良い子人形
水神竜美
良い子人形
「ほら、バス来たでしょ!早く乗りなさい!」
「やだ!」
「やだじゃないの!お迎え来たんだから幼稚園行きなさい!」
「やだあ!」
幼稚園の送迎バスの前で、母が抵抗する幼い娘を懸命に引っ張っていた。
「ほら、真美ちゃん乗って待ってるでしょ!?早く真美ちゃんの隣に座らないと誰か座っちゃうわよ!」
「やーだあ!」
「うるさい!ほら行くの!」
痺れを切らした母親は、小さな体を持ち上げて押し込むようにバスの入り口に立っていた先生に娘を渡した。
「すいませんお願いします!閉めて下さい!」
「やだあ!やだやだ!」
泣き叫ぶ娘の声は、バスのドアが閉まると同時にようやく聞こえなくなった。
「――――はあ――――」
バスが走り出したのを確認すると、母親はようやくといった様子で深く息を吐き出した。
そのまま力無い足取りで玄関まで歩いて行き、ドアを潜ると後ろ手に閉め、そのドアに寄りかかりながらずるずると座り込んだ。
「……何で……うちの子ばっかり……」
「ほら、好き嫌いしちゃ駄目でしょ!」
「やだ!」
「遊んでないで早く食べなさい!食べるまでTVも駄目だからね!」
「やだあ!」
夕食の時間になり、ダイニングを兼ねたリビングのテーブルに並べられた食事の前で、母と娘の攻防は続いていた。
「ただいまー……」
「ほら、お父さん帰って来ちゃったじゃない!お父さん来る前にご飯食べてお風呂入っちゃいなさいって言ったでしょ!」
「やーだあ!」
そう叫ぶと、娘は椅子から飛び下りて部屋の方へ走って行ってしまった。
「こら!また……!」
そこまで声を張り上げた所で、母親は脱力したようにがたりと椅子に座り込んだ。
「……大丈夫か?」
リビングに入ってきた父親は、その様子を見て心配そうに声をかけた。
「……本っ当……どうすれば言う事聞いてくれるのよ……」
項垂れた母親は、額に手を当てて絞り出すように呟いた。
「……毎日大変そうだから……こんなもの買ってきてみたんだけど……」
「……?」
母親がちらと目を上げると、父親は手に持っていた荷物を自分の目の高さ辺りに掲げて見せた。
それは高さ五十センチ程の直方体の箱のようだったが、包装されていて中身は分からなかった。
「……何それ?」
「いや……会社の若い子達がよく話してたんだけど……凄くよく効くお守りやまじないグッズの店があるって評判だったから……」
「……まじないグッズ……?」
喋りながら包装紙を剥がしていく夫の言葉に、妻は若干眉根を寄せた。
間もなく剥がし終えると、透明なケースの中に収められた西洋人形の姿が現れた。
「まじないグッズって……フランス人形……?」
見た限り、よく古い家に飾られているような着飾った金髪青い目の少女の人形にしか見えない。
「店の人……金髪青い目の外国の男の人だったんだけど、その人が言うには、この人形を家族がよく過ごす場所に飾っておけば、どんなお子様も必ず良い子に変わります!……って話で……」
「……え……?そんなの信じちゃったの……?いくら払ったのよ……?」
驚きと若干の呆れが混ざった声が漏れる。
「いやいや、まさか。ただこんなものでも気休めにはなるかな、と思って。母さん最近疲れてる様子だったから……これで少しでも気が楽になってくれれば二万くらいは安いかな、なんて……」
「……そっか……ありがとう……」
夫の気遣いだと分かり、少しだけ頬が緩んだ。
「じゃ、置いとくのはここでいいかな?」
リビングの壁際に配置された背の低い棚の上に、ケースごと人形を慎重な手付きで乗せた。
「これで少しでも
父親は人形を見つめて小さく溜息をついた。
「…………」
母親も少しの間見つめていると、すぐに夫の夕食の準備の為に立ち上がった。
翌朝、五時半に起床した母親は身支度を整え、朝食の支度の為にキッチンへ入った。
その瞬間、目を疑った。
「あ、おはよう」
「――え!?りょ……良子!?」
いつもならば起きるべき時間になっても起きてこず、散々怒鳴り付け布団を引き剥がしてやっと着替えを始める娘が、きっちりと着替えと身支度を済ませて炊飯器のスイッチを入れていた。
「ちょ……え……どうしたの……?」
