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2019年1月30日 23:10
ここは三国志演義の劉備が皇帝になる話の転用ですね。現代から見ると、パロディって感じになりますが、こういう話の使いまわしも講談小説の面白さです。人物が人物だけに君臣の美談では終わらないところが違いますが。あんなに皇帝権が弱く、補佐する王導が司馬氏より琅邪王氏を優先している疑惑があるのでは、即位するのをためらうのは当然です。酉陽野史が文筆に信念があり過ぎて遊び心が少なく、パロディが少なすぎた感は否めず、個人的には北漢の子孫にはもっと蜀漢人物のパロディをやって欲しかったです。幼い劉曜を守って晋の大軍を突破する趙染とか、晋の大軍を橋の上から大声で止める張敬とか、多くの関所を突破する関防とか、空城の計を行う諸葛宣于とかも読みたかったですね。北漢が衰亡していく中で、司馬睿がどうあれ劉備のエピソードを受け継ぎ、東晋を建てたのはストーリーの中でこれから東晋が上り調子になることを示すものですね。久々にこのリストを出し、残った司馬氏についても新たにリストをつくります。ここは晋書の細かな内容を受け継ぎ、一気に人物が出てきて分かりづらいところですから。つくっても多すぎて分かりづらいですが。東晋がはじまったのは、司馬睿が晋王に即位した建武元年(317年)ですが、ここではすでに即位しているので、大興元年(318年)になります。顧榮はすでに312年に死んでいるのでリストでははずします。周玘は313年に死んでいますが、三国志後伝では事件の前後の問題を受けて、まだ生きているのでリストには残します。『元帝』十六翼士なのに、全員揃うことも、皆で即位を祝うことも無く、我ながら少し名前倒れです。(東晋・司馬氏)皇帝・司馬睿(元帝)太子・司馬紹瑯琊王・司馬裒西陽王・司馬承譙郡王・司馬丞(瑯邪王家の五虎)✕ 王衍王導王敦王澄王含(諸・瑯邪王氏)王彬(元帝十六翼士)✕ 顧榮周玘甘卓賀循卞壷紀瞻劉遐戴淵刁協庾亮周訪周顗劉隗桓彝郗鑒?
作者からの返信
こんにちは。作中では漢の劉淵、成の李雄につづいて三つ目の建国譚でした。三たび辞するのはお約束ですが、司馬睿は進むも退くも地獄ですから、本気で逃げたくもなりますよね。〉三国志演義の劉備が皇帝になる話の転用ですねそれは気づきませんでした。儒家は述べて作らず、故事を大事にして創作を卑しむ風があるように感じますが、パロディはどうなんでしょうね。換骨奪胎なんて言葉もありますし、詩賦では本歌取りのように過去の名詩を下敷きにもしますので、文人にはあったのかも知れません。講談におけるパロディは、聴衆の反応から他作の盛り上がる箇所を自作に取り込むことで、より受けるものに練り上げる過程だったのかなあ、とか思います。後伝はたぶん机上の作品であり、講談の現場で練られたものではないので、結果、未完成の原石のままなのでしょうね。惜しいことです。ここからは河北のゴチャゴチャと江南の内紛で、両者が交錯するのは超人・祖逖さんの活躍くらいですかねえ。三分の後も三国の争いから焦点がブレない三国志とは違い、視点が拡散してしまうのがこの時代の難しいところです。理解も難しければ、全土を扱う創作も難しい。そういう時代に入っていきます。16翼の顧榮さんは顧雍の孫、陸遜の孫の陸機や陸雲と近しい世代なんですよね。甘寧の曾孫にあたる甘卓さんとは年代が一つ違う感じで。周訪が陶侃と一つ違い、世代はさまざまかもですね。周玘さんは史実では北人と南人の対立の先駆となってしまうわけで、悲しい巡り合わせです。このあたりは作中ではほとんど触れられていないので、酉陽野史さんとしては、東晋は漢人政権として一丸であって欲しかったのかなあ。生々しい方が面白いのに。
