優しい獣

朝凪 凜

第1話

 男が歩いていると、少女が道端に倒れていた。

 その少女はまだ12,3歳というところだろうか。

 気を失っている上、脚に怪我をしていたので、放置するには良心が痛んだのか帰って手当をすることにした。

 男がかなり大きいため、少女を抱えるとまるで赤ん坊のように見える。


 森の奥まで来たところで、少女を切り株の根元に布を敷いて寝かせる。

 そして傷口を消毒し、脚に薬を塗り包帯で巻く。手当をしたらそのまま寝かせる。虫や菌が集まらないよう注意をしながら。


 やがて少女が目を覚ますと、そこは森の中だった。

「森……?」

 少女が最初に気づいたのは木々の擦れる葉音と、深緑の匂いだった。

「痛っ!」

 足下を見ると足首から膝上まで丁寧に包帯が巻かれていた。

「そういえば、怪我をして……」

 ようやく直前までの記憶を掘り起こしつつも、おかしなことに気づいた。

「道路で何かにぶつかって、足が熱くてそのまま……。なのに今は森の中。それももうそんなに痛くない」

 年端もいかない割には冷静に現状を分析をする。

「でもこれじゃあ、帰れないわ。誰かいませんか! お礼がしたいのです!」

 精一杯の声を上げるが、応えるものはいない。

「…………そこのあなた。こちらに来ていただけますか?」

「!?」

 離れた小屋から見ていた男は驚きを通り越して警戒した。少女からは見えない場所だ。そして気配も殺している。なぜそれで気づかれたのか。何かあると踏んだ男は声だけで応答した。

「それは出来ない。なぜ私がここにいると気づいた?」

「なぜ……そうですね。ここが風下だったので、匂いで方向くらいなら分かりました」

「匂い……」

 警戒しつつ、小屋の隙間から少女を確認する。

 少女は目を閉じたまま、顔を上げて耳を澄ましている。

「はい、優しそうな匂いです」

 男は暫く考え、どう対処するかを導けないままでいた。

「私は自分で優しいとは思わないが、それより、足の怪我はだいぶ良くなったんじゃないか。一人で帰れるだろう」

 ここを知られるのはまずいが、おめおめと姿を現すわけにはいかない。

「いいえ。それは無理です。私は舗装された道路でないと歩けないのです」

 何を馬鹿なと男は思い、少女の動きに気づいた。

 少女が立ち上がったものの、片手を木の幹に添えながらまさに手探り状態で歩き出し、そしてむき出しになった根っこに足を引っかけて転ぶ。

「目が見えないのか?」

 確かにその光景を目の当たりにすればなぜ帰れないのか想像するよりも容易い。

 かといってここで出て行くわけにもいかない理由が男にはある。

「私が倒れていたところまで一緒に来てくれることは出来ませんか?」

「出来ない」

「どうしてでしょうか?」

「私を見ると皆怯え、逃げてしまう。それをあなたと一緒にいることであなたにも危害が加わるかもしれない。そんなことは出来ない」

「やはり優しい人ですね」

「そんなことはない。優しくもない。……そして人でも無い」

 最後のそれは、誰にも届かなかった。

 その男は人では無い。その男を目にしたら必ずこう言うだろう。

『化け物』

 そう。この世のどの生き物にも似ていない。全身を長毛で覆い、オオカミが人の姿になろうとしたらこのようになろうかという生き物。

 彼は何百年、何千年と生きている。人の姿になる前は狼の姿だった。それは古の幻獣と呼ばれていたフェンリルだった。

「私は人でなしの大男だ」

「困りました。それでは、私はここで一生を過ごさなければなりません。なにせ帰れないのですから」

 明らかな挑発ではあるが、しかしここままでは本当にそうしかねない、そういう芯の強さが表れている。男が折れるしかなかった。

「……分かった。じゃあ帰そう。その代わりここには二度と来ないでくれよ。ここは私の安息の地なのだから」

「はい。わかりました。それでは私はまた寝ていますので、よろしくお願いします」

 そう言って、少女は腰を下ろして横になり、そのまま眠ろうとする。

「……全く」

 嘆息しながら男はようやく小屋から少女のところにゆっくり歩み寄る。

「もう寝るとはな」

 寝息が聞こえ、本当に寝ているようだった。

 そしてそのまま来たときと同じように抱えて、森の入り口まで人目を忍んで歩き出した。



 少女が目が覚めると、そこは舗装された路面だった。

 立ち上がり、周囲の雰囲気を感じていると

「お嬢様。散歩のお戻りが遅くて心配しました。お怪我はございませんか。その包帯はいかがしましたか。すぐに屋敷へ戻ります。そのままでいてくださいませ」

 様子を見に来た執事が包帯を見るやいなやすぐに車に乗せて屋敷に戻る。

「何でも無いわ。その包帯も別になんでもない」

 車内で包帯を取ると、傷一つ無かった。執事が大いに安堵して

「あまり、遠くまで一人で散歩するのはおやめください」

「分かりました」

 ニコニコとした微笑みでまた、あの森へ行こうと決めた。

 その森は少女の小さな秘密の場所となったのだった。

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