第4話 また来るね

 次の日も、そのまた次の日も。

 彼は毎日私の元へやって来ては色々な事を教えてくれた。

 彼もまた独り身だった。私と同じく、両親の顔も知らず、兄弟も居るのかすら分からない。

 気がつけば一人森の奥、広い家の中に佇んでいて、森を放浪していたら偶然私を見つけたとの事。


 ただ私とは違い頭が良く、言葉も漢字も平仮名も片仮名も、どれも綺麗な上に物知りだった。

 外の食べ物のこと、飲み物のこと。

 漢字や景色、家や商店、森、川、林、海。

 日本以外にも国があるということや、国によって言語が違うこと。

 そして、私達を蔑む人間という存在。

 いつかは居場所をなくし、鬼の存在を消そうとする存在のこと。

 武士や狩人、農民、商民、旅人。

 その中でも、優しい人間もいることまで教えてくれた。

 そんなこんなで、私もまともに話せるようになり字も書けるようになった時、それは彼と出会って二ヶ月の歳月が立っていた。


 彼が夜の時間帯に来ているからか、私を閉じこめた主は、その二ヶ月の間一向に現れなかった。

 ……いや、主と言うよりも、『人間』の言い回しでいこうか。

 何故か彼がいる周りでは、人間の姿がどこにも見えなかった。

 毎日、同じ時間帯に来ている訳でもないのに。

 偶然とは言い難かったが、その方が私にとって窮屈しないで済んだ。

 元々この地帯はよく、森に迷い込んだ子供や人がどさくさに紛れて私の姿を見てしまう時がある。

 ……森の外で、変な噂が立っていないといいのだけれど。


「『光陰矢の如し』なんて、よく言ったものよね」


「ほんとだねぇ〜……もう二ヶ月経っちゃったんだねぇ……っていうか隠、そのことわざどこで知ったの?」

「つい最近**が貸してくれた本に書いてあった」


 その頃には、私も私で檻の側まで近づき、彼に触れられるほどになっていた。


「……そうだ、ねぇ隠」

「…??」

「僕と一緒に暮らそうよ!」

「……暮らす? **の家に?」

「うん!! だってずっと檻の中ってのも寂しくない?」

「寂しいけど………いいの?」

「いいよ! おいでよ!!!!」


 ………檻を握る私の手に力が入った。

 どうしてこんなにも、彼に惹かれるのだろうか。

 バキン………と、握っていた私の鉄檻は、いとも簡単に壊れてしまった。


「……あ、檻」

「壊れちゃった……隠って力持ちなんだね」

「いやいや、それは無いでしょ」


 檻無しで見る彼の姿。

 多少汚れているものの、もしこれが人間であるとするならば。

 例えるなら、美青年だろう。


「まぁいいや!! さぁ、行こう!!!」

「……うん」


 手を差し伸べてきたその者の手に、同じく自分の手を乗せる。

 私の手を握って楽しそうに走るその姿を、覚束無い足取りでなんとかついて行く私は見ていた。

 同じ鬼だから、ということもあったのだろうか。

 ……この時から、儂はこの者に恋をしていたのかもしれない。



 ──その道の途中であった。

 一番見つかりたくない相手に見つかってしまった。


 『人間』だ。


 それは奇しくも鬼の存在を反対する者ばかりであり、私達よりも力のある人間に意図も簡単に捕えられた。

 檻を壊したさっきの力はなんだったのかと思えるほど、その時の私の力は弱いものであった。


『こいつら、どうしましょう』


「離せよ!! 離せって!!! 隠だけでも離してやってくれよ!!!」


 彼はそう叫んでいた。


「**……」


『……あ、いい事思いつきました』


 その者は私を捕らえたまま、彼を捕らえた者へと耳打ちをした。


 ……のを、私はハッキリと聞いていた。


 『この鬼の前で、あのガキを殺そう』


 鬼というのは、私。

 ガキというのは、


「……**を……**を殺すって……?」


 彼のことだった。


「なんだって……!?」

『おら、大人しくしてろ!!』


 再び距離を離され、私は下におさえつけられた。


「**!! **!!!」


 何度も彼の名を叫んだ。

 人間は聞く耳を持たず、彼を捕らえていた者はなにか鋭い物を取り出して彼の胸元へと構えた。

 それは今で言う『刀』と言えるものであった。


「……!!!」


 精一杯手を伸ばした。

 あと一歩、踏み出せば届きそうなくらいの距離に、彼の顔がある。


「隠……!!!」


 彼もまた、手を伸ばす。


 ────しかし奇しくも。


 二つの手が触れあうことはなかった。


「……???」


 一瞬、何が起こっていたのか分からなかった。

 彼の胸元に鋭い物が、しっかりと突き刺さっていたのだから。

 それは信じ難いことであった。


「**ッ!!!!」


 解放された私は彼の元へ駆け寄った。

 赤い。

 彼の胸元が、赤い。

 真紅だった。

 儚くもそれは血であった。

 彼の胸元から広がる血は、綺麗な円形状の形を繕い、段々と染み渡っていく。

 私の服にも、彼の血がついた。

 それを見た時だ。

 私の頭の中で、見覚えのある風景が広がった。

 広がったそれはやがて形を作り、自分の一つの記憶へと頭の中に入っていく。

 その風景は、今と全く同じ森、同じ場所、同じ風景であった。


 誰かが泣いている。泣き叫んでいる。


 口を目一杯開けて、泣き叫んでいる。


 幼いその姿は、大きなその姿を抱いて涙を流していた。

 服に、頬に、角に、たくさんの返り血を纏っていた。


 ……あぁ、これは……



 ───私だ。



「……あぁ……隠……」


 掠れた声で彼は話す。


「……嘘だって……」


「……??」


「嘘だって言ってよぉ……」


 あれは、私の記憶だ。

 私は以前、この場所で母を失ったのだ。

 とある所に埋葬した後、同じ人間に捕まり檻に入れられた。

 ……それからというものの、私はそのショックからか記憶喪失になっていたようだ。

 正気を失い、何年もの間歩いてなかったおかげで、歩き方さえも忘れていた。


 ────そして気がつけば、固く頑丈な檻の中にいた。


「………ねぇ、隠」


「……??」


「……隠はさ、僕と……会えて良かった?」


「当たり前!! だって……だって**がいなかったら、私はあのまま獄中で人生を終えていたんだよ!? 何も分からないで死んでいた!! だから**に感謝してる……なのに……」


 私はまた、知らぬうちに同じ過ちを繰り返していた。

 何も出来ない自分が悔しくて仕方がなかった。


「……そっか……良かった……」


 彼の右手が、私の頬に優しく当たる。


 私はそれを掴んで頬擦りをした。


 無意識のうちにしていた。

 母にも、同じようなことをしていたから。


「……いい? 隠……ご飯をちゃんと食べて……僕の分まで生きるんだよ……?」

『……いい? 隠……ご飯をちゃんと食べて……母さんの分まで生きるのよ……?』


 母の声と、彼の声が偶然にも重なった。

 彼は、母の生まれ変わりとでも言いたいのだろうか。

 声質も、優しさも、温もりも。

 彼のものは全て母のものだと感じてしまう。


「……あぁ……」


 『まだ私は、親離れすら出来ていないのね』


「……約束だよ、隠」


「……ぅ」


 あの時と、同じ返事をして。


 彼の色付いた紅に、そっと重ねた。


 ────その日は少しだけ肌寒い、十二月の新雪がまばらに散る冬の日であった。










「……懐かしいわね」


 風に吹かれ、黒色の髪の毛が揺れる。


「……今思えば、動こうとしなかった人形に、動く為のネジをくれたのはあなただった」


 雲ひとつない、晴れやかな深夜帯。

 月がより一層、輝いているように見えた。

 その月の光は佇む私を薄暗く照らす。

 周りにはいくつかの提灯ちょうちんがぶら下がり、歩いてきた街頭の奥の奥まで照らし続けていた。

 あの時、連れ出された時も、こんな月だったような気がする。


隠形鬼おんぎょうき!!」


 不意に呼ばれる。

 振り向くと、そこには息を切らした鬼姫おにひめが立っていた。


「またここにいたんだね! 起きたら居なかったからもしかしたらと思って……心配したんだよ?」


「……あぁ、すまん……」


「はぁ……よかっ……」


 鬼姫の言葉が止まる。


「……どうした?」


「隠形鬼、なんで泣いてるの?」


「……え?」


 気がつけば泣いていた。

 泣く根拠なんてどこにも無かったはずだ。

 なのに、どうして、どうしてこんなにも。

 涙が止まらないのだろうか。


「……な、なんか……悲しいことでもあった…?」


「い、いや……ない、何も……何も無い………」


 依然として泣きじゃくる私を見て「……とりあえず、帰ろう? 今日は冷え込んでるし、風邪ひいたら大変だし……ね?」と鬼姫は促す。


 頷いて鬼姫と共にきびすを返し、帰路につこうとした時だ。


 『隠』


「…………!!」


 バッと振り返る。

 しかし、誰もいない。


 私が私の目であの時の、彼の声が聞こえた気がした。


「どしたの??」


「……」


 …………あぁ、そうか。

 いつも彼ばかり変わっていっていると感じていた。

 あの時から彼は何も変わっちゃいない。

 むしろ大きく変わってしまったのは……私の方だった。

 私は彼と、とある約束を交わしていた。

 それは、


「『また来るねそばにいて』」


 静かに微笑んで、私は言った。


『ありがとう』


 確かに、そう聞こえた気がした。


 彼女が振り向いた先、そこには文字が刻まれた石製の墓が寂しく佇んでいた。


 ……その墓には、



「****年没 後鬼ごき





 昔々、そのまた昔。


 頭の良き青年鬼が、独り。


 その青年鬼の名は『後鬼ごき』ぞ言ひけり。


 そして、自身の名も、家族さえも知れぬ鬼が、独り。


 与へられしその名は『おん』ぞ言ひけり。


 彼女と彼は、ふたりぼっち。






 ────離れていても、ふたりぼっち。

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月ノ下、鬼ノ独リ言 ただの柑橘類 @Parsleywako

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