ここは三国志演義の劉備が皇帝になる話の転用ですね。現代から見ると、パロディって感じになりますが、こういう話の使いまわしも講談小説の面白さです。人物が人物だけに君臣の美談では終わらないところが違いますが。あんなに皇帝権が弱く、補佐する王導が司馬氏より琅邪王氏を優先している疑惑があるのでは、即位するのをためらうのは当然です。
酉陽野史が文筆に信念があり過ぎて遊び心が少なく、パロディが少なすぎた感は否めず、個人的には北漢の子孫にはもっと蜀漢人物のパロディをやって欲しかったです。幼い劉曜を守って晋の大軍を突破する趙染とか、晋の大軍を橋の上から大声で止める張敬とか、多くの関所を突破する関防とか、空城の計を行う諸葛宣于とかも読みたかったですね。
北漢が衰亡していく中で、司馬睿がどうあれ劉備のエピソードを受け継ぎ、東晋を建てたのはストーリーの中でこれから東晋が上り調子になることを示すものですね。久々にこのリストを出し、残った司馬氏についても新たにリストをつくります。ここは晋書の細かな内容を受け継ぎ、一気に人物が出てきて分かりづらいところですから。つくっても多すぎて分かりづらいですが。
東晋がはじまったのは、司馬睿が晋王に即位した建武元年(317年)ですが、ここではすでに即位しているので、大興元年(318年)になります。顧榮はすでに312年に死んでいるのでリストでははずします。周玘は313年に死んでいますが、三国志後伝では事件の前後の問題を受けて、まだ生きているのでリストには残します。『元帝』十六翼士なのに、全員揃うことも、皆で即位を祝うことも無く、我ながら少し名前倒れです。
(東晋・司馬氏)
皇帝・司馬睿(元帝)
太子・司馬紹
瑯琊王・司馬裒
西陽王・司馬承
譙郡王・司馬丞
(瑯邪王家の五虎)
✕ 王衍
王導
王敦
王澄
王含
(諸・瑯邪王氏)
王彬
(元帝十六翼士)
✕ 顧榮
周玘
甘卓
賀循
卞壷
紀瞻
劉遐
戴淵
刁協
庾亮
周訪
周顗
劉隗
桓彝
郗鑒
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作者からの返信
こんにちは。
作中では漢の劉淵、成の李雄につづいて三つ目の建国譚でした。三たび辞するのはお約束ですが、司馬睿は進むも退くも地獄ですから、本気で逃げたくもなりますよね。
〉三国志演義の劉備が皇帝になる話の転用ですね
それは気づきませんでした。
儒家は述べて作らず、故事を大事にして創作を卑しむ風があるように感じますが、パロディはどうなんでしょうね。
換骨奪胎なんて言葉もありますし、詩賦では本歌取りのように過去の名詩を下敷きにもしますので、文人にはあったのかも知れません。
講談におけるパロディは、聴衆の反応から他作の盛り上がる箇所を自作に取り込むことで、より受けるものに練り上げる過程だったのかなあ、とか思います。後伝はたぶん机上の作品であり、講談の現場で練られたものではないので、結果、未完成の原石のままなのでしょうね。惜しいことです。
ここからは河北のゴチャゴチャと江南の内紛で、両者が交錯するのは超人・祖逖さんの活躍くらいですかねえ。三分の後も三国の争いから焦点がブレない三国志とは違い、視点が拡散してしまうのがこの時代の難しいところです。
理解も難しければ、全土を扱う創作も難しい。そういう時代に入っていきます。
16翼の顧榮さんは顧雍の孫、陸遜の孫の陸機や陸雲と近しい世代なんですよね。甘寧の曾孫にあたる甘卓さんとは年代が一つ違う感じで。周訪が陶侃と一つ違い、世代はさまざまかもですね。
周玘さんは史実では北人と南人の対立の先駆となってしまうわけで、悲しい巡り合わせです。このあたりは作中ではほとんど触れられていないので、酉陽野史さんとしては、東晋は漢人政権として一丸であって欲しかったのかなあ。生々しい方が面白いのに。