3.胸の痛み



 目の前にアラシャが座っている。


 僕は改めて彼女を見た。




 アラシャ・ベルゲングリューン。


 この王立エーデルシュタイン学院がある学術都市バルトールの領主、ベルゲングリューン伯爵のひとり娘。


 艶やかな長い髪に、妖精エルフの如き美貌は、男女問わず視線を惹きつけてやまない。しかも、学院においては魔術科の生徒会長を務めていて、その肩書きに相応しい実力をもった才媛とあっては誰もが放ってはおかない――はずなのだが、残念ながら彼女は、尊敬や信頼はされても、そこまでちやほやされていない。


 それは彼女の正義感に強すぎる性格にある。

 アラシャとしては正しく品行方正であろうとしているのだろうが、それがとっつきにくさにつながっているのだ。




「どうも食欲がないな。僕ももう行かせてもらっていいだろうか」

「お好きにどうぞ」


 アラシャは素っ気なく言う。


 イリヤの策略により僕とアラシャ、ふたりだけで取り残されたときは困り顔をしていた彼女だったが、すぐに気持ちを切り替えたのか、今は淡々と食事を口に運んでいる。


「……」


 僕も昼食を再開した。


「あら、食欲がなかったのではなくて?」

「そんなもの逃げる口実に決まってるだろう」


 アラシャが僕に突っかかりもせず普通に食事をしているのに、こちらがジタバタしてもバカみたいだ。僕も覚悟を決めることにした。それに食欲がないどころか十二分にある。中途半端にしては午後の講義がもたない。


 そうして特に会話もなく互いに黙々と食べ――しばらくしてからアラシャが口を開いた。


「前はこうして時々一緒に食べていたわね」

「そうだったね」


 彼女の言う通りだった。

 僕の父ハウスホーファー侯爵と、アラシャの父ベルゲングリューン伯爵は、もともと交流があった。バルトールが都市に昇格し、その領主にベルゲングリューン伯爵が任命された際には、父が祝いにもいったそうだ。


 とは言え、別に家族ぐるみのつき合いというわけではなかったので、僕とアラシャは面識がなかった。しかし、このエーデルシュタイン学院に入学して、同じ学内に父が懇意にしている貴族のご息女がいるとなれば挨拶をしないわけにはいかない。


 かくして僕はアラシャ・ベルゲングリューンと出会い、互いに養子であるという共通点もあったからか、けっこう気が合い、親しくしていた。


 それも僕に前世の記憶が甦りはじめるまでの話だが。


「その眼鏡も、前はかけていなかったわ」


 アラシャは視線で僕のチェーン付きの眼鏡を示す。


「少し視力が落ちてね」


 僕はそう誤魔化した。


「研究のしすぎじゃないの?」

「かもね」


 彼女が小さく笑いながら言い、僕も苦笑した。


 眼鏡は、この僕――ララミス・フォン・ハウスホーファーの魔術の素養が失われ出してから使いはじめたものだ。魔導具アーティファクトの職人に頼んで作ってもらった、精霊銀ミスリル製の特注品。精霊銀ミスリルには魔術を封入して、半永続的な効果を付与できるという性質がある。もちろん、この眼鏡にも魔術付与エンチャントがなされている。


「ぐっ……」


 不意に、胸が苦しくなった。小さくうめく。


(だから、いやだったんだ……)




 目の前のアラシャと灯子の姿が重なる。




 叢雲灯子。


 前世の僕と仲がよかった少女。


 何かにつけて一緒にいて、学校ではよく一緒に昼食を食べた(そう、今みたいに)。あのときも並んで歩いていて――そして、僕は彼女を助けられなかった……。




 やめろ。僕は降矢木由貴也じゃない。

 今の僕はララミス・フォン・ハウスホーファーだ。


 前世は関係ない。


(また夢に見るとか、勘弁してほしいんだけどな……)


 締めつけるような胸の痛みに、僕は自嘲じみた苦笑で顔を歪めた。


「どうかしたの?」


 アラシャが向かいから心配げに見つめてくる。


「いや、大丈夫。少し睡眠不足でね」

「それこそ研究のしすぎではなくて? どうせ貴方のことだから休日も寮の部屋か図書館にこもっているんじゃないの?」

「そういう傾向があることは否定しない」


 僕の休日の過ごし方も主に研究だが、そればかりではない。シェスターと一緒に街に繰り出すこともあれば、エカテリーナに半ば強引につれ出されることもある。


 僕の返事にアラシャはひとつうなずいた。




「どうやら貴方には気晴らしが必要のようね。次の休み、空けておきなさい。出かけるわ」




「うん?」


 何か怖ろしいことを言われた気がするな。

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