第156話 かつての約束は桜に団子

 高校最後の一年が始まって一週間が過ぎた。

 休みが明けてすぐの実力テストがやっと終わったと思ったら、その週の土曜日には模試をやらされた。新しい教室までの道のりや窓からの景色に新鮮味を感じる暇もない。

 何が楽しくて休日を潰してまでテストを受けないといけないのかとげんなりしていたのは俺だけではないようで、模試の終わりには皆疲れた様子でいた。

 だというのに週明けの今日は朝から皆どこか浮ついている。それは俺も例外じゃない。

 何と言っても、授業を一つ潰してこの春の恒例行事が行われるからだ。


「よーしお前ら、そろそろ時間だから準備できたやつから公園まで移動しろ―」


 山井田さんが教室に入ってきてそう声をかけると、クラスのお調子者の男子たちが我先にと教室を飛び出していった。

 山井田さんはそれに軽く小言を投げかけると他の生徒にも移動するようにと促す。


「陽介ー、行こうぜ―」

「早くしないと置いてっちゃうよ?」


 顔を上げると隆平と雪芽が並んで俺を見下ろしていた。

 ついこの間行われた席替えで雪芽は俺の隣からいなくなってしまったが、隆平と隣の席になれたようで、よくこうして二人で俺のもとまでやってくることが増えた。


「あ、なっちゃん、結奈」


 雪芽が顔を上げてそう言うのと同時に、俺の後頭部が軽く叩かれる。

 後ろを振り返ればそこには夏希が立っていた。後ろには相沢もいて、俺と目が合うと軽く手を上げた。


「よっ、柳澤君」

「いつまでそうしてんのよ。ほら行くわよ」


 この二人も席替えで隣同士になったようで、雪芽とヒナを加えた4人で一緒にいるのをよく見かけるようになった。

 この二人に隆平を加えて一緒に部活へ向かう姿もよく見るので、夏希と相沢の席は人が集まる場所になりつつある。

 それとは別にもう一つ人が集まる場所があるのだが……。


「そうだよ陽介君! 早くいかないとお団子売り切れちゃう! ヒナ早くお団子食べたーい」


 そう、俺のいるこの席だ。というのもこの騒々しい小型犬みたいなやつが俺の隣りにいるからだ。

 何がどうしてこうなった、というかくじ引きだから神のいたずらとしか言えないんだけど、俺の隣の席はヒナになった。なってしまった。

 夏希や雪芽、相沢がヒナに会いに来るのは何も問題はない。ヒナが隣な事自体も、まぁ百歩譲って問題ないとしよう。問題はヒナにつられてあいつらがやってくるということだ。


「そうだぜすけっち~! 俺去年は団子8本食ったから今年は倍目標にしてるし? 早くして欲しい的な?」

「ふたりとも、団子は各自2本ずつ配られるんだからそんなに慌てなくても……、って明? どうやって8本も集めたんだ?」


 ほれみろ言わんこっちゃない。高野も広瀬も当たり前みたいな顔して来やがった。


「え? 食べないって言ってる女子とかから集めたんだけど? ふつーに皆やってるっしょ?」


 高野の馬鹿げた発言にヒナが盛大にため息をつく。しかしため息を付きたいのはこっちのほうだ。

 窓際の一番後ろという絶好の場所を引き当てたというのに、これじゃあ心休まる時がないじゃないか。


「あのねぇ明。普通は一人2本で満足するの。ヒナたちまでおんなじだって思わないで」

「えぇ~!? すけっちはするよな? な!?」

「いやしねーよ」

「なんでぇ!?」


 逆になんで俺ならやると思ったんだ? こいつは。

 ……っと、こんなバカな会話に付き合ってる場合じゃなかったな。

 気がつけば俺たち以外はほとんど教室の外に出たようだ。早くしないと山井田さんに怒られる。


「さーて、団子食い行くかー。今日は俺のおごりだ。じゃんじゃん食ってくれよな」

「いやふつーに学校のおごりだから。勝手に自分の手柄にすんじゃないわよ」


 夏希からの呆れた視線を華麗にかいくぐりつつ、俺たちは桜の公園へと向かった。



 廊下を歩きながらふと窓の外の中庭に目を向けると、日陰になる隅の方にいくらか雪が残っているだけで、かつてあった白銀の世界はすっかり春色に染まっていた。

 まだ少し冷える廊下を抜けて昇降口から外に出れば、暖かい日差しが俺たちを出迎える。

 足元には小さな花たちが色づき、吹くそよ風にゆらゆらと揺れる。それらに群がる虫たちが視界を横切り、深と静まり返った冬が嘘のように賑やかだ。

 胸いっぱいに空気を吸い込むと、若い草花の青々しい匂いがした。

 空気自体はずいぶん前から春の気配がしていたけど、もうすっかり只中だ。なんだかボーっとしたくなるような、無性に胸が踊るような、ぽかぽかと温かい雰囲気があたりに漂っている。


