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2019年2月10日 11:15
史実では、杜曾の乱は、胡亢の乱から数えると312年に始まり、319年に終わる8年渡る大反乱でした。これは司馬睿の即位を途中で挟んでおり、あまり尺を割くと分かりづらくなるため、ここでまとめたのは正解でしょうね。陶侃も杜曾も敗北し、名将と言われた朱伺も戦死しており、杜曾は流民勢力の長として、李特にも負けないほどの実力があったのではないでしょうか。杜曾が降伏の後、反乱を起こしたのも、流民の扱いが相変わらずひどかったことなど同情できることも多かったかもしれません。軍事能力では王惇や陶侃を上回っていたのではないかと思える杜曾も北漢に組み入れて、杜瓊あたりの孫にして、小説としては関連付けて欲しかったですね。陶侃は結構、敗北が多いので、私としては祖逖や周訪に比べれば、軍事能力は劣る、統率や人望にすぐれたタイプかなと考えています。
史実では、杜曾の乱は、胡亢の乱から数えると312年に始まり、319年に終わる8年渡る大反乱でした。これは司馬睿の即位を途中で挟んでおり、あまり尺を割くと分かりづらくなるため、ここでまとめたのは正解でしょうね。
陶侃も杜曾も敗北し、名将と言われた朱伺も戦死しており、杜曾は流民勢力の長として、李特にも負けないほどの実力があったのではないでしょうか。杜曾が降伏の後、反乱を起こしたのも、流民の扱いが相変わらずひどかったことなど同情できることも多かったかもしれません。
軍事能力では王惇や陶侃を上回っていたのではないかと思える杜曾も北漢に組み入れて、杜瓊あたりの孫にして、小説としては関連付けて欲しかったですね。
陶侃は結構、敗北が多いので、私としては祖逖や周訪に比べれば、軍事能力は劣る、統率や人望にすぐれたタイプかなと考えています。