6.休日の過ごし方(3)
「やめてください!」
そんな声が聞こえてきたのは、目抜き通りをさらに歩き、露店を見ていたときだ。
通りの先を見れば、白の
「何かしらね、あれ」
そう首を傾げるアラシャの横で、僕は目を凝らす。
僧衣を着たシスターはこちらに背を向けている。今のところその後ろ姿に心当たりがないが、背中に伸びる亜麻色の髪には見覚えがあった。
「行ってみましょ」
「いや、僕が行く。アラシャ先輩はここで待っててくれ」
僕はそちらに向かって歩を進める。
「え、ララ?」
「手に負えなくなったら呼ぶ」
振り返りながら言い、ついてこようとするアラシャを手で制した。「その場で待機」とゼスチャで伝える。そうしてから再び体を前に向けた。念のため、チェーン付きの眼鏡も外しておこうかと思い、指をかけたが――やめた。たぶんそこまでの事態にはらないだろう。穏便にすませよう。
「アリエル」
僕の声にシスターが振り返る。そこにあった顔は僕の予想通り、エーデルシュタイン学院における我が後輩、アリエル・アッシュフィールドのものだった。
「あ、ララミス先輩」
アリエルが、たたっとこちらに向かって駆けてくる。そうしてまるで隠れるかのように、僕の背後に回った。
「どうした?」
「あの人たち、しつこくて」
困り顔で答えるアリエル。
彼女の視線の先を見れば、アリエルにからんでいた男たちもゆっくりとこちらに歩いてくるところだった。
「おい、お前。その女をこっちに渡せ」
先頭を切って歩いてきた男が威圧的に要求してくる。
「彼女が何か?」
「ちょっと遊んでやろうと思って声をかけたんだよ」
「なるほど」
要はナンパか。
「で、アリエル。君の返事は?」
「だから、困りますって言ってるじゃないですか。わたしは教会に戻らないといけないんです」
アリエルが切羽詰まったように訴える。
「だそうだけど?」
「そっちの事情なんて聞いてないんだよ。平民は俺たち貴族の言うことに黙って従ってれいいんだよ」
これはまた見事に選民思想に染まった貴族サマだな。
と、そこでひとりが何かに気づいたように声を上げた。
「おい、今、確かララミスって言ったよね。ララミスって言ったら……」
「そ、そうだ。確かヴィエナ候の……」
続いて、もうひとりもはっと目を見開く。
だが、先頭の男だけは反応がちがった。
「あぁ、あのララミス・フォン・ハウスホーファーか」
僕のことをわかった上で、なおも鼻で笑う。
「知ってるぜ。才能が枯渇した『落ちた神童』だろ? 家も没落は必至だってもっぱらの噂だ。しかも、お前自身は平民の生まれなんだってな。……じゃあ、俺が言いたいこともわかるよな?」
最初はにやにやと笑いながら、そして、最後にはややドスの効いた声で言うと、男は僕の肩に手を置いた。
「もちろん、わかるさ」
僕は男の手首を無造作に掴み、ひねり上げた。そのまま素早く後ろ手に回す。それだけで男は動けなくなった。
「な、何を……」
「では、お前たちの理屈に則って話をしようか。……その1。才能が失われていっているのは事実だ。そこは僕も認めよう」
「お、おい、お前ら、何を見てるんだ。こいつを何とかしろよッ」
「おっと、動くなよ。動けば、折る」
僕は男を拘束する手に、少しだけ力を込めた。
「い、痛てててて……」
男の顔が苦悶に歪む。
「続きだ。……その2。もしかしたらこのままだといずれハウスホーファー家は没落するかもしれない。もちろん、そんなことさせるつもりはないが、少なくとも今はまだヴィエナの統治を任されている立場だ。息子の僕が言うのもなんだけど、父はなかなかの人格者で人望も厚い。まだしばらくは安泰だろうね。……その3。確かに僕は平民の出だが、侯爵家に養子として迎えられた身だ」
「く、くそ……」
男たちが歯噛みする。
「ここまで言えば、僕が何を言いたいかわかるな?」
弱いものは強いものに従え――言っていて反吐が出そうな理屈だ。
「なお、僕の後方で怖い顔をして睨んでいるのが、バルトール伯ベルゲングリューン家のご息女だ」
きっと腕を組んで、この状況を腹立たしく見守っているにちがいない。
「早くしないと彼女まで関わってくることになる。そうでなくともそろそろ人目を集めはじめているんだ。このままだとこのみっともない姿の目撃者が刻一刻と増えていくことになるな」
実際、周囲がたいぶざわついている。ことの成り行きを、足を止めて見るものも増えてきていた。
「わ、わかった……」
男がうめくように声を絞り出す。
腕を拘束されている痛みもあるのだろうが、自分よりも格が下だと思っているものに力で屈服される屈辱もあるにちがいない。これも自分たちが信じる
僕はたっぷり一分は待ってから、男を解放した。
よろけるようにして仲間のところに戻ると、痛む肩を押さえながら僕を睨む。だが、それだけだった。
「ちっ」
舌打ちひとつすると、男たちは踵を返して去っていく。
「サマーミロ、貴族のボンボンが」
「一昨日きやがれ」
その背中に罵声が浴びせかけられた。拍手喝采も上がっている。きっと普段から貴族の横暴な態度が腹に据えかねていた平民たちだろう。
「ありがとうございました、ララミス先輩」
白い僧衣姿のアリエルが深々と頭を下げる。
「大丈夫だったか?」
「ええ、おかげさまで」
微笑むアリエル。
と、そこに、
「ララミス・フォン・ハウスホーファー!」
鋭い声が僕にも叩きつけられた。
アラシャだ。振り返れば、アラシャが目を吊り上げてこちらにツカツカと歩いてくるところだった。
彼女が僕の名前をフルネームで呼ぶときは、たいてい怒っているときだ。
「ああ、アラシャ先輩にはお礼を言わないと。……ありがとう。僕に任せてくれたおかげで、穏便にことをすませることができたよ」
「その言い方だと、わたしが出てきたら穏便にすまないような言い方ね。それに貴方もたいがい穏便じゃないわ」
「でも、けが人も出ていない」
実にスマートにお引き取り願った。尤も、連中の出方次第じゃ穏便じゃなくなる可能性もあったが。
「まったく。どこから突っ込んでいいかわからないわね」
アラシャが呆れたようにため息を吐いた。
その横でアリエルが僕とアラシャの顔を交互に見る。
「もしかしてデートの最中ですか?」
「ち、ちがいますっ」
赤い顔をして答えるアラシャ。
彼女の怒りは、今度はアリエルに向けられた。
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