かの拍子に地獄への門カオスゲートが開いて、散発的に姿を現す程度。悪魔が群れをなして飛来するなど、今ではありえないはずなのだ。


 数体が群から離れ、散り散りに降下していく。たぶん獲物となる人間を見つけたのだろう。


「くっ……」


 誰かが襲われているかと思うと、無力感に体が震える。


「ララミス、あれはなんだ!? 何かわかるのか?」


 エカテリーナの声にはっと我に返る。


 そうだ、歯噛みしている場合ではない。やつらは最終的に、人が多く集まるこの目抜き通りに降下してくるにちがいない。こうしている間にも悪魔どもの姿は大きくなっている。確実に近づいてきている。


石像魔ガーゴイルだ」

「え?」

石像魔ガーゴイルだ! 石像魔ガーゴイルの群だ! みんな、兎に角できるだけ頑丈な建物中に避難するんだ!」


 すでに魔術を使うなりして気づいているものもいただろうが、僕はここにいる全員に知らせるつもりで叫んだ。


石像魔ガーゴイル!?」

「そんな! あの数……あれがぜんぶそうなの!?」

「に、逃げろー!」


 公園の中が騒然となる。判断の早いものは、すでに目抜き通りへと駆け出していた。


 石像魔ガーゴイルは目についたものを襲うくらいの知能しか持っていないし、建造物を破壊するほどの力もない。おそらく適当な建物の中に入って身を隠していれば、教会軍の騎士団が駆けつけるくらいまではやり過ごせるはずだ。


(問題はここが公園だということだな)


 目抜き通りの商店を見て歩いているときなら、近くの建物に飛び込んだだろう。だが、ここは公園だ。一度通りに出てから、その上で避難できそうな場所を探さなければならない。その間にもやつらは近づいてくる。


(僕ひとりならどうとでもなるが……)


 たぶん石像魔ガーゴイル数体までなら、僕ひとりでどうにかできる。しかし、こにはエカテリーナとアリエルがいる。マーリャは戦闘力がありそうだが、どれほど戦えるかは未知数だ。仮に石像魔ガーゴイルと戦えるだけの戦闘力があったとしても、エカテリーナとアリエルがいる状況では、それも存分に発揮することはできないだろう。


「ダメです。間に合いません。エカテリーナ様、茂みに身を隠しましょう」


 マーリャの声だった。

 彼女も僕と同じことを考え、素早く判断を下したのだろう。すでにエカテリーナの手を引き、通りとは反対方向に走り出している。


 僕にはその選択が正しいかはわからない。だが、マーリャ・マスカエヴァは王族の護衛として訓練を受けた少女だ。その判断は信じるに値するだろう。


「アリエル、僕たちも行こう」

「え? あ、はいっ」


 彼女たちに続き、僕とアリエルも走り出す。そうしてエカテリーナとマーリャとは少し離れた茂みに飛び込み、身を隠した。石像魔ガーゴイルどもに視認さえされなければこれでも十分なはずだ。


 目抜き通りからは悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる。ここからでは襲われているのか、単にパニックを起こしてのものなのか判断がつかない。


 息を殺し、身をひそめる。




「アラシャ先輩は大丈夫でしょうか……」

「ッ!?」




 ふとつぶやいたアリエルの言葉に、僕ははっとする。


「そうだ、アラシャ……!」

「どこに行くつもりですか、ララミス先輩!」


 茂みから飛び出そうとした僕の腕をアリエルが素早く掴み、引き戻す。


「アラシャを探しにいく」

「ダメです。危険です!」

「それくらいわかってる。わかってるから行くんだ。僕は今度こそあいつを助けないといけないんだよ!」


 僕とともに落ちてくる鉄骨の下にいた灯子。僕は彼女に何もできなった。せめて灯子だけでもと、突き飛ばしていれば助かったかもしれない。或いは、今の僕――ララミス・フォン・ハウスホーファーのように魔術を使っていれば……。


 でも、僕は何もせず、鉄骨に押し潰されて死んだ。一緒にいた灯子もどうなったかわからない。


 僕にまた同じ愚を犯せというのか。


「今度こそって何ですか!? さっきからおかしいです。ララミス先輩らしくない。こういうときこそ落ち着いてください」

「く……」


 僕はまたも歯噛みする。


「いいですか」


 アリエルが僕の手を握った。


「ここにいるわたしたちより、アラシャ先輩のほうがよっぽど安全です。目抜き通りなら隠れる建物はいくらでもあるんですから」


 そうしてまるで子どもに言い聞かせるよう説く。


 確かにそうだ。頑丈な建物に逃げ込めと言ったのは、ほかならぬ僕だ。アラシャは今まさにそこにいるじゃないか。


「あ、ああ、そうだな。その通りだ」


 僕がうなずいたそのときだった。


「ダ、ダメだ! こっちにも、もう……!」


 大学生らしき青年が数人、悲愴な悲鳴を上げながら戻ってきた。しかも、よく見れば彼らは、先刻アリエルにからんでいた貴族の学生たちだった。……どうやらマーリャの判断通りだったようだ。もう悪魔どもが目抜き通りに舞い降りてきたらしい。


