終末

水景 龍爛

第1話

「ねぇ、あと30分で地球滅亡するって」


カラリと持っていたグラスを傾ける。

昼間からキンキンに冷えた酒を呑むのは、贅沢感と背徳感が相まって、より一層美味く感じる。


「へぇ、もうそんなになるのか。滅亡が宣言されてから今日まで早かったな」


「そうだね、世間はいつにも増して慌しかったけど」


地球が滅亡すると言われたのは、ほんの3日前の事だ。全人類が与えられた命の残り時間は、3日。72時間。4320分。その残された時間を短いと捉えるか、長いと捉えるかはそれぞれだ。

混乱する街では暴動が起こったり、泣き喚く人が居たり、只管ひたすら神に懇願する人でさえ居る。そんなウザったい喧騒から逃れる為、私は現在親友の家に居座って、昼間の酒を嗜んでいる。


く言う俺たちはいつもと大して変わらかったな」


「まぁ、所詮滅亡するだけだしね」


「随分軽いな、死ぬんだぞ?」


「誰だっていつかは死ぬわ。みんな仲良く、母なる大地と共に尽きる、それだけの事よ」


「何だそれ、捻くれてんな〜」


酔っ払いの戯言たわごとじゃ、と手を払いながら適当にあしらう。氷だけになったグラスを置き、座っていたソファーにごろんと横になる。ワンルームのアパートには少し大きいんじゃないか?と感じるそれは、顔をうずめると彼の匂いがした。

一方で家の主は片耳だけイヤフォンを着けて、ベッドで寝転がっている。多分、昔から好きなアーティストの曲を聴いているのだろう。煌めくような明るい歌詞に、前を向かせてくれるような輝くリズム。そんな曲が彼は好きだ。こだわり抜いて選んだイヤフォンを、惜しむように使うその姿には、どこか悲愴感すら感じさせる。


「…とか言ってたら多分あと30分もないよ」


「なんだかんだ気にしてるんだな、素直じゃねぇやつ〜」


「まぁ、死んじゃうんだしね。自分の人生の最期くらいは気にするわよ」


そうか、と相槌を打ち、彼は立ち上がりこちら側へと来た。ぽんぽんと頭を優しく叩かれて、起きるよう催促してくる。うぅ〜、と唸り上目で見ながらそれを拒んでいたが、仕方なく体を起こし、彼の座るスペースを作ってやる。まだダラけていたい私は、隣に座った彼の肩に頭を乗せ、体重を預ける。彼の細い体は骨が思った以上に出ていて、勢いよく乗せた頭が少々痛かった。

ん、と着けてない方のイヤフォンを差し出され、こちらも、ん、と言って受け取り装着する。こいつ、よく私が聴きたいって分かったな。付き合いが長いっていうのは恐ろしいなとつくづく思う。

どうやら先程の私の考察は外れていたようだ。何年か前にリリースされた、大々的なヒットこそはしてないものの、ファンからの人気が高く好評価を得ている曲だった。


「ねぇ、この曲まだ聴いてたの?」


「結構お気に入りなんだよな、この曲」


「それずっと前から言ってるよね」


しっとりと落ち着いた曲調から一転、サビは開けるような明るさを感じさせる。この曲は、学生時代に私が彼に教えた曲だった。隣の体温を感じながら音楽に浸り、過去を回想する。彼に出会った頃、たった数年前の事だというのに、遠い昔の事のように感じるのは何故だろう。曲が終わったと思ったら、また同じものが再生される。まさかこいつ、さっきからずっとこればかりを聴いているのか…?


「何故か怖くないんだよね、死ぬの」


イントロが流れ始め、彼がうつろを見つめながら呟く。それは昔から言ってるでしょ、とツッコミを入れると、そうだな、と同意されながら頭をわしゃわしゃと撫でられた。少し痛い。力の加減というものを知らないのか、こいつ。無性に心地よさを感じるそれに、愛おしさが溢れてくる。


「まぁ私もそんなに怖くはないから。みんな一緒に死ぬからかな?」


「あ〜、あれか。赤信号みんなで渡れば怖くない、ってやつか?」


「まぁ、そういう事ね」


「毎年よく言われてる、何日に地球が滅亡します〜とか。そんな感じのじゃないのか」


「けど、今回はマジだって。ほら、あそこ。隕石だか何だか知らないけれど見えるじゃない、あれ」


「今見てる分にはただの飛行物体なのにな〜。あんな奴に殺されんのか、俺たちは」


「良いじゃないの別に。終わりがはっきりと見えているだけで」


「だからその捻くれた思考はどこから来るんだよ」


「最期まで平常運転でいたいの〜、悪い?」


「あぁそうだな。お前、そういうやつだもんな」


「そうですよ、そういうやつなんですよ〜」


私たちを殺さんとする隕石(仮)は、手を伸ばせば届きそうな距離にある。普段よりより一層騒がしくなったメディアを避けるため、情報収集などは碌にしてこなかった。よって例のアレが隕石であるかどうか、定かではない。窓の方に手を掲げ、快晴の中を確実に迫り来るそれを、てのひらを開いたり閉じたりしながら掴もうと試みる。腕を上げたままにするのもなんだかだるく感じられて、そのままテーブルの上のグラスへと伸ばした。残っていた氷はとおに溶け、酒を限りなく薄めた水と化していた。新たにぐのも面倒なので、そのままぬるくなったグラスの中身を飲み干す。