「どうしたのって?」
何が起きたのか把握しきれず、酷く大雑把な質問をすると、逆に何を気にしているのかという顔をされた。
「今日は幼稚園の日だし、お父さんもお仕事だから早くご飯の準備しないといけないんでしょ?」
「……そうだけど……」
「じゃ、あたしはお掃除するね。あ、お洗濯が先かな?」
「……あ……うん……」
さも当然のように家事を担おうとする幼い娘の姿を見て、自分はまだ夢を見ているのではないかと本気で疑ったが、頬をつねってみても痛いだけだった。
「ごちそうさまでした!」
娘が積極的に手伝ってくれたおかげで、朝の家事はいつもより三十分は早く済んでしまった。
それに加えて、いつもはなだめすかしたり叱りつけたりして娘にやっと食べさせている朝食を自分から進んで、しかも好き嫌い無く残さず食べてくれたので朝食の時間も三十分は短くなっていた。
どこも汚す事なく綺麗に食事を終え、空いた食器を自ら流し台に運び、自分で洗いまでしている娘を横目に、母は娘と一緒にこんなに落ち着いて朝食を摂れる日が来た事にただただ戸惑っていた。
自分も朝食を終え、ゆっくり片付けを済ませてもまだ幼稚園の迎えのバスが来る時間まで余裕があったので、娘とTVを見ながら時間を潰すという初めての経験をしていた。
「あ、バスが来た。行ってきまーす」
自分からバスに乗り込んできた事に先生も驚く顔をしたのが見えた。
窓から手を振る娘に手を振り返しながら見送った後、母はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
やがて、思い出したようにぽつりと口を開いた。
「……あの子が言った通りにしてくれるだけで……こんなに楽になるもんだったのね……」
「……で、帰ってきてからもすぐお手伝いするって言って、何も無いわよって言ったらおもちゃも出さずに静かにTV見てて、ご飯も黙って全部食べて、一人ですぐお風呂入ってすぐ寝ちゃったのよ……」
「……マジで?」
夜、帰ってきた夫に夕食の席で改めて今日一日の娘の様子を聞かせると、夫も信じられないといった様子だった。
「効果覿面というか……ちょっと効果があり過ぎて怖い位だな……」
言いながら、棚の上に置かれた人形に目をやる。
人形は昨日と何も変わらず、ただ真っ直ぐに青い瞳を向けていた。
「ほんと、まさかここまで効き目があるなんて思わなかった……凄いのねこの人形……」
「……しかし……」
夫は背筋を伸ばしながら正面の妻へと向き直った。
「そんなに早く起きて手伝いして、帰ってきてからもいつもみたいに散らかしもせずじっとTV見てただけだったんだろ?」
「ええ」
「何だか良い子過ぎるというか……それはそれで心配になってくるな……六歳で掃除洗濯する子供なんて聞いた事無いぞ?」
夫は眉を潜めた。
「……そう思うのは、あなたはあの子と一緒にいる時間が短いからよ」
「え?」
ふいにぼそりと呟かれた言葉が耳に届いたのか届かなかったのか、夫が聞き返してきた。
その態度が妙に気に障った。
「あの子が良い子になった事を心配するより、私があの子に苦労させられてた事を心配してって言ってるの!」
気づいたら声を張り上げていた。
「良い子になって何が困るって言うのよ!今までだって手がかかり過ぎる子だったんだから、悪過ぎる子より良過ぎる子の方が全然ましでしょ!?前の方が良かったって言うならあなたが全部面倒見てよ!」
「い……いや別に困るとか前の方が良かったとかは言ってないから……!ごめん、言い方が悪かった……!」
突然爆発したかのような剣幕を前に、夫は思わずといった様子で両手を前に出しながら懸命に謝罪を述べた。
そんな夫の様子を見て、妻もはっとして肩から力を抜いた。
「……ごめん……私もかっとなっちゃってつい大声なんて……あの子が起きちゃうわね……」
小さく頭を振りながら立ち上がると、佇む人形の前へと歩いていった。
「どーか!うちの子がずーっと良い子でいてくれますように!お願いします!」
言いながらぱんぱんと手を叩き、合わせた手が額に付くほど熱心に拝み込んだ。
「おいおい、フランス人形に手を叩いて拝むって合ってるのか?」