 僕は公園の出入り口に目をやった。が、彼らが石像魔ガーゴイルをつれて戻ってきた様子はない。ほっと胸を撫で下ろす。彼らもここで身を隠していれば、いずれ騎士団が駆けつけてきてくれうだろう。


 と、思った矢先だった。


 彼らの前に一体の石像魔ガーゴイルが立ちはだかった。上空を飛んでいた個体が獲物を見つけて降下してきたのだ。


「Kyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!!!!」


 金切り声のような咆哮を上げた。


 学生たちが脱兎の如く逃げ出す。だが、ひとりだけ尻もちをついてしまった。もうすでに恐怖が限界にきていたのだろう。再び立つことはできないようだ。


「く、くるな! くるなよぅ……」


 それでも泣き叫びながら、必死で距離をとろうとする。


 助けなければ!




 ――『使




 僕の中でもうひとり僕が言う。


 わかっているさ。バカな貴族のお坊っちゃまでも、目の前で悪魔に惨殺されては寝覚めが悪い。


 だが、次の瞬間、僕よりも早く飛び出す人影があった。


 アリエルだった。


 白い僧衣カソックをはためかせて走る見習いシスター。


 彼女は、今まさに襲いかかろうとしている石像魔ガーゴイルと貴族学生の間に体を滑り込ませると、右の拳を悪魔に突き出した。


 と同時、半透明の障壁が展開する。


 直後、振り下ろされた凶爪はその障壁によって弾き返された。


 よく見れば、アリエルの右の人差し指には指輪が嵌められていた。一見して何の変哲もない銀の指輪だが、どうやら身を守るための魔導具アーティファクトのようだ。


「???」


 石像魔ガーゴイルは、何が起きたのかわからなかったのか、やけに人間くさい動きで首を傾げる。


 だが、所詮は知能のない下級の悪魔。拳でその障壁を闇雲に叩きはじめた。


「だ、だめ。このままじゃ……!」


 その衝撃はアリエルにも伝わるのか、彼女は苦悶の表情を浮かべる。


 僕はチェーン付きの眼鏡を外した。


「『其の名は風――」


 僕は魔術発動のトリガーとなる言葉を紡ぐ。


 が、その直後、あろうことか石像魔ガーゴイルがもう一体、アリエルが作り出す障壁にぶつかってきた。別に仲間に協力するためというわけではないだろう。単に獲物を見つけ、突進してきたのだ。


「き、きゃーーー!!!」


 二体の石像魔ガーゴイルが強引に障壁を破ろうとして、アリエルが悲鳴を上げる。


(どうする!?)


 一瞬、僕は迷った。

 アリエルが耐えることを信じて、このまま石像魔ガーゴイルを倒すべく魔術を続けるか。それとも先にアリエルたちを守るべきか。


「よい。策があるなら続けよ」


 エカテリーナの声。

 なんと彼女は回転式拳銃リボルバーをかまえていた。


 タァン タァン


 立つ続けに二度の銃声。発射された弾丸は二体の石像魔ガーゴイルの肩口に一発ずつ着弾し、血の代わりに石の欠片をまき散らす。


「Guoooooooooooooooooooo!!!!!」


 石の体でも痛覚があるのか、石像魔ガーゴイルどもが苦しげに雄叫びを上げた。


「苦しかろう。聖別された銀の弾丸だ。我々人間には痛くも痒くもないがな」

「いえ、エカテリーナ様、人間でも普通に死にます」

「なんと、そうなのか?」


 バカな会話をしている。だが、納得した。それならば悪魔にも効果的だし、石の体の石像魔ガーゴイルにも苦痛を与えられる。


 悪魔どもが怯んだ。


(これならいける!)


 僕は改めて言葉を紡ぐ。


「『其の名は風――』」


 僕の眼前に魔方陣が描き出された。


「『我が敵を切り刻む鋭き刃なり』!」


 そして、それが完成した次の瞬間、そこから不可視の風が走り、二体の石像魔ガーゴイルをバラバラに寸断した。

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