5.アラシャ・ベルゲングリューンと夢の少女(2)

 名を、アラシャ・ベルゲングリューンという。


 このエーデルシュタイン学院においては魔術科の生徒会長を務めている最上級生だ。僕が二年生なので、ひとつ上の先輩になる。




「ララミス・フォン・ハウスホーファー、これはいったい何の騒ぎですか」

「僕に聞くかよ……」


 問い質されるべきはヘルムートのほうだろうに。彼女もまた、ヘルムートとは別の意味で僕によく突っかかってくるのだ。


「説明を」

「単なる喧嘩だよ。僕と彼の仲がよくないことは知っているだろう?」


 彼女に鋭い口調で促され、僕は眼鏡をかけ直しながら答える。


「魔術を使って?」

「そこは大事に至らなかったので勘弁していただきたいね。挑発に挑発で返した僕も悪いが」


 さらにそう続けると、アラシャはじっと僕の顔を見た。

 そうしてからため息をひとつ。


「わかりました。あなたがそう言うなら、見なかったことにします」

「助かるよ」


 きっとヘルムートも内心ほっとしていることだろう。何せ人に魔術を向けることは禁止されているので、最悪、退学もあり得る。放校処分となっては、彼も家に帰るに帰れまい。


 尤も、そこには僕にまでお咎めがあるかもしれないから、という打算もある。


 アラシャは、今度はヘルムートに向き直った。


「はいはい。すいませんでした。反省してまーす」


 彼はアラシャに睨まれるが、それもどこ吹く風で、悪態をつきながら心のこもっていない謝罪を口にした。


「ハッ。わざわざこんなところで勉強して、がんばってますってアピールかよ。自分の研究室があるんだろ。だったら、そっちにこもってろよ」


 これは僕へだ。

 そんなつもりはないんだがな。ここを利用しているのは、単に大量の資料を漁るのに都合がいいからというだけで。


「ああ、その研究室なんだが――」


 また別の声がした。

 声の主は男子生徒。それも怜悧な雰囲気の、見事な美少年――シェスター・フォン・ケーニヒスベルクだ。


「シェスター、何かあったのか?」

「忍び込もうとしていたやつらがいたよ」


 そう言ったところで、彼は意味ありげにちらとヘルムートを見た。


 なるほど。そういうことか。どうりで今日は取り巻きが少ないわけだ。彼の言う通り研究室に戻ってみたら部屋が荒らされていて僕は途方に暮れる、といったところか。


「で、そいつらは?」

「残念ながら逃げられた」


 シェスターは肩をすくめた。こんな気障な仕草も、彼なら嫌味なく似合う。


「ヘルムート・アッカーマン」


 同じく彼の言わんとするところを察したアラシャが、再びヘルムートに顔を向けた。


「何かご存知かしら?」

「知るわけないだろ。……おい、行くぞ。こんなところにいても時間の無駄だ」


 ヘルムートは取り巻きを引き連れ、逃げるように去っていく。


 そして、アラシャの横をすり抜けるときだった。


「成り上がり貴族が」


 吐き捨てるようにそう言った。


 僕とアラシャ、シェスターは、ヘルムートの後ろ姿を黙って見送る。


「なに、あれ?」


 程なくして、アラシャが口を開いた。


 まぁ、ヘルムートの気持ちもわからなくはない。もちろん、理解や共感できるという意味ではなく、トレースできるという意味でだ。



 

 このファーンハイト王国はいくつかの州にわかれていて、その各州を中央から任命された貴族が統治している。ただし、首都であるヴィエナや、リンツ、アルトシュタットといった大都市はそこから切り離されて、州と同等の独立した領地となっている。


 ヘルムートのアッカーマン家もまた、ここバルトールを含むファイアールマルク州の統治を任された貴族だ。


 だが、十数年前に学術都市構想が持ち上がったところから状況が変わった。


 地方の一都市だったバルトールにエーデルシュタイン学院が開校され、その名が世界に知れ渡るにつれて街はじょじょに活性化していった。そして、税収と人口が一定数を超えたことで大都市として扱われることとなったのだ。


 結果、バルトールはファイアールマルク州から切り離され――そこの領主として任命されたのがアラシャの父親、ベルゲングリューン伯爵だった。


 一方、面白くないのはアッカーマン辺境伯である。本来ならば伯爵家であるベルゲングリューン家よりも格は上。にも拘らず、ベルゲングリューン伯爵が大都市の統治を任されたことで、実質的な力関係が逆転したのだ。


 ヘルムート曰く、『成り上がり貴族』である。



 

 僕のほうは言わずもがな。平民の生まれの僕が貴族を差し置いて特待生など、彼には到底容認できないことなのだ。しかも、有無を言わせぬ実力があるのならまだしも、今や凡才となりつつあるとあってはよけいに腹が立つにちがいない。


 では、生粋の貴族であるシェスターになら敬意を払えるかと言えば、きっと彼の性格では難しいだろう。格上の貴族も、やはり彼にとっては敵なのだ。


 つくづく生きづらい性格をしている。



 

「ララミス・フォン・ハウスホーファー」


 我らが魔術科の生徒会長にしてバルトール伯ベルゲングリューン家のご息女、アラシャ・ベルゲングリューンが僕の前に立つ。

「挑発されたからといって挑発し返すとは何ごとですか」


 どうやら怒っていらっしゃるようだ。


「では、僕に言われるがまま黙って耐えていろと?」

「そうは言っていません」


 間髪入れず、ぴしゃりと言われた。


「あなたならどうとでもやりようはあったでしょうと言っているのです」


 ほかにやりようがあったかは兎も角として、挑発するのが愚策だったことは確かだ。そこは反省しよう。


「でも、あいにくとそこまで人間ができていないものでね。知っての通り、僕は平民の生まれでもある」

「わたしもです」


 アラシャは、それがどうしたとばかりに、堂々と言い切る。


 あぁ、そうだった。彼女もまた、僕と同じく貴族の家に養子として迎えられた身なのだった。この国ではほかに見ない響きの名前も、僕とよく似ている。やはりどこか地方の生まれだろうか。


「貴族のほうが平民より優秀で人間ができているですって? そんなわけあるものですか。そんなことは彼を見ていればよくわかるわ」


 アラシャは貴族にありがちな選民思想を鼻で笑う。


 そして、もちろん彼女の言う『彼』とは、名前こそ出さなかったが、つい先ほどこの図書館を出ていった貴族サマのことを言っているのだ。辛辣である。


「兎に角、学業や魔術の力と、人間の価値は関係ありません。ましてや家柄や血など、なおさらだわ」

「ヘルムートにも見習ってほしい考えだ」

「だいたいあなたは――」


 どうやらまだ続くようだ。しかも、その矛先はまた僕に向きつつある。うんざりしかけたところに、シェスターが助け舟を出してきた。


「ララミス、いちおう研究室を見ておいたほうがいいんじゃないか?」

「あぁ、そうだね。そうしよう」


 もちろん、僕はそれに飛び乗った。手早くペンやノート、資料をまとめる。そして、資料はアラシャに押しつけた。


「悪いね、アラシャ先輩。それ、書架に返しといて」

「え? あ、待ちなさい、ララミス・フォン・ハウスホーファー。話はまだ終わってないわ」


 残念ながら、こっちは話を終わらせたくて仕方がないのだ。


 僕は生徒会長殿を残して図書館を出た。

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