「分かんないけど、こういうのって気持ちが大事とか言うじゃない?」
そんな会話をしていたら、自然と顔が綻んでいった。
そんな母の願いの通り、娘はずっと良い子のままでいた。
小学校に入学してからは、それまでもずっとしていた手伝いに加えて勉強にも毎日熱心に取り組み、成績は常に首位をキープしていた。
中学生になってからもそれは変わらず、更に他の女の子達のようにスマホも服も欲しいと言ったりせず、校則違反になる制服の着崩しも一切しない、規則や親の言い付けなどは必ず守る、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘となっていた。
「あの子だったらどこの高校でも行けるわよね~。選択肢が多いのも大変だわ~」
娘も中学二年の三学期を向かえ、同級生達も皆進路を意識して動く時期となり、夫婦二人の夕食の席でも娘の将来の話に花が咲いていた。
「私立に行きたいって言われても…まあ学費は何とかなるだろ!どのみち先生にはいいとこ行くように言われるんじゃないかな?」
「そうよね~!いい大学行くならそれなりの高校に行かせた方がいいし!」
「あ、やっぱり大学行きたいって言ってた?」
「え?そうじゃないけどあの子ならいい大学まで行けるでしょ!」
「そうか。そういや将来何になりたいとかの話は母さんとはした事あるの?」
「え……?」
言われてみてようやく気が付いた。
娘は今まで何になりたい、将来どうしたいという話は一度もした事が無かった。
それどころか、何かしたい、何が欲しいといった自分のいかなる希望すら口にした事が無かったのではないか。
少なくとも、良い子になってからは。
「……分からない」
「え?」
「……あの子が……何をしたいのか……何が好きなのか……」
娘は、自分達の希望を全て受け入れるだけで、何も求めた事は無かった。
「……私……あの子の事……何も分からない……?」
「……いや、ちょっと落ち着きなって。年頃の女の子なんてそんなもんじゃないの?うちの会社の人だって皆『うちの子が何考えてんのか分かんない』って言ってるよ?」
「それは言う事聞かない子の話でしょ?うちの子はちゃんとしてるのに何も言わないのよ……」
しばらく凍り付いたように固まっていたが、母親は急にがたんと音を立てて立ち上がった。
「聞いてくる……!」
「え……?」
「あの子が何になりたいのか……何をしたいのか……!」
「い、いやちょっと待ってって!いつも勉強してるかもう寝てる時間だろ!明日聞こう!明日の朝!」
夫も何か只事ではないと感じて落ち着かせようと思ったのか、立ち上がって妻の肩を押さえた。
「俺も早く起きて一緒に聞くから!ね!?」
「……分かった……」
夫が慌てているのを感じた妻は、少し落ち着きを取り戻して頷いた。
「おはよう」
「あ……おはよう」
相変わらず早起きをして手伝いをしてくれる娘と並んで朝食の仕度をするのは、もう何年も続くいつもの朝の光景となっていた。
「あ~……おはよう、良子」
「お父さん?おはよう。今日は早いのね」
いつもは朝食が出来た後にようやく起きてくる父も、今日は珍しくリビングで新聞を読んでいた。
「……ねえ、良子」
「なに?」
進路を聞くだけだ。どこの家でもやっている。
だがうちの娘は、今まで何か欲しいものはないかと聞いてみても、「お父さんとお母さんの笑顔が欲しい」「お父さんとお母さんが喜んでくれるのが一番のプレゼントだよ」としか言った事が無い子だった。
希望進路を聞いたら、何と答えるのだろうか。
「もうすぐ三年生だけど……学校では進路相談とかしてるんでしょ?どこに行きたいの?」
「それはできません」
「――――え?」
今まで普通にしていた娘が、急に何の抑揚も無い単調な口調で言葉を発した。
「――――!?」
父も異常さに気付いたようで、急に座っていたソファから立ち上がった。
「……良子?」
「さんねんせいいこうのごしようはできません」
まるで機械の音声のような、生気の感じられない口調で続ける。
その体は食事の仕度をしていた真っ最中のポーズのまま、マネキンのように動かなくなっていた。
「ちょ……良子!?何ふざけてるの!?」
