8.アリエル・アッシュフィールドと魔術釈義(1)

 それはある日の放課後、僕が研究室で執務机に向かっているときだった。


 不意にドアがノックされる音。


「どうぞ。開いてるよ」


 僕が返事をするとドアが開いて、少女の顔がひょっこり現れた。


「せーんぱい」


 そして、かわいらしい声。


「アリエルか。どうした?」

「おヒマですか?」

「あいにくと僕にヒマなんてものはないよ」


 何せ研究や調べないといけないことが山ほどある。


「でも、後輩の話を聞く時間もないほど忙しくもないね。……どうぞ」


 そう返すと、彼女は嬉しそうに笑って中に這入ってきた。




 亜麻色の髪をした愛らしい少女だ。でも、ただ愛らしいだけではない。その中に凛としたものが伺える。


 名を、アリエル・アッシュフィールドという。


 今年エーデルシュタイン学院に入学したばかりの新入生で、所属は神学科だ。


 西の島国、リ・ブリタニア王国の平民の子で、教会の推薦を得て留学してきたと聞いている。休日はシスター見習いとして教会で奉仕活動をしているのだとか。




 アリエルに続いて、もうひとり少女が這入ってきた。初めて見る顔だ。


「そちらは?」

「わたしの友達です。先輩と同じ、魔術科の」

「ふうん」


 入学して半年とたっていないのにもう他学科の、しかも、異国人の友達を作ったあたり、人懐っこい彼女らしくて頬が緩む。


「初めまして、ララミス様。ローゼマリー・デュカーと申します。父はリンツの伯爵で――」

「いいよ。そういうのは」


 名乗る彼女の言葉を、僕は苦笑しながら遮った。

 何せそれはたどたどしくも正式な場での名乗り方だったからだ。僕をヴィエナ候フォン・ハウスホーファー家のひとり息子として見ているのだ。


「ここは学校で、僕も君も同じ一介の生徒でしかない。そういうのはしかるべき場所で、心の中で面倒くさいと思いながらやればいいさ。……まぁ、座って」


 僕がソファを手で示して勧めると、ふたりは並んで腰を下ろした。それを待ってから僕は切り出す。


「察するに、僕を魔術科の先輩と見込んでの相談かな?」

「さすがララミス先輩。鋭いです」


 話が早いとばかりに、ぱっと顔を明るくするアリエル。


 と、そのとき、ローゼマリーと名乗った少女が、アリエルの肘に触れた。顔を寄せ、心配げに囁く。


「でも、あの噂……」


 残念ながら、こちらまでしっかり聞こえていた。が、まぁ、今さら気にするようなことでもない。


「うん。なんか魔術はダメな人みたいだけど、きっと大丈夫」


 こっちは気遣いの欠片もなかった。


 魔術の素養を失くすという前代未聞の事態を、『魔術はダメな人』のひと言で片づけるところがアリエルの性格を如実に表している気がする。


「まぁ、話を聞くくらいはできるよ」


 僕は椅子から立ち上がると、執務机の前に回った。机の上に軽く尻を載せ、体重を預ける。と、腰に何かが当たった。積んでいた資料だ。図書館で借りてきた本が、ドサドサと雪崩を起こす。


「おっと」

「もう、先輩。机の上、散らかりすぎです」


 笑っているような、怒っているような――総じて呆れたような声で言い、アリエルがソファを立った


「普段はちゃんとしてるよ。今ちょうど調べものをしていたんだ」


 そう言い訳をする僕を横目に、彼女が机の上を片づけはじめた。ほうっておけばいいのに。世話焼きな性格だ。


「じゃあ、話だけでも……」


 言ったのはローゼマリーだ。少し笑っている。今の僕とアリエルのやり取りが、彼女の口を軽くさせたのかもしれない。


「実はわたし、魔術がうまく使えないんです」


 ローゼマリーはそう告白した。


 実に単純で、本人にしたら深刻な悩みだ。そして、なるほど、魔術が使えなくなった僕にするには不向きな相談だ。


「まったく使えない?」

「いえ、そういうわけでは……」


 だろうな。そこまで才能皆無の人間は、このエーデルシュタイン学園には入れない。

「少しおさらいをしよう」


 僕はそう切り出して、解説をはじめた。

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