9.アリエル・アッシュフィールドと魔術釈義(2)

 この世界にはエーテルと呼ばれる元素がある。


 エーテルは魔力によってのみ反応する元素で、様々な超常の現象を引き起こす。限定的、局所的に自然法則を書き換えたり、無から有を生み出したり。それが魔術と呼ばれるものの正体だ。


 では、それはどういう工程を経るか。


 まずは望む効果を引き出すための構文を正しく組み上げ、それをエーテルに記述する。そうすることで現象は発生するのだ。


 構文の構築とエーテルへの記述は、どちらも才能と素質を要する。


 構文の構築は、刻一刻と変化するセカイを把握した上で、状況に合わせて組み上げなくてはいけない。例えば、極々簡単に『火を生み出す』という魔術ひとつとってみても、周囲に吹く風の強弱で構文は変わってくる。当然、考えるべき要素はこれだけではない。いくらでもある。それらを把握し、或いは、次の変化を読んだ上で構文を組み立てるのだ。高い才能が求められる。


 そして、エーテルへの記述。こちらはさらに素質の世界だ。


 先の構文をエーテルに記述する力を魔力と呼び、強い魔力をもつものは複雑な構文を記述、即ち強大な魔術を使えるし、弱い魔力しかもたないものは簡単な魔術しか行使できない。魔力が皆無ならエーテルに構文は記述できない――つまり魔術は使えないということになる。


 魔術を使うものには構文を素早く正しく組み上げる才能と、エーテルに記述する高い素養が求められるのである。




「ずっと漠然としか理解していませんでしたが、今のでよくわかりました」


 僕が噛み砕いて説明すると、ローゼマリーは納得した様子でうなずいた。


 その横では僕の机を片づけ終えたアリエルが、「へぇ、魔術ってそういうものなんですね」と感心している。彼女は神学科の生徒だが、魔術にも興味があったようだ。


「さて、だ――」


 僕は尻を机から離すと、サイドボードに歩を進めた。アリエルたちもこちらの動きを目で追う。僕はコーヒーサイフォンを手に取ると、それを彼女たちの前にあるローテーブルの上に置いた。


 続けて、チェーン付きの眼鏡を外し、それも置く。


「『火よ』」


 そして、そう言葉を口にすると、フラスコの下のアルコールランプに火がついた。


「「わ……」」


 ふたりの下級生が短く感嘆の声を上げる。


「で、でも、先輩、確か魔術が使えないって話じゃ……」

「こんなのは初歩の初歩だからね」


 誤魔化すように答えつつ、僕は指を鳴らした。途端、火が消える。


「やってみて」

「え? あ、はい……」


 僕が掌でサイフォンを示すと、ローゼマリーは緊張気味にうなずいた。


「い、いきます。……『火よ』」


 彼女が言葉を紡ぐと、半瞬遅れてランプに火がつく。


「なるほど」


 僕はそれを見て納得した。

 確かに火はついた。だが、勢いが強すぎる。これではコーヒーを抽出するどころか、肉でも焼きそうな勢いだ。


 僕は再び指を鳴らして、ローゼマリーが生み出した火を消した。


「つまり加減がうまくできない?」

「はい……」


 彼女は神妙にうなずく。


「なら簡単だ。詠唱を長くすればいい」

「で、でも、これくらいは高速魔術シングルシークェンスだって先生が……」


 ローゼマリーは切羽詰まったように訴えてくる。




 この世界の魔術に決まった詠唱はない。魔術発動時の発音は、エーテルへの構文記述の単なるトリガーでしかないからだ。


 単純な魔術は構文も単純になり、短い発音で発動させられる。特にひとつの単語で発動するようなものは高速魔術シングルシークェンスと呼ばれる。逆に複雑な魔術は長い詠唱が必要となる。これは詠唱による一種の瞑想状態や自己暗示と言えるかもしれない。


 才能があるものや高い集中力をもつもの、頭の切り替えが早いものは、この詠唱が短くてすむ。そうでないものは装飾過多な詠唱になりがちだ。




「確かにこれくらいは高速魔術シングルシークェンスでやれないといけないだろうね。でも、ローゼマリー、君はできていない」

「そ、それは……」


 ローゼマリーは項垂れる。


 狙ったところに火がついている以上、構文は間違っていないのだろう。後は加減の問題だ。先の例でいくと、『火をつける』にしても様々なものがある。同じ火でも蝋燭と暖炉では全く別ものだ。


 ならば、トリガーとなるところにその要素を盛り込んでやればいい。そうすれば狙いが定まる。


「試しにやってみて」

「わかりました。……『火よ、灯れ』」


 ローゼマリーがそう発音すると、半瞬の後、アルコールランプに火がついた。


「あ、ちょうどいい感じ」


 感嘆を口にしたのはアリエルだ。


「ほら、できた」

「でも……」


 と、視線を落とすローゼマリー。


 やはりどうしても腑に落ちないようだ。これくらいは高速魔術シングルシークェンスでやらなくてはいけなくて、それができない自分が落ちこぼれのような気がしているのかもしれない。


「僕も最初はそうだったよ」

「え、そうなんですか?」


 ローゼマリーが顔を上げる。


「まぁね。神童だ何だともてはやされていた僕も、最初はそういうところからはじまった」


 尤も、それは六歳のときだったのだが、そこは伏せておくことにする。


「実際のところ、そうやって成功を重ねていけばイメージが固まってくるから、だんだんと短い詠唱ですむようになってくる。そうだな……ローゼマリー、君なら二週間もあれば高速魔術シングルシークェンスでできるようになるよ」

「ほ、本当ですか!?」

「君が真面目にがんばればね」


 その点は彼女の様子を見れば心配はなさそうだ。


「ありがとうございます、ララミス様。わたし、がんばります!」


 そう言ってローゼマリーは深々とお辞儀をした。

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