「……また季節が変わったんだな」

「なーにしみじみしてんのよ」

「ふふっ、陽介おじいちゃんみたい」


 俺がそんな感傷に浸っていると、横を通り過ぎていく夏希と雪芽がからかいの言葉を投げる。

 確かに少し年寄り臭かったかもしれないが、感慨深くもなるというものだ。

 なぜなら、あの夏にした雪芽との約束をようやく果たせるのだから。


 まだ葉桜だった桜の公園で、春になれば一緒に花見をしながら団子が食える。そんなことを話したんだった。

 約束とも言えない些細なものだけど、あの時は叶うとも知れなかった。

 当時想像もつかないほど遠くに感じた季節が、もうやってきたんだ。雪芽に桜の咲いている桜の公園を見せてやれる。一緒に花見ができる。団子が食える。

 たったそれだけのことなのに、なんだかすごく得難いことに思える。


「……すけっちマジでボーッとしてね?」

「陽介大丈夫かい?」

「あはっ、マジでおじいちゃんみたいじゃ~ん!」

「陽介ー。ボケるにはまだ早いぞー?」


 夏希と雪芽に続くように俺を追い抜いていく連中に声をかけられて、過去から現在へと引き戻される。

 ったく、人を老人扱いしやがって。


 気がつけば俺は口元に笑みを浮かべていた。

 そのまま、無性に走り出したい衝動のままに駆け出し、ちょうど目の前にいた高野の肩を叩く。


「先に行って高野の分の団子までもらっといてやるよ!」

「はぁ!? ちょ待てよすけっち! 俺の団子は誰にも渡さねってぇのぉ!!」


 そうして少しの間、俺は高野に追われながら春の中を駆けていった。





 ――――





「よ、よ〜し。これで10本目ぇ……! あと6本たけど、べーわこれ。クソ腹一杯」

「明、あまり無理するなよ?」

「お昼食べられなくなってもヒナ知らないからね?」


 高野とほぼ同時に公園に着いたのだが、早速あいつは団子を両手いっぱいに掴み取っていた。

 初めこそ勢いよく食べていたものの、少しペースが落ちてきたようだ。


「ほーんと、男子ってバカよね。なんで無理してまで食べるわけ?」

「カッコつけたいんじゃない? 多分」


 それを遠巻きにベンチに座って眺めている俺の横で、夏希と相沢は呆れた表情を浮かべている。

 そんな相沢の言葉に、俺を挟んで反対に座っている雪芽が向こうにいる相沢に向かって首を傾げた。


「いっぱい食べると格好いいの?」

「さぁ? 目立ってるのは確かだけどね」

「それが高野の中ではカッコいいんだろー?」


 俺の向かい立つ隆平まで会話に混じって散々な言い様だ。哀れ高野。


「でもあれくらいなら夏希だって食べられるよね」

「はぁ?」


 先程まで高野に冷ややかな視線を送っていた夏希は、唐突な相沢の言葉に眉をひそめた。


「そうだなー。バレンタインの時あんなに大量のチョコ食べてたし、団子の10本や20本大したことないよな-」

「ちょ、ちょっと、何でそうなるのよ!? 別に私は――」

「よし! そうと決まれば私お団子集めてくるよ! バスケ部に負けてらんないし!」

「おぉ、面白そうだなー。俺も行ってくる!」

「ちょっ!? バレンタインのがようやく戻ってきたのにッ……! 待ちなさいあんたたち~!」


 相沢の提案に悪乗りした隆平も加わって、彼らは公園へ駆けていった。

 それを追いかける夏希もあっという間にいなくなって、さすがは陸上部だ。


「あはは……。なっちゃんも大変だね」


 ……そして俺は、雪芽と二人きりになってしまった。



