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2019年1月25日 23:51
河東さんが楽しみにしていて、拓跋鮮卑の話ですね。本来なら本筋より離れた話であり、「拓跋猗盧が息子に殺され、内訌の末、拓跋鬱律が擁立された」と数行で説明でもいいところだと思いますが、資治通鑑よりずっと詳しく、かなりの脚色されているのが分かります。これは酉陽野史が細かいところでも書きたがるところと、本来なら書くはずだった北魏の伏線のためでしょう。遊牧民の後継者争い問題は、類似事件としては冒頓単于が有名ですが、母親の部族も関わるので単純に父親の調査だけの問題でもないようです。史実では、六修が拓跋猗盧を殺し、普根が六修を殺すなど、かなり激しい争いであったようです。また、史実では賓六須と六修は同一人物であるようで、なかなか把握が難しいところでもあります。ところで、こういった拓跋氏や西晋の内訌については、諸葛宣于の反間の計の仕業とすれば、陰湿ではありますが、諸葛宣于の大軍師たる地位は確保されたと思いますが、酉陽野史が史実をそこまで曲げるのをいやがったのか、賈詡や呉用のようなやり口は諸葛亮の神性をゆがめると思ったのか、ただ単に思いつかなかったのか、あるいは、陳年希先生の言う通り、三国志後伝のテーマは「好殺者必亡、寡謀者必敗」ですので、国が外部的な要因で滅亡に至る展開を嫌ったのか、少し気になるところです。
作者からの返信
こんばんは。鮮卑族拓跋部擁護派です。拓跋部は五胡のサバイバーなんで、勝ち馬に乗った感ありありになってしまいますが、最初な買った正史が魏書だから仕方ないです。〉かなりの脚色されているけっこうフィクションですよね。史実ままのが面白い気もしますが、長くなるから割愛したのかも知れません。〉遊牧民の後継者争い問題そうですねー。柔然の内訌なんかも巫覡が絡んでいたり、なかなか複雑だったりします。昔の日本みたいにそういう職の人が技術者として重用される素地があるみたいですね。陳舜臣『耶律楚材』でも、耶律楚材はチンギス・ハンに占星の技術者として用いられていました。生活が豊かではない遊牧民は実利的なんでしょうね。〉賓六須と六修魏書の特に初期にはそういう混乱が随所にあるようです。伝承されるうちにひとりの逸話が分離したり、表記が違うために後世には別人として扱われたり、扱いが難しいようです。全然分かりませんでしたけど。たぶん口承に負うところが大きかったんじゃないですかね。崔浩の国史が残存していればなあ。。。〉反間の計これをやってしまうと、陳腐なご都合主義に陥ってしまいますね。だから、陰謀論を排除したのは正解だろうと思います。作品を陳腐化したくないなら、なるべく大勢は史実に沿う方が納得感があります。当時の創作技法の進展はよく分かりませんが、そのあたりは明確に一線が引かれていたように見受けられます。そういえば、冒頭に現れた孫秀の復讐譚も結局は強調されませんでした。何らかの見直しがあったのかも知れませんね。
河東さんが楽しみにしていて、拓跋鮮卑の話ですね。本来なら本筋より離れた話であり、「拓跋猗盧が息子に殺され、内訌の末、拓跋鬱律が擁立された」と数行で説明でもいいところだと思いますが、資治通鑑よりずっと詳しく、かなりの脚色されているのが分かります。これは酉陽野史が細かいところでも書きたがるところと、本来なら書くはずだった北魏の伏線のためでしょう。
遊牧民の後継者争い問題は、類似事件としては冒頓単于が有名ですが、母親の部族も関わるので単純に父親の調査だけの問題でもないようです。史実では、六修が拓跋猗盧を殺し、普根が六修を殺すなど、かなり激しい争いであったようです。また、史実では賓六須と六修は同一人物であるようで、なかなか把握が難しいところでもあります。
ところで、こういった拓跋氏や西晋の内訌については、諸葛宣于の反間の計の仕業とすれば、陰湿ではありますが、諸葛宣于の大軍師たる地位は確保されたと思いますが、酉陽野史が史実をそこまで曲げるのをいやがったのか、賈詡や呉用のようなやり口は諸葛亮の神性をゆがめると思ったのか、ただ単に思いつかなかったのか、あるいは、陳年希先生の言う通り、三国志後伝のテーマは「好殺者必亡、寡謀者必敗」ですので、国が外部的な要因で滅亡に至る展開を嫌ったのか、少し気になるところです。
作者からの返信
こんばんは。
鮮卑族拓跋部擁護派です。拓跋部は五胡のサバイバーなんで、勝ち馬に乗った感ありありになってしまいますが、最初な買った正史が魏書だから仕方ないです。
〉かなりの脚色されている
けっこうフィクションですよね。史実ままのが面白い気もしますが、長くなるから割愛したのかも知れません。
〉遊牧民の後継者争い問題
そうですねー。柔然の内訌なんかも巫覡が絡んでいたり、なかなか複雑だったりします。
昔の日本みたいにそういう職の人が技術者として重用される素地があるみたいですね。陳舜臣『耶律楚材』でも、耶律楚材はチンギス・ハンに占星の技術者として用いられていました。生活が豊かではない遊牧民は実利的なんでしょうね。
〉賓六須と六修
魏書の特に初期にはそういう混乱が随所にあるようです。伝承されるうちにひとりの逸話が分離したり、表記が違うために後世には別人として扱われたり、扱いが難しいようです。全然分かりませんでしたけど。
たぶん口承に負うところが大きかったんじゃないですかね。崔浩の国史が残存していればなあ。。。
〉反間の計
これをやってしまうと、陳腐なご都合主義に陥ってしまいますね。だから、陰謀論を排除したのは正解だろうと思います。作品を陳腐化したくないなら、なるべく大勢は史実に沿う方が納得感があります。
当時の創作技法の進展はよく分かりませんが、そのあたりは明確に一線が引かれていたように見受けられます。
そういえば、冒頭に現れた孫秀の復讐譚も結局は強調されませんでした。何らかの見直しがあったのかも知れませんね。