「てかお前、両親とかの所に行かなくて良いのか?」


「挨拶やら何やらはもう先に済ませて来たわ。じゃないと、親友の家になんて遊びに来ませ〜ん」


「そうか。まぁ、お前が良いのなら良いんだが」


「そう言う貴方はどうなのよ?」


「別に俺のことになんて誰も興味ねぇだろ〜、挨拶とかしてもしなくても変わんねぇよ」


「そうですかそうですか、"お世話になりました"くらい言えばいいのに。やっぱり貴方も最期まで可愛くないやつですね」


「お前にだけは言われたくねぇよ」


「失礼ですね〜、私の乙女の部分が傷付きますわ」


「あ〜、はいはい」


「うわ、受け答えが適当だよこの人」


酔いが回ったままの、ふわふわした思考の中で幸せを噛み締める。こいつと居るといつも安心した。それは出会った当初からだし、学校を卒業した後も、今現在でも変わらない。"運命の人"なんてのが居るのなら、私は真っ先に彼の名前を挙げるだろう。

想いを馳せるうちに急に胸が締め付けられて、表情が曇ってしまうのを自覚する。不意に彼の腰に手を回し、その胸に顔をうずめた。やっぱり安心する。落ち着く。細過ぎて抱き心地が少々悪いのが惜しい所だが。何?と問われるのが聞こえた。顔は上げない。きっと今の私はひどい顔をしているに違いない。そんなものを見られたならわらわれるのがオチである。なんとなくだよ、とだけ手短に答える。そうか、と呆れながらも、彼は優しく私の頭を撫でてくる。彼の指が私の髪を通り抜ける度に、幸福感が満ち、再び胸が締め付けられる。


「ほら、駄弁ってるうちに残りあと少しだぞ」


そう言われて抱きついたまま、顔を彼の肩の上へと移す。意地でもこんな不細工な顔は見られたくない。それが伝わったのか、彼は優しく笑いながら頭を撫で続けた。腰に回した腕の力を強めてやる。


「本当に死ぬ自覚ないよね」


「なぁ、最期に友人に伝える事はないのかよ?」


「ん〜、特にないです」


「お前も相当受け答え雑だからな…」


「そうだな〜。あ、来世でもまた会いたいかな」


幾分かマシになったであろう顔を上げ、思い出したかのように言った。彼も心当たりがあったのだろう。納得の表情を浮かべている。

学生時代、早朝までよく長電話をしていた。近況の話とか、お互いが知らない過去の思い出話とか。そんな内容を駄弁るのが好きだった。その中でも"生まれ変わったら"というテーマは、2人とも好んで話した。


「俺は地獄行き確定だから〜」


「昔から言ってるよね、それ。ちゃんと貴方が転生する順番が来るまで、天国で待っててあげますけど」


「お前もそれ毎回言うよな」


「まぁ生まれ変わるかも分からないけどね」


「ネガティブ思考かよ。でもいつかまた会えるだろ」


「全く、その確信はどこから来るのやら」


「ん〜、ただの勘だよ」


「最期まで貴方は気まぐれですね」


「はは、そういうもんだろ」


額を合わせ、2人で笑いあった。彼のその表情は、私と2人で居る時にしか見せない顔だ。それに気付いた刹那、幸福と慈愛に満ちるのを感じる。死を前にして幸せを謳う私たちは、他人から見たら滑稽で愚かだろう。そしてまた哀れであり、尊いものでもある気がする。このまま時間が止まって仕舞えばいいと願った。このままこの空間が続けばいいと望んだ。

街から離れたこのワンルームにも、いよいよ激しい喧騒が嫌でも耳に入るようになった。薄い部屋の壁を、喚き散らす悲鳴が揺らす。先程までの快晴とは一転、澄み切った蒼は禍々しい色に染まり、轟々と鳴り響きながら"死"をこちらに寄越して来ていた。


「もうそろそろよね」


「あぁ、またな」


「またね」


「…サヨナラとは言わないからな?」


「勿論よ。だっていつかまた逢うんだからね」


「最期に一言」


「ん、何?」


「…好きだよ」


「…今更、貴方は。伝えるのが遅いわよ」


「最期だから言うんだよ」


「今までの私の気持ち、知ってて今言ったんでしょ。本当たちが悪い」


「俺の性格はよく知ってるだろ」


装着したままのイヤフォンからは、相変わらず眩しい程に煌めく歌詞が紡がれている。


「生まれ変わったら、ちゃんと、私の事迎えに来てね」


「おう、わかった。待ってろ」


「次は時間しっかり守れる人になってよね」


「最期の最期でお前ってやつは…」


「私の性格、わかってるでしょ?」


やられたと言わんばかりにくしゃりと頭を撫で、そのまま抱き寄せられる。今まで感じたことない強さで抱かれ、より一層切なさが込み上げてくる。


「…今世の最期を、お前と過ごせて良かったよ、本当に」


「そっか。それは私も同じよ」


お互いがお互いの目を捉え、決して離さずに見つめ合う。


「じゃあ、私からも最期に言わせてもらうわね」


「…ん」




「好きだy___

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終末 水景 龍爛 @Suzu_20_92

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