第3話 記憶の中の

 次の日、彼は何か物を持ってきた。

 赤くて丸い何かを。


「見てみて隠ー!! これはね!! リンゴって言うんだよ!!!」

「おはよう**……り、んご?」

「そうそう!! おはよう!!」


 彼はニコニコと笑っていた。


「美味しいんだよ!! 食べてみる?」

「食べれるの!?」

「食べれるんだよー!!」


 そういい、彼はそのリンゴといった物を素手で二つに分けた。

 意外と雑に割れたそのリンゴの片方を私に差し出してくる。


「ほら! お礼を言う時は?」

「……あり、がとう」

「よしよーし!! 隠は成長が早いねー!!」


 檻越しに私の頭を撫でようとする彼。

 ……咄嗟に、その手から逃れるように身動ぎしてしまった。


「あれれ? 僕、なんか怖い事言ったかな?」


 少し経ってハッと気づき、また彼の方へと足を引きずる。


「……大丈夫」

「大丈夫?」

「ん」


 こくりと頷き、手が触れられる程度までに近づいた。

 檻越しから頭に向けて差し出される手には少々驚いたが、撫でられると存外安心してしまった。

 実は彼が来る少し前に、偶然通りかかった複数人の大人に髪の毛を掴まれたのだ。その時の癖なのか、手から逃れるように奥に言ってしまったという訳だ。


「隠の髪の毛柔らかい……!!」

「ほえ?」


 変な声をあげてしまった。

 彼があまりにも素っ頓狂なことを言うものだから。


「女の子の髪ってほんとに柔らかいんだね!!」

「そうなの?」

「そうだよ!! 僕の頭も撫でてみる??」

「……う、うん」


 恐る恐る手を伸ばし、彼の髪へと触れる。

 ……しばらく左右に手を動かしてみて、男の髪の毛はごわごわしているものなのかと、この時初めて学んだ。


「どう?」

「………ごわごわ?」

「ごわごわ!? へぇー!! 自分で触ってても分からないからなぁ……そうなんだ!! でも隠の髪の毛触ってそれを聞いたら納得がいくかも!!!」


 自分で触ってても分からない……というのは、恐らく常に自分の髪の毛しか触れていないからなのだろう。


 彼にとってもいい勉強というものになったのだろうか?

 そうならば、嬉しいと思った。


「……? 隠、どしたのー?」

「ふぇっ?」


 また変な声が出た。最近、彼に似てきていると思う。

 人のために出来る事をしたんだと実感し、私は少し嬉しく思ってしまった。


「あはは!! 変な声!!!」

「むぅ……」


「ごめんねごめんね!! でも可愛いよ、そういう所!!!」

「ふぇ?」


 ………そろそろしつこいと言われそう。

 しかし彼はさながら期待の眼差しが強くなり、「やっぱ可愛い!!」と、また檻越しに私の頭を撫でた。

 彼の大きな手は、その感触を感じる度に私の記憶の中で誰かを思い出す。

 誰であっただろうか。

 私の頭の中で、誰かの声がする。


『よう出来とー!! 流石……やな!!』


 声が掠れていて聞こえない。

 恐らく、掠れた部分が私の本名であろう。


「隠?」


 ハッとして顔を上げる。


「どしたのー?」

「う……うぅん……」


 慌てて作り笑顔をした。

 頭の上にはてなが浮かんでそうな勢いの表情をした彼は直ぐにパッと笑顔になり「うん! それならいいや!!」と明るい声をあげた。


「さ、今日は何を学ぼっか!!」


「なにを、学ぶ? リンゴ? だっけ。美味しいね」


「あっもう食べたの!? 早くない!? 僕も食べよーっと!!」


 彼に近づいて、今日は何を教えてくれるのかと期待でいっぱいだった。

 林檎を少しずつ齧りながら、今日も私は彼の持ってきた物に興味津々であった。

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