「おい良子!?どうしたんだ急に!?そんな冗談言う子じゃないだろ!?」
恐怖に駆られた顔をした父は娘に駆け寄り、母も娘の肩を掴んだ。
その瞬間、制服の中の肩が消えた。
娘の肩の手応えが無くなり、母の手はブレザーだけを握り締めていた。
そこから一瞬遅れて、ぼと、という音が足元から聞こえた。
「…………え?」
自分の手の中には、ついさっきまで娘が着ていたブレザーがぶら下がっている。
足元にはスカートと、学校指定の白い下着、その下に学校指定の白い靴下が折り重なるように落ちている。
そして真っ直ぐに落ちたスカートの輪になったウエスト部分の内側に、裸の金髪青い目の人形が落ちていた。
「…………!?」
「……な……え……!?」
父もキッチンの中まで来ていた。娘が消えた瞬間も同時に見ていたらしかった。
「……何だこれ……良子は……?良子はどこ行ったんだ!?」
忙しなく首を左右に降ったが、娘の姿はどこにも無い。
「……なに……これ……?」
母は呆然とした様子でゆっくりとしゃがみ込むと、娘のスカートの中に落ちている人形に手を伸ばした。
裸の人形だったが、間違いなく見覚えがあった。
この九年間、ずっとリビングに飾ってあった人形と全く同じ顔をしていたからだ。
思わず立ち上がって人形が置いてある棚に目をやったが、やはり人形は何ら変わる事なく、棚の上で真っ直ぐ鎮座したままだった。
「……これは……何なの……?」
手に取った人形は、服を着ていない事以外にも棚の上のものとは決定的に違う所があった。
首から下、手首足首より上の、丁度服を着ていれば隠れそうな部分に、びっしりとマジックのようなもので卑猥な落書きが殆ど隙間無く書かれていた。
「何だ……この人形は……!?何がどうなってるんだ……!」
絞り出すように言うと、父親はどかどかと足音を立てて棚の方へ早足で歩いていった。
そのまま棚の人形の前まで行くと、ケースを両手で掴むようにして顔を近付けた。
「……何か変だと思ったんだ……お前か!?お前が良子に何かしたのか!?何をしたんだ!?」
力の限り叫んだが、人形はぴくりとも動かない。
「――くそっ!」
ケースを掴んだまま手をぶん、と左に薙ぎ払った。
床に勢いよく叩きつけられ、ケースが音を立てて割れると、中の人形が転がり出て倒れた。
「……あの店に行こう」
「……あの店……?」
「この人形を買った店だ。絶対何か知ってる筈だ……!」
「あ……!」
突然の事に訳が分からなくなっていたが、夫の言葉を聞いてようやくこの事態の原因に思い至った。
例の店は同じ町の中にあり、娘の中学校への通学路の途中という意外な程近くに存在していた。
だがまだ朝早い時間の為、店はまだシャッターが下りていた。
「おい!開けろ!誰かいないのか!」
夫ががんがんとシャッターを叩くが、中からは何の反応も無い。
「……まだ誰もいないのかしら……」
妻は落書きのされた人形を娘のブレザーで包んで抱えていた。
「くっそ……開けろ!」
またシャッターを叩いていると、後ろから「あの……」という声が聞こえた。
「!?」
二人で振り返ると、そこには娘の学校の制服を着た少女が立っていた。
「すいません……良子ちゃんのお母さんじゃありませんか……?」
「え……そうだけど……貴女は……?」
「覚えてませんか?真美です。幼稚園の時はお家に遊びにも行ってたんですけど……」
「……真美ちゃん……!?」
久しぶりに聞いた名前だったが、すぐに思い出す事が出来た。
娘が幼稚園の時、一番仲良しだった友達の名だった。
だが、娘が良い子になってからは一度も遊びに来た事は無かった。
それどころか、この子だけではなく小学校、中学校に行ってからも、誰か娘の友達が家に来た事は一度も無かった。
家に来ないどころか、娘の口から友達の話題が出た事すら無かった。
初めは友達が出来ないのかと不安にも思ったが、他所の母親達がうちの子は全然言う事を聞かない、スマホを欲しがって困るなどと話しているのを耳にすると、「そんな駄目な子と付き合う必要なんて無いわよね。むしろ悪い影響受けたりしたら困るわ」と思うようになり、次第に気にしなくなっていた。