 奇しくも今座っているのはあの夏に雪芽と腰掛けて話をしたベンチで、あのときの光景が脳裏をよぎる。

 あの時はまだ花は咲いていなくて、葉桜が風に揺れていたっけ。けたたましい蝉の声も、目を瞑れば鮮明に思い出せる。


「ねぇ陽介」

「んー?」

「桜、きれいだね」


 そう言った雪芽に目を向けると、彼女は頭上に覆いかぶさらんとする桜を眺めていた。

 その横顔はとても穏やかで、口元に微かに笑みを浮かべている。

 俺もつられて頭上を見上げると、そこに桜色の空が広がっていた。

 光が反射して、この空間だけほんのりとピンクがかっているようにすら感じる。


「だな。何度見ても綺麗だ」


 春の風がそっと俺の頬を撫で、離れたところではしゃぐ生徒たちの楽しげな声を運んでくる。

 その喧騒はここまで届かず、俺と雪芽の座るこのベンチに緩やかな隔たりをもたらしている。


「なんか、あっという間だったなぁ」


 雪芽はそう呟くと桜を見上げることをやめ、少し先で団子を集めようとする隆平たちと、それを阻止しようとする夏希を見て小さく笑みをこぼした。


「ね、陽介覚えてる? 去年の夏にこの公園に私を連れてきてくれた時のこと」

「ああ、覚えてるよ」

「あの時はこんなに友達ができることも、こうして元気でお花見をすることも想像できなかったのに」

「……そうだな」

「それもこれも全部。陽介のおかげなんだよ?」

「え?」


 思わず雪芽に目をやると、彼女は俺の視線に気がついてこちらを向く。

 目が合った雪芽はふわりと笑った。


「陽介が私と友達になってくれて、なっちゃんやクラスの皆との仲も取り持ってくれたし。いつも私の体調を気にしてくれて、入院したときもよくお見舞いに来てくれた。あんなに心配してくれたら私も入院なんてしてられないもん。それに――」


 雪芽は一瞬言いよどむと、膝の上で組まれた手に視線を落とした。


「――広瀬君から、私を取り戻してくれたし……」


 雪芽の頬が薄ピンクに染まる。

 このベンチを染め上げる桜のように。


「お、おう……」


 俺はなんだか恥ずかしくなって、正面に広がる公園の風景に視線をそらした。

 一瞬訪れた沈黙がなんとも面映ゆい。


「つ、つまりね! 陽介はいつも私には想像もつかない未来を見せてくれるってことなんだけどっ! だからその……、いつもありがとうって伝えたくて!」


 まくし立てるようにしてそう言った雪芽は、何かを思い出したのかふっと笑った。


「やっぱり、陽介は私の太陽だね」

「ははっ、それ覚えてたのか」

「もちろん! だってあれは私が陽介のこと――」


 雪芽はそこで言葉を止めると、なぜか言い直した。


「陽介のこと、変な人だなぁって思った瞬間だったから!」

「お前なぁ……」

「で、でもっ! 嬉しかったのはホントだよ? 陽介はあの時から私にとっての太陽。特別な存在、だし……」

「そ、そうか」


 特別な存在、なんて。改めて言われるとなんだか恥ずかしいな。

 というかそれって俺が言ったわけじゃなくて、雪芽が言ったんだからな? 本人は知らないだろうけど、最初に言ったのはお前なんだぞ? なんか俺が小っ恥ずかしいセリフを言ったみたいになってるじゃないか。


「陽介はどうなの? 陽介にとって私はどんな存在?」

「お、おい、それ聞くのか?」

「だって、なんか不公平じゃん。私だけ恥ずかしい思いしてさ」


 いや待て! 俺も十分恥ずかしい思いをしてるんだが!? この上俺にとってお前は特別だ、なんて告白まがいなことを言わなきゃいけないのか!?

