4.アラシャ・ベルゲングリューンと夢の少女(1)

 夢を見た。

 例の如く、ここではない世界の僕――前世の僕の夢。



 

 あいつと一緒の、学校帰り。


 不意に耳に飛び込んできた危険を告げる叫び声。


 見上げれば落ちてくる鉄骨が目に映り――そして、『オレ』は何もできずに死んだ。



 

「くそっ」


 翌朝、学生寮の自室で目が覚めた僕は、やるせなさとやり場のない怒りで、汚い言葉を吐き出した。


「よりによって僕が死んだときの場面かよ……」


 もっとほかにあるだろうに。

 まぁ、何となくそんな予感はあったけど。


 僕はベッドの横のサイドテーブルに手を伸ばすと、そこに置いてあったチェーン付きの眼鏡を手に取った。それをかけ、時計を見てみる。特に早くも遅くもなく、いつも通りの時間だった。


 ならば、僕もいつも通りに行動するまでだ。

 僕は頭を切り替えると、手早く着替えて寮の食堂に下り、朝食をとってから学院へと登校した。



 

          §§§



 

 午前の一般教養、午後の専門科目の講義を終え――放課後。

 僕は学院の図書館へと足を運んだ。


 魔術の素養の喪失についての調査や研究を進めるためにも図書館は非常に便利で――結果、エーデルシュタイン学院に入学して二年目、図書館は僕の放課後の居場所のひとつとなっていた。



 

 エーデルシュタイン学院の図書館は充実している。


 当然と言えば当然だろう。世界最高水準の教育を謳い、それを求めて国外からも留学生が集まってくるのだ。図書館が貧弱ではお話にならない。


 だから、この学院が創設されるにあたって国内外から学術書をかき集め、蔵書の質と量、建物の外観、すべてにおいて立派な図書館を用意したのだ。学術書や学会誌に関しては、首都の中央図書館よりも充実しているくらいである。



 

 僕はどこに行っても好奇の目に晒される。まぁ、王国の片田舎から首都ヴィエナの統治の一角を担う大貴族、ハウスホーファー侯爵の養子に迎えられ、特待生としてこのエーデルシュタイン学院に入学しておきながら、今や凡才になり果てつつあるのだからむりからぬことだろう。


 だが、図書館は比較的ましなほうだ。僕を含め利用者がある程度固定されているので、見るほうも見られるほうも目新しさがない。僕がいつも同じ席で学術書を広げているのは、もうすでにお馴染みの景色と化している。


 とは言え、たまに五月蠅いのもやってくる。……今日みたいに。


「おっと、図書館にきてみたら、そこにいるのは我がエーデルシュタイン学院が誇る神童サマじゃないか」


 顔を見ずとも声だけでわかる。ヘルムート・アッカーマンだ。定期的に僕にからみにくるのだ。しかし、廊下や昼休みの食堂なら兎も角、放課後にわざわざこんなところまでくるとは珍しい。機嫌がいいか悪いかのどちらかだろう。


「いや、『落ちた神童』サマか」


 いったい何が可笑しいのか、そう言ってヘルムートは大笑いする。どうやら機嫌がいいらしい。ならば、いつもは適当にあしらっているところだが、少しばかり相手をしてやらなくてはな。今日の僕は機嫌が悪い。


 僕はチェーン付きの眼鏡を外し、顔を上げた。


 そこにはいかにも貴族のおぼっちゃま然とした容姿のヘルムートと、その取り巻きがふたり。いつもはおともを三、四人つれているのに、今日はひかえめだ。場所柄、大勢つれてくるのは遠慮したのだろうか。


「で、その『落ちた神童』サマのララミスが、こんなところで何をやってるんだ?」

「普段図書館に足を運ばない君は知らないだろうが、僕はよくここで勉強しているのさ」

「なるほど。もと天才とは言え、凡才にまで落ちてしまったから大変だな」


 僕の答えにおおいに満足したように、再びヘルムートは笑った。


 どうやら皮肉を言ったのに伝わらなかったようだ。大丈夫か、こいつ。おとものひとりは気がついたようで、ひやひやした顔でヘルムートの様子を窺っている。


「ああ、おかげさまで学業では君よりいい成績を維持できているよ」

「あ?」


 瞬間、ぴしり、と彼の顔が凍りついた。


「知らなかったか? 単純に座学の成績なら君より僕のほうが上だよ」


 力を失いつつあっても、習得した知識は失わない。当たり前の話だ。


「ハッ、平民の出のくせに」

「その通り。なら、その平民に劣る貴族サマはたかがしれているということになるな」


 貴族が優れているというのは、この世界の貴族にはよくある選民思想だ。もちろん、実際はそんなことはない。


 僕がそう指摘すると、ヘルムートはみるみるうちに顔を赤くしていった。


 この程度で激高してどうする。人をバカにするときは冷静にやるべきだ。そう、僕のように。


「お前えっ!」


 ヘルムートは叫ぶと同時、掌をこちらに向けてきた。

 手が淡い光を帯びている。魔方陣もうっすらと描かれつつあった。魔術を使うつもりなのだ。


 僕は落ち着いて、自分の手で彼の手を払い上げた。


 パンッ


 次の瞬間、小さな破裂音とともにヘルムートの手の光が消滅した。魔方陣もかき消える。もちろん、僕が相殺したのだ。図書館を荒らされてはかなわない。


「は……?」


 ヘルムートは間の抜けた声を上げて、手を跳ね上げられたままの構造で己の掌を見つめた。


「ヘルムート、たまたま生まれた貴族の家でおそわらなかったか? なら、オレ……僕がおしえてやろう。――図書館ではお静かに、だ」」

「ララミス、お前、魔術が使えないんじゃ……!?」


 ヘルムートは、僕の嫌味も耳に入らないほど、呆然としながら聞いてくる。


「少しずつ力が衰えているのであって、使えないわけじゃないさ」

「それで魔術の相殺とか、どういうことだよ!?」


 ヘルムートが驚くのも当然で、魔術の相殺は高等技術だ。相手の魔術を見極め、反対属性で、且つ、ほぼ等量の力をぶつけなくてはいけない。才能あるものが集まるこのエーデルシュタイン学院でも、卒業までにできるようになる生徒はまずいないだろう。


「腐ってもかつては神童と呼ばれた身だ。それだけもとがケタ外れということだろうさ」


 仮に力が十分の一に落ちたとしても、もとが千ならそれでも百。簡単なことだ。


(まぁ、尤も、この力の由来はそこではないんだけど)


 僕は心の中だけで自嘲気味に苦笑する。


「化け物かよ……」


 信じられないとばかりに、ヘルムートはつぶやく。


 そう言えば、まともに相手をするのは初めてだったな。自分がちょくちょくバカにしてちょっかいを出していた相手が、こんな化け物だとは思いもしなかったことだろう。


「ありがとう。僕が生まれた小さな町では、そう言う大人もいたよ。……信じられないなら試してみるか?」



 

「試されては困ります」



 

 と、そこに凛とした声が割って入ってきた。


 現れたのは、妖精エルフの如く美しい少女だった。

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