10.アリエル・アッシュフィールドと魔術釈義(3)

 ローゼマリー・デュカーが帰って、アリエル・アッシュフィールドが残った。今、この研究室には僕とアリエル、ふたりだけだ。


 アリエルはソファに座って、僕が淹れたミルク多めのコーヒーを飲もうとしていた。当然、僕のもある。


「ロゼ、喜んでましたね。ありがとうございました、ララミス先輩」

「僕は先輩として後輩にアドバイスをしただけだよ。後は彼女の努力次第だ」


 尤も、こんなこともできない人間はそもそもエーデルシュタイン学院に入ることはできない。ならば、いずれは越えられる壁だろう。僕はただ、それを少しだけ早めたにすぎない。


「それにしても先輩、魔術が使えたんですね」

「簡単なものはね。高度なものはもう使えない」


 僕はそれだけを言い、カップを口に運んだ。


「いったいどうしてそんなことになってるんですか?」

「さてね。目下、それを調べているところだ」


 人のことも大事だが、自分のことも同じくらい大事だ。このままではララミス・フォン・ハウスホーファーは魔術を使えなくなる。早く原因を突き止めないと。


「あ、このコーヒー、美味しいですね」


 机の上の資料に目をやっていると、そんなアリエルの声が聞こえ、僕ははっと我に返った。


「だろ? そんなに安物でもないはずなんだけど、エカテリーナは文句を言うんだ」


 いや、文句を言っていたのはマーリャだったか。


「エカテリーナ様ですか。あの方は舌が肥えていらっしゃるのでしょうね」

「何せ公女様だからね」


 と、そこで僕はあることを思い出した。


「そうだ、アリエル。ひとつ面白い噂を聞いたんだが」

「何ですか?」


 コーヒーカップを両手で包み込んだまま、アリエルがこちらを向いた。


「今年入学した生徒の中に、リ・ブリタニアの王室の人間がいるっていうんだ」


 曰く、彼、もしくは、彼女は、その身分を隠して平民出身の生徒のように振る舞っているのだという。


 だとすれば、やり方はちがえどツバロフ帝国と同じく、王族に相応しい教養を身につけるための留学なのだろう。ツバロフは堂々と従者をつけて。リ・ブリタニアは身分を隠して。


「ええ、知ってます」


 と、アリエル。


 当然、彼女の耳にも入っているか。きっと直接聞きにきた生徒もいたのだろう。


「で、真偽のほどは」

「本当ですよ」


 アリエルがあまりにも自然に言うもので、僕も一瞬「ふうん」と納得しかけた。

 僕は思わずコーヒーを飲む手を止め、アリエルを見る。彼女はにこにこと笑うばかりだった。


 なるほど。全員かどうかは定かではないが、リ・ブリタニア王国出身の生徒には知らされているようだ。


「まさかとは思うが、誰かは――」

「知ってますよ」

「……」


 もう言葉もなかった。


 だが、考えてみれば当然か。相手は王室の人間だ。何かあれば守らなくてはいけないし、誰かわからなければ守りようがない。


 僕はもう一度アリエルを見た。


「もちろん、誰かまでは言えません」


 先回りして言われてしまった。


「ララミス先輩だから、ここまで言ったんですよ。ほかの人には内緒ですからね」


 アリエル・アッシュフィールドはそう言って、いたずらっぽく笑うのだった。

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