「あの……どうかされたんですか……?良子ちゃんは……」
「い……いえ!何でもないのよ!?ちょっと具合が悪くて……今日は休むかもしれないけど……」
慌ててそう言うと、少女の顔はみるみる青ざめていった。
「妊娠……したんですか……!?」
「え?」
思いもしなかった言葉が耳に入り、思わず表情が固まったのが分かった。
「あの……良子ちゃんは何も悪くないんです……!本当に被害者なんですから……!だからどうか味方になってあげて下さい!」
「……どういう事?」
それだけ言うのが精一杯だった。
「……え……良子ちゃんやっぱり何も言ってないんですか……?」
「何……何なの?何があったの……?」
心臓が嫌な音を立てている。
「……どこから言えば……始まったのは……幼稚園の時なんですけど……」
また幼稚園の時なのか。
「男の先生で……厭らしい人がいて……女の子ばかり触ってくる人で……特に……私と良子ちゃんが目を付けられてたんですけど……」
「……な……!?」
知らなかった。
(ほら!バス来たでしょ!早く乗りなさい!)
(やだ!)
まさか、あんなに嫌がっていたのは。
「でも……ある時から急に……」
そう言いながら、少女はスマホを取り出して操作を始めた。
「これ……見て下さい。体育祭の時に先生が撮ってくれた写真なんですけど……」
「……?」
少女がこちらに向けてきたスマホの画面を覗き込んだ。
「……え……!?」
写っていたのは綱引きの最中と思われる静止画だった。小学校高学年とおぼしき子供達が大勢で力一杯綱を引っ張っていて、その中に娘の姿もあった。
だが、いかにも「力一杯引っ張っている」という体勢にも関わらず、娘だけは全くの無表情だった。
他の子供達が歯を食い縛ったりと全力を振り絞っている顔をしている中で、娘だけ酷く違和感があった。
「幼稚園のある時から……お迎えのバスに乗ってお母さんに手を振る時までは笑顔なのに……お母さんが見えなくなった瞬間から……ずっとそういう状態になるようになったんです……お家に着いた時にまた笑顔になるまで……」
「……そんな……」
それでは、まるで。
「私が話しかけても……今思えば必要な事以外は全然返事してくれなくなって……返事してくれても……何だか凄く淡々としか喋らなくなって……」
「…………!」
それはひょっとして、娘が消える寸前の、あの時のような口調だったのだろうか。
「……それで……そうなってからは……その先生からも……逃げなくなっちゃって……いつの頃からか……良子ちゃんだけ……倉庫に連れていかれるように……」
「な……!?」
「……小学校に入っても……その先生の仲間みたいな先生がいて……しょっちゅう呼び出されてたから……その内噂になって……高学年になる頃には……男子達まで……」
信じられない。
どこか全く違う世界の話のように聞こえていた。
「中学になってからは……先輩達も……」
「う……っ!」
「おい!?」
なのに吐き気がした。
本当なのか。
それが本当に自分の娘に起きていた事なのか。
何も知らなかった。
何も知らないまま、自分達は最高に幸せな家族だと思っていた。
それで家族なのか。
家族、とは。
真美がここを離れてから、どれ位時間が経っただろうか。
店の前でぐったりとしゃがみ込んでいると、背にしていたシャッターがぎ、ぎし、と動き始めた。
「――!」
シャッターから離れると、間も無くがらがらと音を立てて上っていき、それを持ち上げていた金髪碧眼の青年が姿を現した。
「おい!」
「わ!びっくりした。お客様ですか?」
立ち上がって夫が怒鳴ると、男は流暢な日本語で返事を返した。
「これを見ろ!」
夫が妻の手元を指し示したので、妻は抱えていた包みを解いて人形を見せた。
「娘が急に消えて、跡にこの人形があったんだ!一体どうなってるんだ!」
「あれ、まだ一月なのに停止したんですか?進路の話でもしました?」
「……は……?」
詰め寄られた男は、あっさりとそう言った。
「ま、とりあえず店の中へどうぞ」
男がそう言いながら店へと入っていったので、夫婦も追うように扉を潜った。
「『良い子人形』をお買上げだったんですよね?なら説明してる筈ですが……」
