『三国志演義』という小説がある。おそらく、中国文学において世界で最も流通した作品であろう。
だが、その『三国志演義』は、現在、流通作品としての寿命を終え、ただの古典小説の一つになろうとしている。
なぜか?
『三国志演義』はただの歴史小説として軽く扱われ、より世界観が広がり、リアリティや人物としての幅が広がる正史『三国志』の方が本流として扱われるようになり、『三国志演義』はその正史『三国志』の添え物的なものに落ちてしまったのだ。
もちろん、小説・漫画・ゲームなどのメディアでは『三国志演義』の面白い話は生き続けている。しかし、仲の良い人たちならともかく、ネットで知らない人がいる場所で『三国志演義』やそれを元にした小説・漫画だけを題材にして歴史の英雄談義を語ることはもう難しい。正史『三国志』の話を振られ、『三国志演義』を語るのを正して正史の理解に話題を変えようという人間に修正を要求されることもある。
もう、同じ趣味の人と、気楽に『三国志演義』を語ることは難しくなっている。これは三十年ほど前からの三国志ブームからの傾向で、もうその流れは変わることはできない。あの牧歌的な時代はもう戻ってこない。
だが、そんな時代にその『三国志演義』を愛してやまず、劉備陣営の蜀の勝利を願った人たちの思いの結晶の翻訳が完成するのは、象徴的なことである。
この原作となる『三国志後伝』は145回と『三国志演義』よりも長い。しかも、わざわざ『三国志平話』であるような劉備の子孫の逆転大勝利で終わらせていいところを、滅亡に至った蜀漢ですら描写されなかった新たな漢の腐敗まで描かれている。
ここに、『三国志後伝』作者の深い『三国志演義』愛を感じることができる。『三国志演義』はただの小説ではない、中国文学には珍しい歴史に強く拘束された固い歴史小説なのだ。いかに、途中で小説としての面白い前提を設定しても、歴史という強い流れには逆らえない。それを愚直なまでに守っているのだ。
だから、『三国志後伝』は他の三国志演義続編『後三国石珠演義』のように歴史を大きく曲げたハッピーエンドにはしないし、『反三国志』のような願望だけで描くこともない。
『三国志後伝』の作者は、『三国志演義』の晋の統一で終わる最後を悔しく思いつつも、必ずしも否定しておらず、その腐敗と衰退は蜀漢の子孫である北漢の人物にも等しく訪れる。北漢もまた滅亡していく。
そして、この『三国志後伝』は日本にも伝わり、尾田玄古(馬場信武)という『三国志演義』愛の理解者を得て、『通俗続三国志』・『通俗続後三国志』というタイトルで、完訳までたどり着き、現代まで生き残ることに成功した作品なのである。
『三国志演義』の歴史を重視する編纂方針により、『水滸伝』や『西遊記』と違い、続編が出る余地はほとんどない。しかし、それでも愛したものたちが『三国志演義』への残った思いをかき集めて、作り、読んだ作品が『三国志後伝』なのだ。
そして、どれだけ蜀漢が復活したとしても、『三国志演義』が歴史を重視する限り、これが限界という『三国志演義』を真に愛したものたちの悲しくも、麗しい想いの鎮魂となる作品が『三国志後伝』である。
『三国志演義』はただの歴史小説としての扱いを受け、歴史の一部として語られることはなくなった今だからこそ、『三国志演義』の続編が完訳されるのは、とても意味があることなのだ。
この作品こそ、『三国志演義』を愛し、その群像劇や奇抜な知略に心躍らせ、多くの英雄たちの活躍に憧れ、歴史の一部であって欲しいと願い、劉備や孔明たちが勝利さえすれば、再び太平の世の中が訪れたのではないか、でも歴史は変えられないから仕方は無い、とこっそり思っていた人たちに是非とも読んでもらいたい小説である。
自分たちの仲間がはるか昔から、ここにいた。自分たちだけではなかった。それに気づくことができる作品である。