 で、でも、雪芽は俺のことを特別な存在だって言ってくれたわけだし、それに応えるのがおとこってもんだよな。


「ま、まぁなんだ。俺はお前のこと、その……、ただの友達だなんて思ってないよ。じゃなかったらあんなに必死になって広瀬から取り返したりしない」

「そ、そっか……。ふーん、そうなんだ……」

「ほ、ほら! これで満足だろ? あーくそっ、暑いなっ」


 シャツの襟元を掴んでパタパタと扇ぐ。二人の間に流れるなんとも言えない雰囲気を払うように。




「じゃあさ、なっちゃんはどんな存在?」




 しかし、そんな俺の努力も虚しく雪芽はこの話題を続けるつもりのようだ。


「……それ、言わないとだめなことか?」

「だめなこと」


 まぁ仕方ない。毒をくらわば皿までだったか? いや、乗りかかった船のほうが正しいか。とにかく行くところまで行くしかなさそうだ。


「うーん、夏希、夏希ねぇ……。考えたこともなかったけど、そうだなぁ。夏希は光、かな?」

「光?」


「ああ。あいつっていっつも真っ直ぐじゃんか。自分に嘘つけないし、他人事を自分事みたいに捉えたり、正義感が強くて姉御肌だろ? だからあいつは人に慕われる。あいつの輝きに、皆憧れるんだ」


「陽介も、なっちゃんに憧れてるの?」

「いや、俺はあいつの輝きを守りたかったんだ」


 向こうで結局団子を食べる羽目になっている夏希と、まわりで楽しそうにしている隆平や相沢を見ていると、思わず口元に笑みが浮かんだ。

 光があれば影がある。あいつの輝きは人を引き付けもするが、反対に妬まれもする。俺はその影に夏希の輝きを奪わせたくなかった。


「雪芽は俺が中学の時、陸部をやめた経緯を夏希から聞いたんだよな?」

「うん」

「先輩が大会の枠を譲れって俺に突っかかってきた時、本当は譲ろうと思ってたんだ。喧嘩するのも面倒だし、問題起こしたら後が大変だしさ。でも、あいつが大会メンバーに選ばれたのは俺の実力だって言ってくれたんだ」


 別に大会に出たかったわけじゃなかったし、枠を譲ることで全部丸く収まるなら、俺はそれでも良かった。

 でもあいつは真っ直ぐで、俺の代わりに真っ向から争うことをいとわなかった。


「その時思ったんだ。まず逃げることを考えた俺の代わりに戦ってくれた、その愚直さは誰にけがされていいものじゃないってさ」

「そう、なんだ……」

「でも、ははっ。俺が守ってやる必要もなかったかもな。あいつは俺なんかよりずっと強いやつだから」

「……そうかな」


 そのポツリと呟くような声が妙にはっきりと聞き取れたのは、それが真剣な色を孕んていたからかもしれない。

 見やった雪芽の横顔は、声色と同じく真剣な目をしていて、それはここじゃない何処かに向けられているように感じた。




「陽介がいたから、なっちゃんは今のなっちゃんでいられるんだと思うよ。だってあの子は繊細で、傷つきやすい。普通の女の子だもん」




「そうか?」

「うん、そうだよ」

「……そうか」


 ……ああ、そうだ。そうだった。

 知っていた。分かっていたはずだろ。夏希だって普通の女の子で、バレンタインに手作りチョコをくれたりするんだってこと。

 なのに、どうして守る必要がないだなんて言っちゃったんだろうなぁ。


 俺は視線の先で団子を自棄やけ食いしている夏希を眺めながら、先程の自分の発言を後悔した。

 それと同時に、少しだけ誇らしい気持ちにもなったんだ。

 あいつが今、ああして友人に囲まれながら笑えているのは、もしかしたら俺のおかげでもあるのかもしれない、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る