狛江のクリストファー・ウォーケン

つくお

狛江のクリストファー・ウォーケン

 狛江のクリストファー・ウォーケンと呼ばれる男がいた。

 クリストファー・ウォーケンのように話し、クリストファー・ウォーケンのように笑い、クリストファー・ウォーケンのように歩く、クリストファー・ウォーケンそっくりの顔立ちの男だった。

 あらゆる仕草がいちいちクリストファー・ウォーケンそっくりだったので、描写のしようがないほどだった。


 広川健一というのが狛江のクリストファー・ウォーケンの名前だった。

 狛江にある創業七十五年の広川畳店の一人息子で、三十八歳のニート。顔がクリストファー・ウォーケンそっくりということ以外、何の取柄もなかった。八十になる父親はこの一人息子に失望していたが、いまだに小遣いを与えて甘やかしていた。

 広川畳店は箱根のある老舗旅館の畳替えを請け負っていた。健一はこの仕事にだけはいつものこのこついていった。箱根に行くと外国人が大勢いるからだった。

 ほとんどの欧米人はクリストファー・ウォーケンのことを知っていた。健一は彼らに大ウケだった。道を歩けば写真を撮らせてくれと声をかけられた。

「アイム・リアル・クリストファー・ウォーケン」

 健一は、英検四級の実力でアメリカンジョークを飛ばしながら快く応じた。

 実を言うと、欧米のかなりの数の民家に「日本のクリストファー・ウォーケンと」とコメントを添えた日本旅行の写真が飾られていた。その写真はいつも訪問客たちの人気を博していた。「誰だよこれ」訪問客は誰しも驚き、笑いながら言うのだった。「日本のクリストファー・ウォーケンさ」ホストは面白がるように答えた。


 ある日、健一はいつものように馬場みちおと狛江駅前のドトールでお茶をしていた。

 みちおは同い年の狛江在住のフリーターだった。隣駅にあるセブンイレブンで働いているこの友人は、勤務先から一駅分の交通費を受けとりながら、こそこそ自転車で通っていた。

「スターウォーズ、フォースの覚醒」

 みちおが意味ありげに言った。何のことかさっぱり分からなかった。健一は、クリストファー・ウォーケンがいぶかしげに相手を見るときの見方で、友人を見た。

「出てたぜ」みちおは言った。「お前が。クリストファー・ウォーケンが」

「何?」健一は、まるでウォーケンが映画の中で「何?」と言うときのように、言った。ウォーケンがスターウォーズに出てる?

「知らないのか?」みちおはせせら笑った。

「ウソこけ」健一は、まるでウォーケンが映画の中で「ウソこけ」と言うときのように、半信半疑で言った。

「どうだかな」みちおはトボけて言った。「早く見た方がいいぞ」

 友人はまるで上映打ち切りが迫っているかのように腕時計をちらりと見た。長年愛用しているGショックだった。

 どうやら本当らしかった。

 クリストファー・ウォーケンがスターウォーズの新作に出演している!

 ついにこの日が来た、と健一は思った。ウォーケンが日本で市民権を獲得するのだ。それこそ彼が長年夢見ていたことだった。

 ウォーケンの日本での認知度は悲しいほど低かった。自分が不遇をかこっているのもそのせいだと健一は思っていた。これまで何度「あの俳優に似てない? ほら、えーと……」と言われたか分からなかった。

 ウォーケンがブレイクすれば、必然的に自分もブレイクするのだ。迷っている暇はなかった。


 健一は飛び出すように店をあとにすると、小田急線で新宿に出た。勢いのままバルト9に突撃した。

 上映がはじまった。だが、すぐに何かがおかしいと気がついた。

 ウォーケンはどこにもいなかった。少なくともメインキャストの一人ではなさそうだった。ラストで満を持して登場するのかもしれない。健一はスクリーンに目を凝らして今か今かと待った。

 映画は終わった。ウォーケンは登場しなかった。クレジットのどこにも名前はなかった。

 からかわれたのだ。

 狛江のドトールで腹を抱えて笑っている友人の姿がはっきりと目に浮かんだ。

 健一は蝋人形のような顔の下に煮えたぎる怒りを押し込んで狛江に舞い戻った。怒った顔がまた、怒ったときのクリストファー・ウォーケンそっくりだった。


 みちおはまだドトールにいた。コーヒー一杯で何時間も粘るのはいつものことだった。

「ファック」健一は、ウォーケンそっくりのイントネーションで、人差し指を相手に突きつけて言った。「ファック・ユー」

 みちおはごまかし笑いを浮かべた。自分の罪を認めない態度だった。

 健一の心は決まった。

 彼はくるりと背を向け、ドアに向かって歩いた。ふいに立ち止まると、人差し指を唇に持っていった。そして、投げキッスをするようにして、その指をみちおに差し向けた。

 その途端、みちおの体が炎に包まれた。彼はドトール店内で生きたまま焼かれた。

 クリストファー・ウォーケンが熾天使を演じた『ゴッド・アーミー』の名シーンの引用だった。健一は振り返りもせずに歩き去った。

 狛江のクリストファー・ウォーケンを怒らせたら、ただでは済まないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狛江のクリストファー・ウォーケン つくお @tsukuo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