「説明?この人形があれば子供が良い子に変わるって奴か?」
「そうです、チェンジすると」
「……チェンジ……?」
何だか、ニュアンスが違うように感じられた。
「あれ?チェンジって日本語では"変わる"ですよね?ですからお子様がチェンジするんです」
そう言いながら、男は胸の前で手首を交差させ、伸ばした両手の人指し指をそれぞれ逆方向に向けた。
「……入れ替わった……?」
「あ、そうですそれです!日本語って難しいですよね~」
恐る恐るといった感じで呟かれた言葉を聞いて、男は嬉しそうに答えた。
「……何……言ってるんだ……?」
「ですから、お子様と人形の見た目や能力が入れ替わるようになっているんです。お子様の代わりに人形が"良い子"になります。あくまで親御さんの為の"良い子"に全力を尽くしますので、それ以外の事には省エネになりますが」
「…………?」
何を言っているんだこの男は。
「……良子はどこ行ったの……?それを教えてよ……」
話についていけず、兎に角知りたい事を聞いた。
「人形が停止しても戻らないんですか?ならお家にいると思いますけど」
「……は……家……?戻る……?」
「お話した通りお子様と人形は入れ替わってますので、使い方を守って戴けてるなら、ご家族がよく過ごす場所にずっといる筈ですよ」
「…………!?」
どくん、と心臓が脈打ったのが聞こえた。
「……おい……それじゃ……まるで……」
「はい、人形になってますよ」
家を出る寸前の光景が頭に浮かんだ。
激昂した夫が人形に怒鳴り、投げ飛ばして床に転がしていた。
「……嘘……だろ……?おい嘘つくなよ……!」
「何……で……?何でそんな事に……?」
「親御さんにとってどんな子供が良い子かをリサーチする為です」
何が何だか分からなかったが、それでも男は平然と説明を続けていた。
「人形になったお子様は、動かないまま常に意識を保って見聞きをし続けている状態になりまして、感覚が繋がっている人形に自分が見聞きした情報を送り続ける役を担って戴く仕組みになっています。そうやって親御さんの希望する良い子を知る為に"家族がよく過ごす場所"に置いて戴いているんです」
信じられない。
信じたくない。
それじゃ、娘はずっと。
全てを見て、聞いていたというのか。
「そうしないと基本行動の『身の回りの事は全てする』と『悪い事は何も言わない』しか出来ませんので大事な機能なんです」
今までの、自分達の言っていた事を、全て。
「あ、もし親御さんが人形に不満で元のお子様の方が良いと思われていたらすぐにまた入れ替わって戻るんですが、こうして人形が停止してもお子様が戻らないなら、お子様に戻る気が無いのだと思われます」
「――え?」
漸く有用な情報が聞けたかと思ったら、その期待は瞬く間に落とされた。
「元に戻るにはお子様自身の戻りたいという強い意志も必要ですので、心が凍ったりしている場合は戻るのは難しいですね」
「……心……が……!?」
つまり、それは。
「因みに、人形に働かせて稼ぐなんて使い方をされないように使用期限を設定しています。最大で十五歳の三月までなんですが、その前に人形で利益を得ようとしたり十五歳以降も使おうとするとすぐ停止します」
「……何……だよ……それは……」
「ああ、当然『働かせられない子供なんて意味ないだろ』と怒る親御さんも少なくないですけどね」
「そういう事言ってるんじゃ……!」
「でも一体二万ですからねえ、アクセサリーだと思えば安い方だと思いますが」
「――――!」
夫婦の顔が凍り付いた。
「あ、因みに十五歳以降ですと成人サイズの介護用良い子人形のみになります。勿論稼がせる事は出来ませんがなかなかの人気商品ですよ……」
「あそこの奥さん、また人形に話しかけてるんですって」
「娘さんが行方不明になってからすっかりおかしくなっちゃったわね」
「でも、あの娘さん見てたら家出したくなるのも分かる気がしてたけどね」
「あの子普通じゃなかったもんね。どんな教育してたのかしら」
良い子人形 水神竜美 @tattyi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます