第2話 またあした

 次の日、そいつは本当にやってきた。

 しかも何やら先の尖った物と、カサカサ言う白い物を複数枚持ってきた。

 あのカサカサ言うものはなんだ? 先の尖った物は刺すと危なそうだ。


「じゃあ、僕の自己紹介からだね。僕の名前は**! 言ってみて!!」

「……*、*」


 初めてまともな言葉を話せた瞬間だったのかもしれない。

 **と名乗ったその鬼は「そう! 出来るじゃん!」大層喜んでいた。


「そうだ、君の名前は?」

「……?」

「あ、そっか。分からないんだっけ?」

「……うん」


 私のその言葉を聞いた彼はうーんと考え込んだ。

 やがてハッと閃いたように頭を上にあげ、「じゃあ、おんってのはどう?」と声をあげた。


「……お、ん?」

「うん! ほら、いっつも隠れてるような姿勢じゃん? だから隠。どうかな?」

「……」


 おん

 それが私に与えられた、最初の名前。

 与えられた名前には特に不満もない。だって、彼の言う通りだから。

 私は誰かと話す時、いつも身を隠すように檻の奥へと座っている。あながちそう付けられるのも間違いではなかった。

 頷いて、私は承諾の意を示した。

「ありがとう! じゃあ、今日から君の名前は隠! 我ながら可愛い名前だよね!!」と軽くはしゃぎ気味に彼は声をあげた。


「……それ」


 先程の先が尖った物と、カサカサ言う白い物を指さす。


「これ? これはね、紙と鉛筆!」

「……か、み?」

「そう、紙! こっちは鉛筆!」

「えん……えん、ひ、つ」

「え、ん、ぴ、つ!」

「え、ん、ひ、つ」


 ……紙が言えたなら良しとしよう!

 彼は笑いながら言った。ついでに、紙と言うのはなんなのかも聞いてみた。


「この鉛筆で、字を書くの!」

「じ?」

「そ! 例えば……僕の名前、**だったら……こう!!」


 持っていた紙に、『**』と、彼は綺麗な字と言うものを書いた。


「……!」


「隠だったら〜……こう!」


 次にその隣に『隠』と、また綺麗な字で書いた。


「………!?」


「あはは! どんな顔してるのー!?」


 とても驚いた。

 同時に、彼は私よりも何倍も頭が良いことを知った。

 力の格差だ。見せつけられた。

 やはり、私と彼とでは実力や体力、知識も桁違いだ。もちろん私の方が下なのだ。


「書いてみる? こうやって持って〜……そうそう!」


 鉛筆を持ってみる。

 これまでにない感覚。手にとてつもない違和感を覚えた。

 里に下りている人間は、この鉛筆というものを手に持って学習しているのか。そう思うと不思議でならない。


「平仮名から練習しよう! あから順番にね!!」




 ──平仮名から練習しているうちに、いつの間にか日が暮れていた。

 違和感のあった手もやがて慣れていき、後半になれば少し早く書けるようにもなった。


「すごいすごい、こんなに書けるようになったんだよ! すごいよ隠!」


 彼は褒めてくれた。

 どれだけ間違おうと、必ずすごいと褒めてくれた。

 きっと、彼は、ほめる以外のことを知らないのだろう。私はそう考えることができた。

 彼がそんなことを言っていたからだ。私がなぜ怒らないのかを聞いてみると、


「え? だって、隠すごい頑張ってるんだもん。というか、怒るって何?」


 この言いようだ。しかし、彼にはもっと複雑な気持ちが混ざり合っているのだろう。

 家族がいない。彼はそう話してくれた。なぜかを聞いても、私には断固として教えてくれないのだ。私も私で家族といった存在の記憶がない。彼のように複雑な気持ちを抱えているわけでもないのに、なぜなのか、行き場のないさみしい気持ちに覆われた。


「じゃあ、今日はここまでね! また明日ね、隠!」

「ん、ばいばい」


 基本的な単語もいくつか覚えた。

 朝にする挨拶、昼にする挨拶、夜にする挨拶。

 会った時や、別れる時に言う挨拶や言葉等、今日一日で色々なことを教えてもらった。


「……また、あした」


 彼の姿が見えなくなる直前、私は彼に向けて聞こえない声で呟いた。

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