月ノ下、鬼ノ独リ言

ただの柑橘類

第1話 私という存在は

 気がつけば、固く頑丈な檻の中にいた。


 檻の中は大層広く、そこら辺には私を見た子供が逃げ際に投げ入れた、古びた玩具などがまばらに転がっている。

 子供と思われているのがなんとも憎たらしい。正直そうは思っていたが、私としてはそんなことどうでもよかった。


「…………」


 そんなことよりも、だ。

 まず、私は誰なのか。


 そもそもそこから分からなかった。

 親はいるのか、姉弟はいるのか。それを考えるよりも先に、まず私が何者なのかを知りたかった。

 薄れた記憶に一つある言葉。それは『鬼』や『化け物』といった軽蔑的な言葉ばかりだ。頭に触れてみると、自分の顔よりかは短く、先の鋭い二本の角が、こめかみより少し上のあたりから生えている。

 ……しかし、当時の私は鬼が何なのかがまるで分かっていなかった。

 この得体の知れない角はなんなのだろうか。閉じ込めたのは誰なのだろうか、ここに置いてある形様々なものはなんなのだろうか、私は何者で、何処の者なのだろうか。


 ──そして、『化け物』とは、『鬼』とは、なんなのだろうか。


 様々な疑問が思い浮かんだ。

 考えて考えて、気がつけばあっという間、一ヶ月程日が過ぎていた。

 その日もずっと考えていた。

 当時の私には考える力も足りず、途中で放棄してしまうこともしばしばあった。

 やがて強く吹き付けた風によって、それ以上考える事を遮られた。


 ……風が止み、目を開ける。


「……え」


 そこには、いるはずのない『人』という存在がいた。

 ……いや、人ではない。自分と同じ二本の角を生やしている。

 見るからに男性なのは分かる。歳も近く、私よりも二、三歳上と言ったところだろうか。だが誰なのかは分からない。

 初めて見るその人物に私は興味を持ち、歩けない足を引きずって檻越しにその者に近づく。

 今までやってきた者達は、私を蔑み、虐げ、暴言を吐いて逃げていった。

 そいつは違った。

 私が近づいても、ただ興味ありげな顔でその場に立っているだけだった。


「何してんの?」


 不意に話しかけられた。


「……」


 返す言葉を見つけられず、見続ける私が大層気に入ったのか、さながらその者は私に近づく。


「ねぇねぇ、鬼でしょ? 何処の鬼!?」


 質問を投げかけられた。

 どこの、とそう言われても、返す言葉もない。そもそも私はどこの人で、どう言った存在で、どう言った役割をもって生きてきたのかが分からないのだから。


「……お、に?」

「そう、鬼! ねぇねぇ、何処の鬼!?」

「……」


 言葉を発せない。

 当時の私の言語能力は皆無に等しかった。


「分からないの?」

「……ん」


 とりあえず頷くしか無かった。

 言葉は理解はできる。だが話すことが出来ない。


「そっかぁ。僕もね、鬼なんだ。この森で、一人で暮らしているんだよ。君は一人?」

「……ん」

「そっか! 僕と同じだね!!」

「……?」


 同じ?

 この鬼は何を言っているのだろうか。

 私とは違い、父や母、きょうだいといった『家族』という存在がいるのではないのか?


「じゃあ僕の話し相手になってよ!」

「はな、し?」

「そう、話し相手! これから毎日、僕ここに来るよ! そうしたら、君も僕も一人じゃないでしょ?」

「……」


 また、頷いた。

 一人なのは間違っていないし、それでいて話し相手が欲しいとも思っていた。


「よし、また明日来るね! ばいばーい!!」


 笑顔で手を振るその姿を呆然と見送る。

 本当に、明日来るのだろうか。

 私の頭の中では、少し疑いがあった。


 ────だがそれよりも、あの鬼がどんなことを教えてくれるのかが、とても興味があって仕方がなかった。

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